ワシントンを歩いて

プロテストするメダリスト、アフリカン・アメリカン歴史文化博物館にて

プロテストするメダリスト、アフリカン・アメリカン歴史文化博物館にて

ホテル Club Quarters

パラグアイでの主人の調査に同行し、帰路をパナマ経由で昨年9月25日、ワシントン・ダレス空港に到着、そこから“Silver Line Express”のバスに乗って地下鉄駅Wiehle-Reston Eastに着き、地下鉄に乗り換え、Farragut West駅で降りる。主人の従妹(いとこ)が紹介してくれたHotel Club Quartersでは、受付もあったがチェックインは機械でも出来るようで、人の職場がだんだんと機械に奪われる寂しさを感じる。ホワイトハウスも近く、利便性は抜群である。各階には自由に水を汲める給水器とペットボトルが置いてあるし、二階のリビングルームではくつろぐことができ、上級のビジネスホテルのようで、無駄がなく快適である。

ナショナル・ギャラリー、歴史博物館

翌日、まずはナショナル・ギャラリーを目指して歩く。5分たらずでホワイトハウスに着いたが、メイン通りは遮断され、警官と警察犬が守っている。大事な行事があったのかも知れないが、9.11事件後のアメリカの現状を目の当たりにした気がする。端正なアイゼンハワー行政府ビルや財務省のギリシャ風建物を見物しながら、一時間足らずでギャラリーに着く。

ルーブル美術館などに比べれば規模は小さいが内容がよく、コンパクトで見やすい。ドイツ美術の部屋でリーメンシュナイダーの宗教者の小さな頭部木彫像を見つけ、20年も前に彼の作品を求めてドイツ・ヴュルツブルグのマインフランケン博物館、クレクリンゲンのヘルゴット教会をはじめ、その地方の小さな教会を回った時間がタイムスリップする。聖者の中に人間味が感じられるこの作品は彼自身かとも思われ、旧友に会えたようでうれしい。野外彫刻ギャラリーでは、韓国ソウルの南山にあるリー美術館(三星系列)の玄関前にあるのと同じ蜘蛛の像を見つける。広い庭に置いてあるせいかこの蜘蛛は迫力が乏しい気がする。

帰り道に寄ったスミソニアン・アメリカ歴史博物館では朝鮮戦争時の資料が目を引く。親から話は聞かされてはいたが、説明にある分からない単語がもどかしい。

夕方、DCから郊外の従妹宅に向かう車はペンタゴンの真横を走った。反対側には、空軍の記念碑が空に向かって銀色に輝いて伸びている。3機の飛行機が大空に飛び発つような美しい像を見ながら9.11事件を思い浮かべ、複雑な気持ちになる。

高速道路の優先車線は3人以上乗せれば走れるとのこと。高速道路ではそういう運転手たちとただ乗りする人たちが平和に共存しているという話には、秩序が保たれている世界の一面を見たような気がする。

世界銀行

翌9月27日、従妹の勤めている世界銀行を見学する。入場の際には身分証明書が必要で、写真付カードを作ってもらう。カードを首にぶら下げていれば、中では自由に動ける。何千人も勤める巨大な組織で、コンサートが開かれるイベントホール、食堂、市場風のバザールもあり、夕食の材料も買えそう。正面の入口にはメンバー国の旗が飾ってあり、世界銀行のシンボルらしい。従妹に2階建ての赤色観光バスの切符売り場を教わる。観光名所を日本語で聞くのは嬉しい。説明を聞きながら国会議事堂前で降り、議会図書館に向かう。

議会図書館

議会図書館の天井

議会図書館の天井

室内装飾が図書館と思えない豪華で重厚な雰囲気に圧倒される。主人が調べ物をする間、ロビーを見聞する。天井やフロアー、壁はモザイクや大理石,ステンドグラスで装飾され、大聖堂か美術館のようである。ガラス越しにみた図書室は修道院の図書室かと思えるクラシックな雰囲気で、入ってみたくなる。閲覧出来るExploring the Early Americasという部屋で思いがけず朝鮮時代(16世紀頃)に作られた世界地図に出会う。初めて見る地図である。天下図と書いてあり、やたらに山の名前が多い。毎日通いたくなる。

朝鮮時代(16世紀頃)に作られた地図

朝鮮時代(16世紀頃)に作られた地図

アフリカン・アメリカン歴史文化博物館

アフリカン・アメリカン歴史文化博物館

アフリカン・アメリカン歴史文化博物館

再び赤色観光バスに乗り、従妹から今ワシントンで一番ホットな所だと教わった、開館間もないアフリカン・アメリカン歴史文化博物館(2016年9月開館)を目指す。入場者の誘導テープが設置されてあり、入口には珍しく大勢の黒人がまばらな白人と並んでいる。入る時に何かを要求されたが、理解できない様子だとみられ、入れてくれる。後になって分かったが、“Timed Pass”という入場時間帯が書かれた紙だったらしい。入場料は要らないが予約はネットでするようになっていて、入場者数をコントロールするらしい。日本で人気がある展覧会でよくみられる長い列を思い出しながら、我が国でも取り入れて欲しいシステムだと思う。

荷物とボディチェックが終わり、4階から見ることにする。底辺で働く黒人の顔とは違う一般市民の黒人たちが着飾って、誇らしく明るい表情で、家族や友人とワイワイお祭りでも見に来ているような雰囲気である。展示の方法も今までの博物館と違う。オバマ大統領の映像が現れたかと思うと夫人の顔に変わり、次々と有名な黒人の顔が現れては消える。円形のビデオルームでは、差別されながらもアメリカを支えた黒人の芸術家、スポーツ選手らをマルチメディアを使い、視覚、聴覚などを通して分からせる展示方法が導入され、新鮮で、わかりやすく、楽しい。映像の前で踊りを真似している親子連れが微笑ましい。外に出てみると、この博物館は目の前にそびえるワシントン・モニュメントの足元にあって、アフリカのノスタルジアを感じさせる外観はシックで美しい。この事業はオバマ大統領の功績になることは間違いないと確信しながら、リンカーン記念館を目指して、青色の観光バスを待つ。

戦没者慰霊碑、リンカーン記念館

リンカーン記念館からモニュメントを臨む

リンカーン記念館からモニュメントを臨む

ポトマック川を越え、ペンタゴン(国防総省)アーリントン墓地などをバスから眺め、「リンカーン記念館」の停留所で降りる。ベトナム戦争、朝鮮戦争、第二次世界大戦で亡くなった兵士の慰霊碑がリンカーン記念館とワシントン・モニュメントの間の緑地に点在する。ベトナム戦争と朝鮮戦争のモニュメントの兵士の表情の違いは負けた戦争と勝った戦争の違いかなと思いながら、アメリカのことを、戦争のことを考える。アメリカの参戦がなかったら私は北朝鮮の体制のなかで住んでいたかとも思い、戦争はいやであるが、複雑な気持ちになる。

リンカーン記念館はギリシャ神殿のようであるが、意味するところは日本の神社に近いような感じがした。大統領は神になり、階段の上の神殿からアメリカ国民を見守り、亡くなった兵士たちと共にいる。前には池に影を落としているワシントン・モニュメント、後ろにはポトマック川、そしてさらに前方には国会議事堂と、それらが一直線に並ぶ。階段に座り、美しい夕陽の景色を見ながら、心身ともにリラックスする。

明日は日本へ。もう一日欲しいなと思った。


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