特集「女性のリーダーシップ」:信子フォーラム10年に寄せて
2016年にワシントンで「信子フォーラム」を立ち上げてから、まもなく10年を迎えようとしています。このフォーラムは、私にとって新たな人生のチャプターを開く存在となり、生き方や人とのつながりを大きく広げてくれました。今回、寄稿の機会を頂いたことを機に、この10年を振り返ってみたいと思います。
新しい人生のチャプター
2016年は、夫の米国赴任に同行してワシントンでの生活を始めてから、ちょうど3年が経った頃でした。見るもの聞くものすべてが手探りだった最初の3年間を経て、ようやく知人も増え、世界各地から集まる人々との交流が活発になり始めた時期です。初対面で感じていた居心地の悪さも次第に薄れ、自分の居場所が少しずつ街の中に生まれていきました。
外交、政治、ビジネス、文化が交錯するワシントンの多彩なコミュニティ。その中で、社交辞令や当たり障りのないスモールトークを超え、互いの思いを共有できる友人が増えていきました。アメリカで暮らすのは、20代の大学院留学、30代での夫の初任地への同行に続いて3度目でしたが、人生経験を重ねた分、今回の滞在では自分の価値観がより明確になっていたように思います。人の話を聞く際にも、以前より相手の心のひだに思いを馳せ、自分なりの言葉で応じられるようになっていました。
特に、小規模で密度の高い交流の場からは多くを学びました。肩書や立場を通して人を見るのではなく、もう一歩相手の内面に踏み込み、その人の素顔や人生の喜怒哀楽に触れたとき、共感が一気に深まる――その経験は、私にとって新鮮な驚きでした。こうした対話を、もっと多くの人と共有できれば、学びが広がり、多くの人を励ますことができるのではないか。そんな思いが、次第に芽生えていきました。
それまでの3年間、私はできるだけ多くの人と出会い、社交の輪を広げようと努力してきましたが、一方で拭いきれない葛藤も抱えていました。ワシントン赴任は、私にとって決して容易な選択ではなかったのです。大学卒業以来、会議通訳として一貫してキャリアを積んできた私にとって、ワシントン行きは、ようやく仕事が佳境に入りつつあった時期に迫られた苦渋の決断でした。「仕事か家庭か」という問いに直面したというべきでしょう。
自ら選択し、大使の妻としての道を歩み始めたものの、「これで良かったのだろうか」という思いは、心のどこかに燻り続けていました。しかし3年が経ち、新しい生活が根づいてくると、過去を懐かしむだけでなく、これまでの会議通訳としての経験を生かして、新しいことに挑戦できるのではないかと考えるようになりました。そんな冬のある日、大使館のスタッフに、まだ輪郭の定まらないフォーラムのアイデアを打ち明けました。一度言葉にしたことで構想は俄然現実味を帯び、優秀なスタッフの力を得て形となり、2016年4月28日、第一回「信子フォーラム」が幕を開けました。最初のゲストスピーカーは、ウェンディ・カトラーさんと石井菜穂子さんでした。
フォーラムに込めた3つの思い
フォーラムを企画するにあたり、私には三つの目的がありました。
一つ目は、女性リーダーのライフストーリーを聴く場にすることです。ワシントンには政策や情勢を議論する場は数多くあります。しかしこのフォーラムでは、肩書ではなく「生き方」に焦点を当て、人生の経験を語っていただきたいと考えました。どんなに偉そうに見える人、微塵も苦労を感じさせない人にも、乗り越えてきた困難や学びがあります。自らの経験を自分の言葉で語るとき、最も説得力のある言葉が生まれる――それは、長年通訳として現場に立ってきた私の実感でもありました。
2016年は、トランプ氏とヒラリー・クリントン氏による大統領選の最中で、アメリカ社会の分断が深まっていた時期でもありました。分断を越えて人をつなぐ鍵は、「共感力を伴う好奇心(empathic curiosity)」だと、カリフォルニア大学バークレー校のジョディ・ハルパーン教授は述べています。相手に寄り添い、理解しようと努める姿勢こそが、違いを乗り越え共存するために不可欠である――その考えに、私も強く共感しました。政党やイデオロギーを超え、人としての共感を育む場にしたい。これがフォーラムの根幹にある願いです。
二つ目の目標は、「対話」を重視することでした。対話は、思いがけない展開や深い掘り下げを生み、話し手の間に化学反応を起こします。そうした知性や感情の響き合いの中から、1+1を超える豊かな会話が生まれるのだと思います。また、表情や話し方に人柄が滲み出るのも、対話ならではの魅力です。国際的な対話に必ずしも慣れていない日本だからこそ、日本発の場でその醍醐味を示したいと考えました。
三つ目は、スピーカーとモデレーターだけでなく、参加者全体がつながるネットワーキングの場をつくることです。国籍や年齢、業種や組織を超え、普段は交わることのない人々が気軽に語り合い、新しい友情を育む場であってほしい――それがこのフォーラムに込めたもうひとつの願いです。
多彩なゲストに支えられ、ワシントンでは計12回の会合を重ねることができました。最後のスピーカーは、日本大使を退任したばかりのキャロライン・ケネディさんでした。シリーズのフィナーレは、特別な熱気に包まれていたのを憶えています。
ゼロからの再出発 信子フォーラムジャパン
ワシントンでのフォーラムをやり遂げたという達成感を胸に帰国したのは、2018年3月のことでした。一旦は終止符を打ったとも感じていましたが、同時に、フォーラムが掲げてきた「女性が自らのポテンシャルを活かして生きる」というテーマは、むしろ日本社会においてこそ、より切実なのではないかと感じるようになりました。黙っていた方が無難、遠慮する方が波風が立たない――そんな空気の中で、発言し、行動し、挑戦していくマインドセットを育てることは、日本の女性にとって特に重要ではないかと感じたのです。それは、純粋に日本的な価値観を携えてワシントン生活を始め、フォーラムとともに少しずつ発言型・行動型へと変わっていった自分自身を省みての実感でもありました。
こうして「信子フォーラムジャパン」を立ち上げることになりますが、ワシントンとは違い、こちらは全くの白紙からのスタートでした。開催場所はあるのか、登壇してくれるスピーカーは見つかるのか、運営はどうすればよいのか――暗中模索の日々が続き、諦めかけたことも一度や二度ではありません。そんな時、変わらず励ましてくれたのが夫でした。「きっと大丈夫。やってごらん」と、一貫して支え続けてくれました。もしあの時、否定的な言葉をかけられていたら、潰れていたかもしれません。
また、ワシントン以来の仲間たちが力を貸してくれました。何の見返りもなく支え続けてくれた事務局のメンバーなくして、このフォーラムの継続はあり得ませんでした。こうして2018年11月28日、村木厚子さん(元厚生労働事務次官)をゲストスピーカーに迎えて第一回信子フォーラムジャパンの開催に漕ぎつけました。なんとか続けることができたというその日の深い安堵感は、今も忘れることが出来ません。
次の10年に向けて
日本でのフォーラムも7年目になり2025年の終わりには女優サヘル・ローズさんを迎えて、第32回信子フォーラムジャパンが開かれました。ワシントンでの開催から通算すると、もう44回目となります。その歩みの中で、スピーカーの方々から数多くの珠玉の言葉が生まれました。ほんの一部をホームページなどで紹介していますが、いつの日かそれらをまとめ、改めて皆さんと共有できればと願っています。
振り返ってみて、スピーカーの方々に共通しているのは、挑戦の中から学び続ける力、そして苦しい経験をバネとして成長し、次の人生のチャプターをより豊かなものへと導いていく力です。そしてそれは、フォーラムの壇上に立つリーダーの方々だけに限られるものではありません。そういう生き方をする人は、どの場所にあっても――家庭の中でも、社会の片隅でも――確かに輝いていると感じています。
「一隅を照らす」――。私の好きな言葉です。小さなフォーラムではありますが、集う人の心を少しでも温め、元気づけ、前向きな一歩を踏み出すきっかけになれたなら、これほど嬉しいことはありません。そんな願いを込めて、次の10年を歩み出していこうと思います。
信子フォーラムジャパン代表、会議通訳者、東洋大学理事。青山学院大学英米文学部卒業、米国ペンシルバニア大学大学院教育学修士。東アジア首脳会議、TPP閣僚会議、日米財界人会議、アジアの未来、富士山会合、G20閣僚会合など数多くの同時通訳を経験。2012年末から2018年まで大使夫人としてワシントン在住中に女性リーダー達と対話する「The Nobuko Forum」を創設。2018年に日本に帰国後は「信子フォーラムジャパン」としてフォーラムを継続し、現在に至る。2018年ワシントン日米協会より「Marshall Green Award」、ACCJ(在日米国商工会議所)「Person of the Year」賞。2021年ダラス・フォートワース日米協会より「Sun and Star Legacy Award」など受賞多数





