「千と千尋」の日本語授業-アニメは最高の教材!
「先生、ハクの優しさが千の心に届いた、って日本語でどう言えばいい?」――。 ベトナムの女子学生達に映画「千と千尋の神隠し」に登場するハク(主人公と友達になる魔法を使う男の子、元々は川に住む竜)はとても人気がある。ベトナムに住んでいた時、日本からいらした先生にアニメ映画を使っての日本語の特別授業を行ってもらった時の事。千がハクからもらったおにぎりを食べながら大泣きする場面で、「どうして千が大泣きしたか日本語で答えなさい」という教師の指示に学生たちは大騒ぎ。まだまだ拙い日本語で十分に表現できないため、英語での冒頭の質問になった。言いたいこと、どうしても伝えたい事があるというのが外国語習得の原動力だな、と思った瞬間だ。
「伝えたい!」という欲求を作る
2015年にフルタイムの仕事を定年退職し、最後のポストで住んでいたベトナムで2019年まで、その後は日本で日本語を教える仕事をしている。最近は、友人が日本で開校している「サンアカデミー日本語センター」で教師を務めているが、この学校はユニークな授業で有名だ。「伝えたい!」という欲求をなるべく作り、日本語での発話を促すことを一つのポイントとしている。日本の映画を使った授業も特色の一つ。アニメもその一環で、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」や細田守監督の「サマー・ウオーズ」などを使って授業を行っている。日本のアニメはファンが多く、映画を利用した授業は人気授業の一つだ。
私は「サンアカデミー」が提携しているイエール大学の夏季集中講座の学生を教えることが多い。イエール大学の学生たちはここで夏季集中講座を受講すると、本校での一年の学習単位に相当する単位がもらえるばかりか、成績優秀な学生は奨学金(日本との往復、滞在費と受講料)を大学からもらえることもあって、大変人気のある集中講座である。学生たちは2か月間日本に滞在し、月曜から金曜まで週5日間日本語授業、ホームステイ先では24時間日本語漬けの生活をする。初級から上級者までを受け入れており、少人数ながら集中的に日本語を学び、たった2か月でも驚くほど上達する。
イエールの学生たちは大学の方針として、80の学問分野から専攻を選択することが可能で、夏季集中講座に来る学生たちは物理、演劇・映画、建築、化学、コンピューター科学、環境など多肢にわたる専攻を持ちながら、日本語を勉強している学生が多い。日本に来るまでに初級・中級日本語を学習しているが、多くの学生にとって日本語への興味のきっかけはマンガであったり、アニメ映画だったりする。一方でコンピューター科学や物理専攻の学生たちは日本の先端技術への興味やあこがれから、日本語を選択する学生もいる。
アニメを使って生の日本語を練習
アニメを使った授業は、その他の読解、文法、作文などの授業の中の一部として行われる。サンアカデミーが作成した特別テキストを使い、語彙、リスニング、発話、背景理解を中心に行われ、それぞれの映画を8回程度に分けて鑑賞。その都度、理解を深めていく。
例えば、「千と千尋」の冒頭部分では千尋(千)が入っていくのを躊躇した不思議な世界に、両親は頓着なく踏み込んでいくので、それぞれの性格はどのようなものと思うか、という設問がある。色々な性格を日本語で言わせ、選んだ理由を日本語でまた言わせる。また両親は居酒屋のようなところにあった料理を食べたが、どのように食べたか(ノロノロ、ガツガツ、エレガントに)という色々な形容詞を選ばせるなど。
会話の練習もあり、お父さんと千尋の会話:
「ここ嫌だ。もどろう、お父さん」
「なんだあ、こわがりだな、千尋は」
などの会話の一部の言葉を抜いて聞き取らせ、また聞き取ったあとは学生同士この会話を使った練習をする。会話練習は単に言葉を覚えるだけでなく、発話された時のイントネーション、気分までを真似するようにする。
さらに宿題としてその日に鑑賞した映画の内容を日本語で簡潔にまとめ、内容理解を深める質問に答えることが要求される。冒頭にあげた「千が泣いた理由」はそうした設問の一環であった。 アニメ映画を使う授業は、映画の面白さから毎回授業時間が足りないほど、集中した授業ができるのが教師から見た魅力である。学生たちにとっては漫然と観ていたアニメ映画の背景が理解でき、セリフが聞き取れるようになり、主人公たちの感情に共感し、教科書を使った授業では味わえないイキイキとした日本語を味わえる点が醍醐味であるようだ。
日本人学生バディとの対話を有効活用
またこの集中講座の特徴として、日本人のバディーたちの関与がある。講座の期間中、主に日本人大学生がバディーとして集められ、週に2回授業中にバディーとのセッションが設けられている。イエール大学の学生はその週に鑑賞した映画の内容をバディーたちに日本語で伝え、バディーたちの反応を日本語でまとめ、宿題として提出しなければならない。同じ年頃のバディーたちと日本語で内容のある議論を行えることは、とても良い日本語の練習になっている。理解した内容や背景を必死に伝えたいと頑張って話をしている学生たちを見ていると、アニメの魅力がなせる業だなと思ってしまう。
日本のアニメの隆盛は日本理解の大きな一助となっているが、日本語授業にも大変素晴らしい媒体を提供してくれている。
大学卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)で働いた後、世界銀行に転職。ワシントン本部で17年勤務後、世銀トルコ事務所・ベトナム事務所などに勤務。2015年定年退職。現在は東京在住。趣味は推理小説と歴史小説を読むこと。