特集「人生で一番の宝物」:『チコと鮫』、そして私の海

映画「チコと鮫」で観た海の記憶と重なる水族館の大水槽(沖縄・美ら海水族館)

映画「チコと鮫」で観た海の記憶と重なる水族館の大水槽(沖縄・美ら海水族館)

映画『チコと鮫』

今から多分62年前のある夏、小田原の街にあったレトロな建物の小さな映画館で母に連れられて映画を観た。小学校に入る少し前のことだ。『チコと鮫』。なぜその映画を観に行ったのか、3歳上の兄も一緒だったのか、全く記憶にないが、その映画館があった昭和の古い商店街の洋品店ではハワイアンのような涼しげな音楽が流れていたこと、壁の扇風機が回っていたことなどがぼんやりと記憶の隅に残っている。

当時、父の務めていた会社の支社が小田原市の郊外にあり、両親と兄の家族4人で2年ほど社宅に住んでいた。母はそこで運転免許を取ったので、もしかしたら自分で車を運転して街中にあった映画館に連れて行ってくれたのかもしれない。家は少し高くなった山の方に建っていて、遠くに小田原の海が見え、夕方父の仕事が終わると皆で海までドライブに行くことも良くあって、なんとなく時間がゆっくりと流れているような感じだった。

『チコと鮫』は南太平洋の楽園タヒチを舞台に、島の漁師の少年がリーフに迷い込んだ鮫の子供と出会い、互いに友情をはぐくみ、成長とともにいったんは別れ別れになるが、大人になって再び出会う物語だ。いま検索してみると、そこに島の観光開発をめぐる問題や同じ島の少女との恋の芽生えがストーリーに盛り込まれていたのだが、子供だった私にはそういうテーマよりも、ただただタヒチの海のどこまでも青く透明な美しさ、その水の中を主人公の少年と鮫が泳ぐシーンに魅せられ、心に強烈な印象を残した。見たこともない果てしない海の中の景色、その中を時には鮫の背びれに片手をかけてともに泳ぐ少年の姿。

タヒチがどこにあるのかもその時には想像もできなかったけれど、その時以来ずいぶんと大人になるまで、行ってみたい場所の筆頭はタヒチだったし、キャリア志向皆無の私が仕事をせねばと思ったきっかけは、ある時空想の中で、もし自分の好きな相手が「死ぬ前にタヒチに行きたい」と私に言ったとしてもお金がなければどうにもならない、という考えがある種の実感を伴って迫ってきたからだ(タヒチに行きたいのは自分なのにもかかわらず……)。

それほど6歳の心に刻まれたインパクトは大きかった。その後タヒチほどの美しさでなくとも、海は私にとって単に好きな場所というだけではない、他のものからは得られない心の何かに触れる特別の存在になったのだと思う。

私と海

海にまつわる思い出をメモしていたら、色々と記憶がよみがえってきた。

子供の頃、ドライブ好きだった父に連れられて家族で行った伊豆や三浦の海では、海水浴の砂浜まで行く途中、海沿いの道で磯遊びに良さそうな場所があるとその近くに車を停めて岩場で泳いだり、兄と生き物を探して岩にびっしりと付いたフジツボが気味悪かったり、台風の去った後の九十九里の海に父とふたりで海水浴に行った時はいきなり海底の砂地が大きくえぐられていて、危うく溺れそうになって怖い思いをしたこともあった。普段物事に動じない父が、その時は相当肝を冷やしたと後で笑い話になった。

7歳ごろ、家族と行った海水浴

7歳ごろ、家族と行った海水浴

思春期になると行動半径が広がり、中学で仲良くなったクラスメートが鎌倉の七里ガ浜に引越したのをきっかけに、実家のあった武蔵小金井から江ノ電の七里ガ浜まで定期的に会いに行った。一人で電車を乗り継いで遠出するのは初めてだったから緊張もしたけれど、東京駅から乗り換える時など、ちょっと大人の仲間入りをしたような背筋が伸びるような気持ちもあった。初めて見る七里ガ浜の海は、それまで知っていた海よりも少しハイカラな印象で、駅から坂を上ったところにあった海の見える家に住む友達が羨ましく、その後しばらく海の見える家に住みたいとひそかに思っていた。

中学3年の夏には私が所属していた卓球部が大会で幸か不幸か敗退し、夏休みの練習から解放されて、幼馴染でチームメイトの祖父母の家があった松江まで、ふたりで新幹線とローカル電車を乗り継いで丸一日かけて行ったのは、それまでで一番の冒険だった。途中、雷か何かで電車がしばらく止まってしまい、だんだんあたりが暗くなる中で向かいに座っていた見知らぬおじさんが女子中学生ふたりを気遣ってくれたのか、アイスクリームをご馳走してもらったりした。滞在した松江で海水浴に連れて行ってもらった海が透明で底の丸い石が見えて美しかったこと、その海で広島から来ていた高校生男子3人組に声をかけられ、その中のひとりとその後しばらく文通をしていたのも思春期の胸がドキドキする思い出だ。

沖縄の海との出会い

その後、二十歳を過ぎて初めて行った、沖縄本島恩納村の海はそれまで知っていた海とはとにかく何もかもが違っていて、四十年以上を経た今でもその光景が写真のように記憶に焼き付いている。白い砂、遠浅、エメラルドグリーンの透き通った水。その時の滞在は短く、海に入ったのも一日だけだったけれど沖縄の海の素晴らしさは強く印象に残った。

その後、結婚して30代半ばで娘が生まれた。夫の実家が新潟の松波町にあり、海まで歩いてすぐの場所に家があった。近くにはマリンピア日本海という日本海側では最大級の水族館が、娘の生まれる4年前にリニューアルして開館し、帰省するたびに娘を連れて訪れた。それをきっかけに彼女が水族館好きになったのはもちろんだったけれど、私自身も目の前に繰り広げられる水中の世界に引き込まれ、毎回飽きもせず水槽の中のさまざまな生き物をじっくりと観察した。

40歳の時に2度目の沖縄、今度は竹富島を家族三人で訪れることになった。ちょうど思いがけず得た臨時の収入があり、何に使おうか考えた時になぜか突然ひらめいたのが、20代初めに知り合った友人が話してくれた「白いサンゴの砂の道がある美しい島」竹富島のことだった。沖縄本島から南西に400キロ以上離れた場所にある竹富島は、当時那覇から小さな飛行機で石垣島に飛び、石垣から高速フェリーを乗り継いだ先にある、周りをぐるりとサンゴ礁に囲まれた周囲約9キロの小さな島。しかし、その自然が素晴らしかった。干潮時には海岸から300メートル近く先にあるリーフまで歩いて行ける白い砂の透明な海。その浅瀬で遭遇する色鮮やかな魚たちや、写真でも見たことのない不思議な海の生物、夕方になると海岸の茂みから出没する大小さまざまなオカヤドカリなど、水槽のガラス越しでなく、自分とひとつながりの世界にさまざまな海の生き物が存在していることに深く感動した。その時には気づかなかったけれど、今考えると、自分の中の奥深くにあった、映画で見たチコが鮫と泳ぐ光景が35年を経て自分のものとして感じられたのだと思う。

沖縄のビーチで拾った貝殻やサンゴ

沖縄のビーチで拾った貝殻やサンゴ

その美しさと驚きに満ちた海をもっと自分のものにしたくて、それ以降20年以上続けて毎年竹富島に出かけた。毎年同じ宿に泊まり、夏休みに帰省するような感覚で。その間に出会った生き物、風景、そこで過ごした家族だけの時間や、娘の成長、そのすべてが素晴らしく愛おしく懐かしい、人生で一番の宝物だ。

小さな頃に偶然出逢った『チコと鮫』をきっかけに、その海のあるがままの美しさや果てしない生き物たちの世界は幼い心の奥深くに芽吹き、年月を経て自分自身の記憶の海や思い出のエピソードとともに、何ものにも代えがたい私の海物語となった。その数々の海を思い返すと今も思わず頬の緩むような優しい気持ちが湧き上がってくる。


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