グリーンランドをめぐるNATO、アメリカ、デンマークの思惑
グリーンランドとは
大西洋の北限、北極圏に位置するグリーンランドは面積216万6000平方キロメートル(合衆国の約4分の1)と世界最大の島、グリーンランド人は約5万6000人と人口密度では世界最小、大部分は1100年頃から島に定着したイヌイットの子孫である。地理的には北アメリカに、政治的にはスカンジナビアの小国、デンマーク王国(人口六百万弱)に属する。島の面積はデンマーク本土の50倍、人口は100分の1、首都コペンハーゲンまでの距離は7700km、島民の大多数は漁業を営む。ここにはすでに4500年前から色々な時代に北極圏民族と呼ばれる人々が移り住んで集落が生まれ、栄え、見捨てられ、崩壊していった。北極圏で万年雪に埋まり凍てついた島だが「緑の島」と呼ばれる。700年代から北大西洋を海運の場としていたスカンジナビア地域のデーン人は、樹木におおわれ肥沃な島が待っていると思って乗り出していったのかもしれない。
本土デンマークとグリーンランドの長い歴史は極めて複雑である。1721年から1953年までは植民地として、1979年、島は自治権をもつデンマーク王国の一部になってからは自治議会制度で治められている。同じ年にデンマークがEUに加盟してから、グリーンランドは地理的にはEUに属さないがグリーンランド人はデンマーク王国の国民であることで自動的にEU市民権を得ている。また米軍基地が配置されているが、防衛はデンマークが担当するなど、微妙かつ複雑である。
島の厚い氷河に覆われた地層は天然資源に恵まれ、気候の温暖化でこれまで氷におおわれていた北極海にアジアとヨーロッパを近道で結ぶ北方航路が開けるようになると、北極圏域を支配しようとロシアと中国が競い合ってきた。グリーンランドはその通路の重要な位置にある。資源の豊かな広大な自然にもかかわらず、島は大きな社会問題を抱えている。非人道的な植民地政策が原因だとして、デンマークへの批判は根強い。近年は独立を目指す政治勢力が伸びている。
2025年3月11日のグリーンランド自治国議会選挙は意外にも、フォーカスを社会や福祉問題に置き、独立については中道の立場を取る民主党が最多数の票を集めるという、歴史的な結果となった。トランプ大統領子息の突然のPR訪問や、押しかけ客のヴァンス米副大統領夫妻など、ぶしつけなトランプ政権から米市民権を与えると勧誘されても、デンマークからの独立に20年かかろうとも、アメリカの属国になるのは真っ平だという人が多いのだろう。最近はデンマーク本土からグリーンランドに向けられる関心が高まり、かつての植民地政策は島を利用するばかりで島民をないがしろにしていたという自己反省も聞かれた。そしてもっと島のことを知りたいという世代もデンマーク国内に育ちつつある。また国民の間の心の絆で、本土と島との距離を縮めたいと願う王家の存在もある。
マルガレーテ2世の退位とアップデートされたデンマーク国章
2023年の大みそか、デンマーク女王・マルガレーテ2世は52年間の在位を終え、2024年1月14日付けで長子のフレデリック王子に王位を譲る、年齢とともに健康状態や王国の将来を考慮すると今が潮時と思えると国民に伝えた。(王位は普通は王が亡くなることにより次に引き継がれるのが常である。)王位継承の儀式は、デンマーク王国のレガリアが女王の手から王子に手に渡され、女王が儀式場から出ていくと同時にレガリアを受け取って国王となったフレデリック10世はメアリー王妃とともにバルコニーに現れて、王位の継承を国民に告げる、そのときに王宮の車寄せで待機する馬車に運ばれて元女王が館に戻るというシームレスであっさりしたものであった。晴れ晴れとした元女王の微笑みと颯爽したフレデリック10世とオーストラリア出身のメアリー王妃の姿に集まった人々が歓声を挙げて応える様子が中継された。
新年2025年は1月1日にデンマーク王家の新しい国章が公開されて始まった。日本で天皇の即位が年号を変えるようにデンマークでは国王の紋章が新しくなる。基本的にデンマーク王家の紋は十字架で四つの部分(フィールド)に分けられた盾(シールド)が真ん中にあり、それを両側で支える男性像という意匠である。以前は盾の左下のフィールドにTre kronor(三つの王冠)と牡羊(フェロー島のシンボル)と白熊(グリーンランドのシンボル)が置かれていた。3個の王冠はかつてマルガレーテ1世(1350年代から1410年代)のもとでデンマークとノルウェーとスウェーデンが一国となったカルマー・ユニオンを象徴している。その頃フィンランドはスウェーデンに属し、アイスランド、フェロー諸島、グリーンランドはノルウェー領で、初代のマルガレーテは北欧全域を治め、地域争いは静まった。
新しい国章の盾には十字架をはさんで右上のスペースに牡羊が、左下には白熊が、どちらも大きく、スペース一杯に置かれている。グリーンランドの象徴である白熊の存在感がこれまでより大きくなったことになる。600年もの歴史をもつ王冠が消えてしまったのは残念だという声も、世界にむかってグリーンランドはこれまで通りデンマーク王国と一体だと発信しているという声も、王家は政権交代の先手を打ってアメリカをけん制している、政治介入はけしからんという声もあった。王家は新しい国章の鑑定が終わり、決定されたので公表の運びになったとだけ説明した。
グリーンランドにまつわる懸念(NATO-USA-EU)
スウェーデンテレビSVTはすでに1月末に、グリーンランドがデンマークだけの問題だと思うのは大間違いで、下手をするとヨーロッパ全体の危機にもなりかねないと報道していた。3月のNATOの首脳会議は、アメリカが脱退をやめたことで一応落ち着いたが、グリーンランドについては触れずに終わった。ルッテNATO事務総長は、なぜグリーンランドを取り上げなかったのかと問うスウェーデンの特派員に、グリーンランドは地政学的にも戦略的にも複雑な北大西洋の北極圏海域に位置するからだと答えている。
グリーンランドの北西の一角にはピツフィク宇宙基地、そのほかにも極秘のアメリカ軍の基地も島にはあると言われている。島を手に入れれば北極圏域の防衛だけでなく資源開発や北東航路を使っての海運貿易の軸に使える。広大なこの島を領土にすれば、アメリカは国土の広さでもロシアに次ぐ大国になる。ロシアがウクライナを手に入れるというなら、アメリカがグリーンランドを手に入れて何が悪い。ヨーロッパとは手を切るだけだ。これは早ければ早いほど良い。トランプ大統領の任期中にケリがつき、アメリカを再び偉大にした大統領だと後世に誇れるとの思惑であろうと見られている。
4月5日にメッテ・フレデリクセン・デンマーク首相は、グリーンランドはデンマーク王国の一部である、勝手に他国が占領することは秩序に反する存外な行為だ、グリーランドの将来はグリーンランド人が決めると反発している。ヴァンス米副大統領は、グリーンランド人の意思はもっともだ、アメリカはこれまで防衛に手を差しのべていたが、他国からの援助は要らぬと望むならアメリカはさっさと手を引く、そうなればどの国もみなこの島から撤退する、と言い返している。北大西洋の運命をたった5万6千人のグリーンランド人に委ね、米・ロシア・中国の3国から島を守れるのなら守ってみろと脅して、NATOとEUへ圧力をかけている。
グリーランドについてNATO事務総長が曖昧だったのは、ロシアや中国に取られるよりはアメリカに渡すほうが無難だと見込んでのことかもしれない。しかしグリーンランドがデンマークの手を離れるとアメリカもNATOを離れ、ヨーロッパはアメリカ無しの防衛を余儀なくされる。備えがあってもウクライナの二の舞を踏むかもしれないという恐れもある。
文学修士・公認通訳。京都出身、同志社大学英文学部大学院修了、ストックホルム教育大学卒業、エリクソン社、パブリックヘルス庁等勤務、スウェーデン公認通訳、共著「プレイセラピー、子どもの病院&教育環境」。