複雑な歴史のマルタ共和国を訪れて

Valettaを高台から見下ろす

Valettaを高台から見下ろす

2025年1月、住んでいるローマからマルタ共和国に飛んだ。長靴の形をしたイタリアの爪先に、逆三角形のシシリア島があるが、マルタ共和国は、その南90km、地中海の真ん中に浮かぶ小さな島国だ。西にすぐアフリカ、北にイタリア、東方向にローマへと同距離を進めばギリシャに当たる。東京都23区の約半分の国土に、約50万人が住んでいる。

欧州とマルタ OpenStreetMap contributors

欧州とマルタ OpenStreetMap contributors

シチリアにこんなに近いのに、地元の人々の会話に耳をすましても、ちんぷんかんぷん、まったく聞いたことのない響きである。マルタ語は、アラブ語を基礎とするクレオール(混合言語)なのだ。文字を見ても、楔形文字みたいな形が並んでいて発音の予想すらつかない。ちなみに、Godのことは、Allaというらしく、カトリック教会でお説教を聞いていると、何回もアッラという言葉が聞こえた。明らかにアラビア語源で、ちょっと不思議な気がするが、確かに、日本語のカミだって、神道だけでなく、キリスト教、イスラム教のカミサマも指すことができる。

国土拡大を目指す帝国にとって、地中海の真ん中のシチリアとマルタは重要な拠点となる。四方八方から異なる宗教と文化を持つ征服者がマルタを侵略しては、入れ替わった歴史は、実に面白く、島全土に影響が残っている。ざっとまとめてみる。

歴史

  • 紀元前3600年ごろから:マルタの原住民が巨石神殿群を作る。これはピラミッドより古く、現存世界最古の自立型遺跡らしい。
  • 紀元前1000年ごろ:今のレバノン人の祖先に近い(と言われる)フェニキア人が交易を開始。
  • 紀元前218年:第二次ポエニ戦争で、カルタゴ(現在のチュニジア辺りで繁栄した帝国。まだアラブではない)を倒したローマ共和国(多神教)がシチリア、マルタの支配を始める。
  • 60年ごろ:使徒パウロが、ローマへ護送される途中マルタで難破し、3ヶ月滞在。その間にキリスト教の布教を開始。ローマ文化、ラテン語、ローマ法が浸透し、マルタの都市もローマ風に発展していく。
  • 5世紀:ギリシャを含む東ローマ帝国(=ビザンチン帝国)がシチリア・マルタを支配。
  • 9~10世紀:イスラム勢力がシチリアに侵攻、ビザンチン帝国を滅ぼし、シチリア首長国樹立。アラブ人が灌漑技術や新たな作物栽培技術を導入する。
  • 11世紀:ノルマン人(北欧バイキングとフランス原住民の混血)がシチリアをアラブ勢力から奪還し、シチリア王国樹立。のちにマルタも王国に組み込まれる。その結果、ノルマン、アラブ、ビザンツ(ギリシャ)文化が融合した独自の建築・芸術が誕生。
  • 16世紀初頭は、カトリックの騎士団が、侵攻してきたオスマン帝国を撤退させる。
  • 1800-1964、イギリスが統治。(その直前ナポレオン率いるフランスが2年間だけ統治。)
  • 1964 イギリスより独立。

マルタ島

マルタ島の必訪観光地、世界遺産に指定されている古い地区の Valettaヴァレッタに行く。とても賑やかで、観光客も多く、明るい雰囲気だ。聖ヨハネ准司教座聖堂は世界遺産に指定されており、その巨大で威厳のある外観が印象的だ。これは、11世紀にエルサレムで慈善活動を目的に結成されたカトリックの聖ヨハネ騎士団が、オスマン帝国の脅威に対抗するために武装化し、16世紀にはマルタを包囲される危機に直面した際、激闘の末に撃退したことに由来する。この教会は、オスマン勢力を撃退した直後に建設されたため、要塞としての役割も果たしていた。内部は、私が普段目にする教会よりもはるかに華やかで豪華な装飾が施されており、圧倒された。

この教会の中にはまた、カラバッジョの最大作にして最高傑作といわれる「洗礼者聖ヨハネの斬首」と「執筆する聖ヒエロニムス」がある。ぜひ、絵の表すストーリーを予習して、見ていただきたい。筆舌し難い迫力、必見である。

次に訪れたのは、古都Mdina。ムディナは古代フェニキア時代からの歴史を持ち、ローマ時代や中世を通じて重要な政庁として栄えた。そのため、多くの歴史的建造物が存在しているが、とても静かで、落ち着いた気分になる。ヴァレッタもそうだが、ローマにある古い遺跡が、濃いめの肌色、茶色っぽいのに対し、マルタの遺跡や教会に使われている素材は、薄い肌色、クリーム色、ごく薄い灰色もあって白っぽい印象だ。これは、マルタで取れるLimestoneマルタ石と呼ばれるもので、加工が容易で耐久性があり気候に即しているとして、マルタ共和国全体で使われているという。細い迷路のような、静かな路地を歩き、高台に上がって眺望を楽しむ。バロック建築の教会を覗きながら歩く。タイムスリップしたような気分になる。

ムディーナ

ムディーナ

食べ物

海に囲まれた島だから、海鮮料理が売りだが、特に名物はパイ。あちこちで売られていて、いろいろ食べてみたが、うーん、焼きたてだと美味しいかな、という感じ。

街のあちこちで売られている名物パイ

街のあちこちで売られている名物パイ

おわりに

私の住むローマは、世界中の観光客で年中ごったがえしていて、東洋人とすれ違っても、大抵中国人か韓国人だ。ところがここマルタでは、日本語を話す個人観光客がことのほか多くて驚いた。またマルタには、同じような歴史をたどったシチリアを思い出させる景色が多かったが、言葉が全然違うため、異国情緒に浸ることができる。また塔や高台からの眺望は格別で、夕日や朝日も美しい。ヴァレッタの通りに面する建物は、カラフルな出窓が特徴的で、街はゴミが少なく、大道芸人もいて、ぶらぶら歩きもとても楽しい。

混合言語のマルタ語のほか、英語が公用語だから、コミュニケーションは問題ない。今回は北のゴゾ島に行く時間がなかったのだが、古代のブロンズ時代に建てられた巨大神殿跡があり、美しい海と青の洞窟、クリスタルラグーンを見に多くの人が訪れる模様。マルタ共和国、おすすめです。一度いらっしゃったらいかが?

Valettaの街並み

Valettaの街並み

聖ヨハネ准司教座聖堂内部

聖ヨハネ准司教座聖堂内部

博物館の展示。AllaがGodを表していることに注意

博物館の展示。AllaがGodを表していることに注意

おまけ:マルタ騎士団

マルタ騎士団という「国」をご存知だろうか。マルタ共和国とは別の主体である。国土を所有していないので日本国政府は国家承認していないが、Wikipediaによると、マルタ騎士団はイタリア、ドイツ、ロシア、スペインをはじめ国際連合加盟国の過半数112か国と外交関係を持ち、在外公館を設置している。バチカン市国も外交関係を持つ国の1つだ。私自身もマルタ騎士団を代表する大使の夫人とは友人である。彼女がマルタ騎士団はマルタ共和国と関係ないのよ!と突っぱねるので、逆に興味が出て調べると、やっぱり、11世紀に聖ヨハネ病院を経営していた騎士団が、オスマン帝国との負けたり勝ったりの戦争を繰り返す途中で、マルタ島に移り、聖ヨハネ騎士団と呼ばれるようになり、その後マルタ騎士団と名を変え、拠点をローマに移し、国連では「国連総会オブザーバーとして参加するために招待を受ける実体 (entity) あるいは国際組織」の一つとして扱われている。

故地のマルタ共和国とは1998年に条約を締結し、マルタ国内にある聖アンジェロ砦などに治外法権が認められている。また、もう一つの故地であるロドス島を領有するギリシャとも2021年に外交関係を樹立した。案外最近まで関係がシコっていたようだ。

現在、マルタ騎士団の団員は世界中に1万3000人いるが、その中でもマルタ騎士団の国籍(パスポート)を持つのは外交または公用に携わる者のみで500人と言われている。マルタ騎士団は国連の半分弱の国とは外交関係がないので、その500人もマルタ騎士団のほかに別の国籍も有すると思われる。2022年には約90年ぶりに騎士として武田秀太郎が叙任されたとのこと。

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