一度離れて再発見したワシントンの魅力~退職後のホームベース
夢をかなえる退職後の生活-南フランスとアンドラ公国
退職後はどこで住もうか?——これは、ワシントンで30年近く働いていた私たち夫婦の「いつもの」話題でした。そして二人でいろいろ考えた挙句、夫が生まれ育った南フランスで新しい生活を始めよう、という結論に至りました。
退職する前から、毎年夏には南仏で家を借りて、家族と一緒に地中海の美しい景色と美味しい食べ物を楽しんでいたので、すぐ慣れて楽しく住める、などと簡単に考えていました。もう成人になった子供たちも気軽に来てくれるだろうし、私たちも直行便で子供たちに会いに行ける。冬は南仏に比較的近くてスキーのできるアンドラ公国に拠点を置いて、フランスと行ったり来たりする。これはいい計画だ、しめしめ、と思っていたわけです。
2019年の春、夫も私もほぼ同じ時期に退職。ワシントン郊外のベセスダの家を売却し、家具や日用品など、すべての持ち物をコンテナに入れてフランスへ船便で発送。友人たちとのお別れ会をした後、2020年の2月にスーツケースを4つかかえてアンドラ公国に到着。小さなアパートを拠点として、まずはスキーを楽しみ、少し暖かくなってきたら南仏での家探しを始める、という予定でした。
思いがけないアンドラでのコロナ体験
アンドラはスペインとフランスに挟まれたピレネー山脈の中の内陸国。フランスのツールーズとスペインのバルセロナから車で約2時間半のところです。人口8万人の小さな国ですが、南ヨーロッパで最大のスキー場の一つであるグランヴァリーラ (Grandvalira)があり、毎年500万人以上のの観光客が訪れます。
ところが、アンドラに着いて数週間したころ、コロナウイルスの到来で突然すべてが停止してしまいました。最初の数週間は外出制限が課され、食料品店で必要な買い物をする場合を除いては、小さなアパートから出ることも許されませんでした。他の国に旅行することも許されず、南仏での家探しもとりあえずは延期。これは困ったと思いましたが、他の国と比べるとコロナの件数も少なく、直に外出規制も緩和されて、ちょっとしたハイキングやスノーシューなど出来るようになりました。春が訪れると、山は色とりどりの花で埋め尽くされ、 馬や牛が出てきてのんびりと草を食べ始めます。 世界中がパニックに陥る中、私たちは自然に囲まれて比較的おだやかに過ごすことができました。
やっとスタートした南フランスでの生活
コロナウィルス危機により延期せざるを得なかった南フランスでの生活は、2021年の夏にやっと実現。夫が育ったツーロンの近くで家を借りて、夢見ていた南仏の生活を始めました。ツーロンは、マルセイユから車で約45分、ニースからは約1時間半程の地中海岸沿いの港町で、人口は約18万人。ただし、海軍基地として発展した街で、ニースやマルセイユと違って、外国人はあまり多くありません。私たちが借りた家は、ツーロンからまた30分ほど離れた海辺の家で、地中海の眺めが抜群。
しばらくは、そういった環境で南仏暮らしを満喫しました。毎朝、キラキラと光る地中海を見ながらヨガやピラティスをする。日によっては海で泳いだり、パドルボードをしたり、あるいは、海岸沿いの道でハイキングをする。夫は近くのクラブでテニスの練習。お昼は海沿いのレストランで美味しいお魚を食べる。近くのワイナリーに行ってワインの試飲をしたりもしました。
ところが、秋の到来とともに 南仏で暮らすという現実が少しずつ分かってきました。夏の間の海辺は行楽客でいっぱいで、非常に活気があります。 しかし、オフシーズンになるとレストランなども閉まってしまい、海辺は閑散としてしまいます。 夏の間は、友人や家族が訪ねてくれましたが、オフシーズンになると、それもぴったり止まりました。夫の旧友たちもパリで働いていたり、必ずしも近くにいない。コロナウィルス対策の国境制限で、アメリカで住んでいる息子たちに会いに行くこともできず、夫も私も孤独感を感じ始めたのです。
ホームベース (退職後の本拠地) の考え直し
退職後はどこに住めばいいのか? これは、長年海外に住んで来たカップルにとっては、結構難しい質問です。その上、私たちの場合は国際結婚で、夫はフランス人。子供たちは米国生まれで、アメリカ人として米国で働いています。 おそらくWJWNのメンバーでもそういう方たちは多いのではないでしょうか。退職後に南仏の海辺で生活するのは私たちの夢でした。 でも、実際にやってみると、休暇で行くような所を拠点にするのはダメ、短期間ならいいけれど、長い間生活するのは現実的ではない、ということがわかりました。
考え直したホームベースの条件は、まず、子供たちが気軽に週末に来てくれるようなところ。それに、夫も私も国際的なキャリアを積んできたので、やはり国際的で、私たちと似たような経歴の人が多い街。自己成長やボランティア活動の機会がたくさんあるところ。長年の仕事や友人関係で広げたソーシャルネットワークがすでにあるところ。やっぱり、ワシントンへ帰ろう、という結論に達しました。
ワシントンでの再生活
ということで、2023年の終わりにUターンしてワシントン郊外のベセスダに帰って来ました。コロナ後の物価上昇には驚きましたが、長年の友達ともまたつながって、楽しい生活が始まりました。長年続けてきたZUMBA 、筋トレ、ピアノのレッスンも復活。Uターンしたのは大変だったけれど(引っ越し、永住権取得、家の購入とリフォーム、などなど)、一度離れたおかげで、ワシントンの良さを再認識することができました。
夫は家のすぐ近くのテニスクラブで長年のテニス仲間と毎日練習。シニアのテニストーナメントにも参加して、60歳のグループで世界1番のランキングを達して大満足。私は仕事をしていた時には出来なかった習い事もいろいろ始めました。退職前に時々開催していたダンスパーティーも最近やっと復活。ニューヨークの周辺に住んでいる息子たちも、週末に気軽に来てくれます。久しぶりに母の日を一緒に過ごし、大変に幸せを感じました。
生け花
ワシントンは自己成長の機会がいっぱい。ちょっとネットで探すと何でもあります。その中で、まずは前からやりたかった生け花の先生を見つけました。小原流の生け花の先生は、日本人のWAIN 裕子先生。月2回のお稽古は, いつも満室。若い方、お年寄りの方、女性、男性、肌の色も国籍もいろいろ。こんなに異なるグループの方たちが生け花に興味があるのか、と驚きました。裕子先生が支部長であるワシントンの小原流支部は、年に何度か勉強会があり、ニューヨーク支部の先生が来たり、他の流派の人たちとも交流する機会もあります。
マージャン
新しい自宅は、テニスクラブのすぐ近くで、そのクラブを通して近所の人たちとの付き合いが頻繁です。その中の友達に誘われて、最近、麻雀を始めました。麻雀は、アジア系のおばちゃんたちか(そういえば私もそのおばちゃんなのですね)、酔っぱらったおじさんたちがやることだ、と思いこんでいたのですが、最近アメリカで大変人気が出てきているのです。アメリカ式麻雀というのは日本の麻雀とは若干違って、白人のアメリカ人の友達に教えてもらいながら毎週水曜日の夜に近所の女性たちとガヤガヤ楽しんでいます。
終わりに
ワシントンに帰ってきて本格的にリタイア後の生活を始めたのは、まだ2年ほど。今後とも、いろいろな機会を探して楽しくやっていこうと思っています。今のところは習い事や社交活動に集中していますが、将来的にはボランティア活動などもやろうと思っています。
東京出身。2019年に27年勤めた世界銀行を退職。2002年から3年間のカザフスタン転勤以外は、1992年からワシントン在住。ベセスダの家の建設も終わり、やっと退職後の生活を楽しみ始めたところ。









