家族のスパイダーウェブ

私が自分で描いた家族の蜘蛛の巣のイメージ

私が自分で描いた家族の蜘蛛の巣のイメージ

どのように「家族の風景」を描こうか迷いましたが、日本に住み続けていたら解らなかったであろう、アメリカならではの家族のあり方を主人側の家族が観せてくれたので、私のアメリカの家族について書こうと思います。

主人の両親はアイルランド系とフランス系で、私が32歳で結婚した時点で、主人にはドイツ系の前妻との間に4人の子供がいました。私はその子供達と同年代だったので、彼らから歓迎されないことを覚悟して結婚しました。ところが、結婚して35年間、主人の前妻キャロルと4人の子供たちから、優しさと愛情しか頂いたことがありません。多様な家族構成が存在する国だから、それなりに心構えができているのだろうかと、長い間不思議でなりませんでした。なかなかチャンスがなかったのですが、何十年も経ってから「どうして私と、義妹である私の子供達に初めから優しかったの?」と聞いてみたところ、4人の答えはほぼ同様で「う〜ん、多分そのように育てられたんだと思う」でした。6年前に天国に行ったキャロルの優しさを思い出すと感謝の気持ちでいっぱいになります。この国のダイバーシティーがもたらすものは、理解と寛容だけではくくりきれませんが、主人が残してくれたアメリカの家族の細胞の中には理解と寛容が埋め込まれているように感じます。

長女

世界最悪レベルの治安と言われるエルサルバドルでエルサルバドル人と結婚し、コミュニティ・オーガナイザーを生涯の仕事としてきました。強い信念と発言力を持つアクティビストとも言えます。家族の誰かが困った時には、自分の生活資金を削ってでも真っ先に行動を起こす人で、現在はコロラド州デンバーのエルサルバドル人の多い地区に住んで、コミュニティをサポートしています。昔日本にもあったような「みんなの子供だからみんなで育てよう」、「困った人がいたらみんなで助けよう」という互助精神がコアのコミュニティのようです。長女には孫が4人できましたが、大人たちがそれぞれ違う曜日に休みを確保して、代わり代わりに面倒を見ているので、孫たちはデイケア サービス知らずで育っています。

長男

長男の職業はシェフで、インド人の奥さんとの間に息子ができ、その息子はパキスタン人の女性と結婚して孫もできました。インドとパキスタンの紛争の歴史を考えると、アメリカならではの縁結びの神様がいたのでしょう。ある時、パキスタン人の彼女を迎えに行ったら、民族衣装で家から出てきました。今日は誰かのお祝い?と聞いたら、それが普段着だというのです。2017年アカデミー賞にノミネートされた映画「The Big Sick」を観て、パキスタンの文化習慣でガチガチのコミュニティがアメリカに存在することを知りましたが、まさにあのような環境で育った女性です。

長男は働き盛りの時に、膝下切断を余儀なくされて片足義足となりましたが、それをきっかけのように前向きな性格がさらに前向きになり、身障者のためのスキー・インストラクターにもなり、メイン州の自然を満喫して過ごしています。彼が参加するとチャリティのファンドレイジングで多額の寄付が集まるという、不思議なオーラの持ち主です。

次女

彼女は、15歳年上で3人の息子を持つ男性と結婚して、さらに2人の間に2人の子供ができました。私と似通ったスタイルの結婚だったので、分かり合えるところがある人です。この夫婦は「アメリカンドリーム健在」を見せてくれました。彼らがノースカロライナ州に移ってゼロから事業を起こすと言った時には、私の主人が心配していたのを覚えています。次女は、困った時にはすぐに人に相談して、もらったアドバイスを素直に実行する人で、描く夢はいつも「巨大」。会社はどんどん成長して、生活スタイルも良くなって行くのを見せてもらいました。人のために行動することを惜しまず、常に肉体的貢献と金銭的貢献をしています。貢献はできるようになってから始めるのでなく、今できる範囲ですればいいということを学ばせてもらいました。

三女

信仰深い三女は、ペンシルベニアの郊外で同じ教会に通う医者と結婚しました。相手は奥さんを病気で亡くし幼少の息子2人を持った男性で、三女は突然2人の母親となりました。自分たちの子供が欲しかったけれども、叶わなかったことは後で知りました。この夫婦は、他の兄妹たちとは違ってあまりオープンでなく、自分の息子たちを囲って他の家族と関わりを持たせないようにしているように見えました。そして息子たちがティーンになった頃、長男がゲイであることが家族の耳に入ってきました。三女夫婦は信仰的理由から、長男がゲイであることを長い間認めることができなかったようですが、他の兄妹家族はニュースが耳に入った時から、普通にそれを受け入れ協力的でした。めったに会う機会がなく血が繋がっていなくても、若い世代の間で交流がありサポートできたのはソーシャルネットワークのおかげです。三女夫婦は、現在はオープンに話すようになり、息子達ととてもいい関係を築いています。次男はJETプログラム(注)に参加したのがきっかけで、日本人女性と結婚しました。(JET Programは、海外の青年を招聘し、地方自治体、教育委員会および全国の小・中学校や高等学校で、国際交流の業務と外国語教員に携わることにより、地域レベルでの草の根の国際化を推進することを目的としたプログラム。総務省、外務省、文部科学省が地方自治体と協力して行なっている。)

私と主人の間の娘二人

私たちの知らないところで、親ほど年の離れた異母兄弟たちに助けられ可愛がられて来たようです。異母兄弟に加え、私たちの娘と同年代の主人の孫たちは、それぞれ違う州や国に住んでいますが、強い絆があるのがわかります。「蜘蛛の巣みたいなネットワークを作りなさい」と子育て中に言われたことがあります。蜘蛛の巣は、数本の糸が切れても穴が開いても蜘蛛が地面に落ちることは無いのですよね。現在は孫が8人、ひ孫が7人になって、家族のスパイダーウェブは広がっています。

主人

人一倍、ダイナミックな観点とエネルギーを持っていて、学びの廻し方、お金の廻し方、感謝の廻し方、楽しさの廻し方を知っている人でした。亡くなって4年半になりますが、今でも大家族の中心は主人で、いつも家族を見守って応援してくれていると信じています。


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