ゲーム好きな人にもそうでない人にもおススメの小説 “Tomorrow, and Tomorrow, and Tomorrow”

“Tomorrow, and Tomorrow, and Tomorrow” by Gabrielle Zevin

“Tomorrow, and Tomorrow, and Tomorrow” by Gabrielle Zevin

ビデオゲームという世界を舞台にしたゲーム開発プログラマーの話、と聞くと「ゲームなんて未知の世界」と敬遠される方もいるかもしれない。あるいは、Nintendo3DSに釘付けになったり、最新のプレステ(PlayStation)をせがまれたり、オンライン RPG(ロール・プレイング・ゲーム)に没頭する子供たちや孫を見て、「ゲームばかりして困るわ」と嘆く子育て世代かも知れない。そのようなネガティブな印象を持っていても、また人生でビデオゲームをプレイしたことがない読者でも気軽に手にとって楽しめる小説が、ガブリエル・ゼヴィン著の「Tomorrow, and Tomorrow, and Tomorrow」である。日本語版は早川書房より、「トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー」の題で刊行されている。

あらすじ

物語は、サム・マスア(ハーバード)とセイディ・グリーン(MIT)という二人の主人公が偶然、ボストンの地下鉄で再会するシーンで始まる。二人は幼少の頃、病弱で入退院を繰り返していたサムの病院で出会い、大好きなビデオゲームを通して独特な深い絆を築いた。疎遠になっていた二人が学生として出会い、改めてゲーム愛を共有しながら、独自のストーリー展開を背景とした新しいゲームの世界を構築するプログラミングを探求していく。そして共同開発していくプロセスで、ゲームの商品としての浮き沈みを反映しながら、二人の人間として、プログラマーとしての成長が描かれていく。

内向的で恋愛偏差値の低いコミュ障のサム。快活、聡明ながら不倫関係に悩むセイディ。二人を物理的、精神的に支えるサブ・キャラクターのマルクス・ワタナベ。登場人物の関係性や繊細な心象が、サムとセイディが開発するゲーム、「The World War」の世界にも反映されていく。ゲームのデザイン面だけではなく、プログラミングは彼らの葛藤、妬み、欲望、思慕と、多感な若者の内面性が複雑に絡み合い、独特な世界観を創り上げる。

Made in Japan ビデオゲームの影響

ビデオゲームプログラマーの話だけあって、物語には実在するビデオゲームが多く取り上げられ、物語の背景に大切な要素となっている。中でも日本で生まれたゲームやビデオゲームのコンセプトが小説全体に象徴的に登場し、主人公たちのプログラミングに大きな影響を与えていることが分かるらしい。「らしい」というのは、この分析がZ世代バリバリ現役ゲーマーである娘からの受け売りだからだ。彼女によると、例えば、主人公たちがプログラミングする上で、シンプルでわかりやすい仕組みでありながら、より複雑なストーリーベースの体験型ゲームに進化するゲームデザインのお手本として描かれているのは「スーパーマリオブラザーズ」。「パックマン」はアーケードゲームの黄金時代の代表作としてノスタルジーを喚起させ、そして、二人が幼少期にプレイしたと推察され、今でも絶大な人気を誇るこの任天堂のアクションアドベンチャーゲームシリーズ「ゼルダの伝説」は、主人公の絆の試金石となる。また、主人公たちが初めて共同開発するゲームのキャラクターの名前が「Ichigo」と命名されたりと、今では世界的に目覚ましい進化を遂げたゲーム市場の礎を築いた日本のゲームクリエーター達へのオマージュとも取れる。これらのゲームがZ世代に深い影響を与え、彼らのアイデンティティや感情形成に密接に関わっているのも読み取れ、興味深い。

明日へ

本書の紡ぐストーリーは、ビデオゲーム業界という多くの昭和世代にとって馴染みの薄いテリトリーの中であっても、中核はシンプルで普遍的な小説のテーマで容易に共感できる。サムとセイディにとってビデオゲームは単なるエンターテイメントに止まらず、彼らのアイデンティティーや、創造力の原動力、そしてテクノロジーが可能にする世界観だ。しかし、恋愛で悩み、クリエイティブな工程でのプレッシャーに苦しみ、ビジネスの方向性の違いによる信頼関係の亀裂や挫折など、彼らの成長のプロセスは、とてもごく普通の人間的な姿だ。IT化が進む中で育ったZ世代を夢中にさせるビデオゲームというレンズを通して、生きていくことのチャレンジを軽いタッチで描写した作品はすごく読みやすい。

タイトルの「Tomorrow, and Tomorrow, and Tomorrow」は、シェイクスピアのマクベス5幕で語られる独白からの引用だそうだ。

    あした、あした、そして、あした(へ)と、しみったれた足取りで日々が進み、
    ゆきつく先は運命に記された最後の時だ。
    Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow
    Creeps in this petty pace from day to day
    To the last syllable of recorded time;

否応なしに時は進み、誰しもが待ち構える運命に対峙する。物語の始まりに出てくる 「Journey」 というゲームが示唆するように、アナログ世代もデジタル世代も人生の旅をしている。サムとセイディも。


    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です