特集「人生で一番の宝物」:心の友、ギター
「人生で一番の宝物」とは
VIEWSから特集記事の執筆依頼が来た。今回のテーマは「人生で一番の宝物」とのこと。今の私にとって、このテーマは誠にむずかしい。宝石、家、車、楽器、本、音楽CD 、絵画、思い出の品物、いやお金かな、いやいや命でしょう、でも健康でなくては、それも有意義で楽しい人生でなくては、、、と思いはめぐるのだが。このテーマはDesert Island disc(BBCのラジオ番組)が発想の源で、そもそもは「これだけは孤島に流されても持っていきたい物」とのこと。
孤島と言えば、20年以上前に実話をもとに作られた「Cast Away」という映画を思い出す。フェデックスのシステム・エンジニアを乗せた飛行機が太平洋で墜落し、無人島に辿り着いた。そこから主人公のチャック(トム・ハンクス)が帰還するまでの4年間の姿を描いたものだ。彼がどうしてサバイバルできたのか。その理由は二つあると思う。一つは、一緒に流れ着いた配送品のバレーボールに顔を描いてウィルソンと名付けて話し相手にしたこと。二つは、長年付き合っていたガールフレンドの存在。これからの彼女との幸福な生活が、生き抜いていく大きな力となった。
では、今の私が孤島に流されたら、絶対に持って行きたい宝物一つとは何だろう。それで、BBCのラジオ番組がどう展開しているのかを調べてみた。すると、ゲストに①音楽CDを8枚、 ②本1冊、 ③贅沢品1つを答えてもらい、それにまつわる物語をトークしていくとのこと。それなら私にも話せそうだ。幸い音楽も好きだし。②本1冊は、今回は省きたい。
懐かしいギターとの出会い
ということで本題に入る。私の「人生で一番の宝物」は、「ギター」である。私は音楽が大好きだ。それも聴くことよりも演奏することが私の最大の喜び。これまで3つの楽器(ピアノ、フルート、ギター)をきちんと習い、趣味として続けてきた。中でもギターはお気に入りで、弾かなかった時期はまったくない。今日まで(18才から)59年間続けてきた。
では、ギターを始めたきっかけの話をしよう。高校3年生の2学期、我が校3年生の部活動(吹奏楽部に所属していた)は1学期で終了し、全員が受験体制に入る。でも、それまで部活だけに生きてきた私は寂しくて仕方がない。そんな時、NHK教育チャンネルで「ギター教室」、半年で 『禁じられた遊び』 が弾けます、という番組を見つけた。「これだ!」。すぐ本屋でテキストを購入し、親に中古のギターを買ってもらい、毎週1回30分、休まずTVの前でレッスンを続けた。受験勉強はそこそこに。半年後、私は見事に 『禁じられた遊び』 をマスターした。プログラム内容はクラシック・ギターの基本奏法だったので、あとは応用だ。当時、全盛期だったフォークソングやポピュラー曲はほとんど容易に弾きこなせた。
その後、私は看護学校に進学し、学生寮に入ったので、もちろんギターも持参した。寮では夕食後など、歌好きの仲間が私の部屋に集まってきて、当時流行していたフォークソングなどを私のギター伴奏で歌った。「この広い野原いっぱい」、「小さな日記」、「若者たち」、「花の首飾り」、「あの素晴らしい愛をもう一度」、「ドナドナ」、「花はどこへ行った」、「カントリーロード」などなど、きりがない。何と懐かしいことか、涙が出てしまう。また、病院実習の休み時間、入院患者さんの所へギターを持参して弾いてあげ、とても喜ばれた。当時、古賀政男の演歌「悲しい酒」とか「湯の町エレジー」などのリクエストもあり練習してそれに応えたこともあった。
さらなる関り、こだわり
その後、結婚しても、子供ができても、職場が変わっても、アメリカに渡ってもギターだけは弾いていた。ちょっと高価なフォークギターも購入した。これまでに5台のギターを手にしたことになる。そして、さらに腕を磨いた。例えばビートルズの「Yesterday」。ポール・マッカートニーのギター奏法をビデオでじっと観察し、その通りに弾く。サイモン&ガーファンクルの「スカボロフェアー」「サウンドオブサイレンス」もしかり。
ある日、フィリピン出身の英会話の先生が「ANAK」という曲を知っているかと聞いてきた。同じフィリピンのフレディ・アギラーが自作自演で世界中にヒットさせたポップスだった。日本では「息子よ」というタイトルで杉田二郎や加藤登紀子が歌っていた曲だ。アギラーのオリジナル版を聞いてみた。何とすばらしい、久しぶりの鳥肌ものだった。日本で聞いたそれとは別もののようだった。何が違うのか、それは歌い手とギター伴奏、編曲の違いだと確信した。ギターって凄い。私はすぐアギラーのギター奏法をネットで探し、楽譜通りに練習した。特殊な分散和音のテクニック奏法が難しく、何日もトライしてやっと弾けるようになった。苦労しただけのことがあり、今ではお気に入りの一曲になっている。
ケアファンドでの思い出
2015年5月のこと、メリーランド州ロックビルに、「ジャパニーズ・アメリカンズ・ケアファンド」のメリーランド支部が新装オープンし、セレモニー、レセプションなどが開催された。当時、私はそこのボランティアをしていたこともあり、セレモニーの企画や準備に携わった。大勢の参加者が予想され、何かパフォーマンスをということになった。たまたまボランティアの中にプロの歌手(川元頼子さん、当時35才)やバイオリンが弾ける学生(今村ミシェルさん)がいたので、私が音頭を取り3人で日本の歌を披露することになった。曲目は「森のくまさん」、「ふるさと」、「四季の歌」、「バラが咲いた」、「シクラメンのかほり」、「カントリ―ロード」。歌が引き立つよう伴奏の編曲に力を込めた。私は「シクラメンのかほり」のギター伴奏が好きで、いつもオリジナルのそれと同じ奏法で弾いていた。きっと受けるだろうと張りきった。そして、その曲が終わると会場から大きな拍手がわき、大盛況だった。今でもこの曲を弾くたびに、その時のことを思い出す。実は歌手の川元さんは乳がんを患っており、当日もケモセラピー後の脱毛のためウィッグを装着しての出演だった。彼女はその後、一年足らずで天に召されていった。6才と3才の坊やを残して。私にとって涙、涙の「シクラメンのかほり」になってしまった。
心の友、ギター
ハワイに住み始めて1年、ここハワイで「人生の最終ステージ」を健康で楽しく生きるための努力を続けている。いろいろな場所に出向き、人々との交流を積極的にしている。話が合いそう、人が良さそう、と思えば「うちにランチに来ませんか。私が日本食を作ります」と誘う。そしておいしい食べ物を振舞いながら、私のピアノやフルートを披露する。そしてギターの伴奏で歌う。みんなが一緒に歌いだす。何と楽しい一時か。
ギターは私にとって心の友、いや分身ともいえるかもしれない。手軽にどこでも弾けること、何といってもいろいろな人々との出会いや交流ができる。一緒に歌って心を通い合わせることができる。
孤島に流されてもギターがあればいい。今の私はフェデックスのチャックのようには頑張れないだろうが、ギターを奏でていれば、幸せに死んでいけるだろうと思う。
1948年山梨県生まれ。保健師、ケースワーカー、養護教諭として30年勤務。その後再婚のため渡米、MDの Rockville と WV の Bunker Hill に20年在住。2024年8月ハワイ島へ移住、夫と二人暮らし。2004年から山梨日日新聞社の海外リポーター




