英国の政治体制の一部である極右

2024年7月末、英国中で暴動が広まった。北はマンチェスターから南はポーツマス、そして北アイルランドでも亡命希望者の居住住宅やモスクが攻撃された。暴徒は警察にも狼藉を働き、警察官が多数負傷し警察車両が燃え上がった。ロンドンでは首相官邸のあるダウニング・ストリートへ火炎物が投げられ、街中で移民によると思われた殺傷事件への抗議行動が広まった。暴力による治安妨害や暴行で1000人以上が逮捕され、すでに600人以上が起訴された。暴動には過激な人種差別者や解体されたイスラム憎悪団体「イングランド防衛同盟」(EDL)の残党も加わっていた。

暴動のきっかけはイングランド北西部の町サウスポートで6歳から9歳の少女3人が殺害され、10人が負傷し、SNS等で犯人は「小さなボート」で渡ってきた亡命希望者でありムスリムらしいというデマが流れたことだった。実際の犯人は英国生まれでルワンダ系の17歳の少年だった。人気歌手テイラー・スイフトをテーマとしたダンス教室に参加していた子供たちをナイフで襲ったが、その動機はまだ明らかになっていない。

治安関係者や学識者の間では、ここ数年で英国や欧州各地で極右が過激化していることへの深い懸念が広まっていた。一瞬で英国中に広まった暴動は、表面をちょっと削れば社会の中に根深い白人至上主義、移民への差別、ゼノフォービア(異質な人や文化恐怖症)があることをさらした。

英国の極右の流れとブレグジット

英国の極右の根は深い。ファシズム、ナチズム、反ユダヤ教運動にはじまり、極右運動は繰り返し勢いを増してきた。1932年には労働党議員だったモズレー準男爵がイギリス・ファシスト連合を結成した。第二次世界大戦中に連合は禁じられたが、その後、帝国忠誠派連合や極右政党のイギリス国民戦線(NF)、そしてイギリス国民党(BNP)などが結成された。

第二次世界大戦後、植民地 が徐々に独立し、大英帝国の崩壊は免れなかった。旧植民地からの移民が増えるに従い、非白人やアジア系移民反に対する対運動が強まり、入国反対だけでなく、すでに英国に在住している移民の本国送還を求め、移民や政治家への言葉での攻撃だけでなく暴力行使にも至った。

アフリカの植民地の独立を認めた保守党首相の政策に失望した保守党支持者の支持もあり、NFは1970年代には地域によっては第三政党として力を発揮するほどになった。1990年代に入るとBNPにとってかわられたが、背景には英国の欧州連合(EU)との複雑な関係がある。

ほとんどの英国人には英国はEurope(欧州)の一部という感覚はない。英国人にとって「欧州」といえば「欧州大陸」を意味する。自分たちは武力衝突を繰り返し二度の大戦を引き起こした「欧州大陸」の一員ではなく、第二次世界大戦では一国でナチスに立ち向かい「欧州大陸」を救ったという強い自負心がある。その英国が、自分たちが救った国々が結成せざるを得なかった欧州経済共同体(EEC,現在のEU欧州連合)に加わり、金融政策やさまざまな法律が自国のそれに優先するのは主権を失うことであるという理由から、加盟は論外であった。それでも1970年代に加盟したのは、経済状況から迫られた苦渋の決断であった。しかし英国の心はEUにないと言われ続けた。

ブレグジット(EU離脱)はこうした土壌に生まれた。EUの一員になっても英国とEUの摩擦は続き、EU加盟国の多くが共通通貨ユーロを創設しても、英国はユーロを採用しなかった。国境での検査などを撤廃するシェンゲン協定にも加盟しなかった。歴史や民族的つながり、核を含めた安全保障政策や諜報と、英国にとってはアメリカとの「特別な関係」がより重要とみなす人も多かった。

ブレグジット支持派は主権回復を前面に打ち出し、さらに経済的恩恵も掲げた。しかし、多くの支持者の心には移民排除があったのも間違いない。離脱運動に勢いをつけたのは、イギリス独立党(UKIP)であった。EU離脱を中心政策とし、移民削減、反多様性、英国のイスラム化反対を掲げ、ナイジェル・ファラージュが指導者になると移民反対を強調し、白人労働者階級の支持を集めた。ブレグジットの成功にはファラージュのカリスマ性や巧妙な戦略が貢献したのは間違いない。

ファラージュは長年ドナルド・トランプ前アメリカ大統領支持者であるが、今回の米大統領選挙でもトランプを応援している。ハイチからの移民が、住人のペットを盗み、食べているというトランプの発言ですら擁護している。ウクライナ戦争に関しては、ロシアはEUや北大西洋条約機構(NATO)拡大に挑発され仕方なくウクライナに侵攻したと述べている。

「移民」とはだれ?

しかし、英国で「移民排除」といっても簡単ではない。英国の場合「移民」にも大きく二つの分類がある。一つは英連邦の国々からの移住者である。英連邦は英国を含み現在は56か国からなるが、ほとんどが元英国植民地であった。インド、パキスタン、南アフリカ、ナイジェリア、カリブ諸島などだが、君主国と植民地という時代から多くの人々が英国に移り住み、学び、政治や経済産業の一部として欠かせない存在となっている。

前首相のリシ・スナク氏の両親はインド系で東アフリカからの移民である。スナク夫人はインド生まれインド国籍のビジネス・ウーマン、父はインドの大手IT企業創設者で大富豪である。スコットランド労働党党首アナス・サルワーの両親はパキスタン系のムスリムである。他にも保守党や労働党の閣僚だけでもナイジェリアやバングラデシュ、ガイアナ生まれの二世がいる。経済や学術、スポーツの面でも他国に比べて英国社会では旧植民地出身者の統合が進んでいる。

こうした英連邦からの移民やその子孫をいまさら減らすのも入国を制限するのもまず不可能である。ブレグジットで削減できるのはそれ以外、例えば中東や中国、そして「欧州大陸」からの労働者や移民、難民である。しかし、ブレクシットにより、英国に欠かせない主に「欧州大陸」からの教育レベルや技能レベルが高い白人労働者や移民の確保が難しくなった。一方アフガニスタンや中東、アフリカからの亡命希望者は減らない。大陸欧州までたどり着き、フランス沖から小さなボートで英国に渡ろうとする難民も後を絶たない。

近年変化する極右の性質

今の英国には、かつてのNFやBNPのように力のある極右の政党はない。ブレグジット後はUKIPの存在感もなくなった。2018年に設立されたリフォーム党は、元UKIPのファラージュが党首になり存在感を増しているが、同党は過激な右派ではなく右派ポピュリスト党で、ファラージュは7月の選挙では9度目の挑戦ではじめて英国下院議員の議席を得た。

しかし長年極右を追ってきた専門家は、近年極右により危険な傾向がみられると懸念する。BNPのようにファシズムの伝統を引き継ぎ、選挙で議席を得るだけの力のある極右団体も、そうした団体を率いるリーダーもいないが、その代わりにより過激な小さなグループが誕生した。ネオナチでテロ組織として非合法化された「ナショナル・アクション」や「ゾンネンクリーグ・ディヴィジョン」、治安組織に目を付けられないよう小さなグループとしてオンラインで活動を広める「パトリオティック・アルターネティブ(愛国的代替)」などである。

こうしたグループは政治団体として組織化することもなく、小さなグループで通常はほとんど表社会にでることもないことからあまり影響力をもたないと思われがちだが、決してそうではない。少数だからこそ目立たず行動ができ、ネット上で容易に過激な思想を広められる。単独犯が襲撃計画を立てたり、実行に移すことはこれまでにもあった。例えば2017年には、ロンドン中心のフィンスベリー公園でムスリムの集団に大型車を突っ込ませた殺害の単独犯も極右で、反イスラムのオンラインサイトを見て過激化した。

極右活動家が過激な行動や発言をするのは、移民やムスリムへの嫌がらせだけが目的ではない。政治や社会の右傾化を助長することも狙いであり、実際移民やムスリムに関するSNS上のデマで、簡単に数週間に及ぶ暴動が起こる。英国が長年抱えてきた極右の根は、簡単に絶やされるどころか地下で脈々と広がっている恐れがある。


    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です