ソーシャルメディアを考える
ソーシャルメディアとの出会い
インターネットの利用が益々盛んになって来ていた2000年前後、我が家では長男が放課後に友達とメッセージを交換し合うため、AOLが提供していた「AIM」というチャットサービスを熱心に利用していました。クラスメートたちとネットを通じてリアルタイムで言葉を交わす楽しさに惹かれ、彼がキーボードを叩くタイピングのスピードはみるみるうちに速くなっていったものです。その数年後、息子達は高校に進学すると次々にFacebookを利用するようになり、私は彼らがそれらのサービスを利用する姿を通じて「ソーシャルメディア」という存在を意識するようになりました。
あれから四半世紀近くが経ち、現在ではスマートフォンとそこに流れる無数のソーシャルメディア(SNS)が、私たちの日常生活の重要な一部になっています。その用途は友達や家族との個人的なふれ合いにとどまらず、政治活動、情報周知、商業広告、DIYのハウツーガイドなど、いまや多岐にわたっています。自然災害発生時には被害状況や避難先情報をリアルタイムで拡散できる利便性が謳われたりもしており、私たちとソーシャルメディアとの関係は益々深まりつつあります。
Twitterから得た恩恵
私が初めて利用したソーシャルメディアは、Twitter(現X)でした。Twitterが普及しはじめた頃、写真や画像を気軽にアップロードでき、メッセージは140文字までというシンプルさが利用者に受けただけではなく、利用者の中には、入力を140文字に収めるための工夫も面白いチャレンジと受け止めている人もいたようです。
私にとってTwitterは利用開始当初、自己表現やメッセージ発信の場というよりも、ただいろいろなツイートを「傍観」する場所でした。でもそんなある日、思いがけない恩恵を授かりました。Twitter上で、大学院時代の懐かしい旧友の名前を見つけたのです。彼女とは昔同じ門下で親しく勉強した仲であったにもかかわらず、私は結婚で日本を離れ、その後連絡が途絶えてしまっていたのです。ソーシャルメディアがない時代だったら、一度連絡先がわからなくなってしまった相手と再び接点を見出すのは難しい事だったに違いありません。当時私は日本への里帰りを計画していた矢先でもあり、早速Twitterを通じて彼女にメッセージを送りました。
日本での彼女との再会は言葉に尽くせぬほど懐かしいものでした。今では彼女が教鞭をとる昔懐かしい母校のキャンパスを一緒に歩いたり、お世話になった恩師とも夕食を共にするという素敵な時間にも恵まれました。夕餉の席でTwitterが果たしてくれた役割を恩師に聞いていただいたのは言うまでもありません。
ソーシャルメディアとのその後
しかし、ソーシャルメディアを通した繋がりがすべて楽しいものばかりではないことはよく周知されています。表向きには創作名が利用できるXやInstagramでは、その匿名性を利用して虚偽情報を拡散したり他人に対する誹謗中傷を発信する人も現れました。著名人に限らず誰もがその被害にあう危険性を孕んでいます。
基本的に「実名」で加入することを規定しているFacebookは、前述のプラットフォームと対照的に個人情報が他者にわかりやすいような設定になっているために、それに起因するプライバシーの侵害というトラブルも指摘されています。また、遠くに住む友人や家族とも誕生日を祝いあったり旅先の風景や家族写真を容易にシェア出来るという長所がある一方、それが同時に短所にもなり得ます。予期せぬ「フレンドリクエスト」が届いた際に発生する心理的プレッシャーを感じたり、ネット上で見る他人の充実した日常と自分を比較して疲弊してしまう可能性も、難点と言えるでしょう。
私が最近ついつい時間を費やしてしまうのがInstagramです。私はもともと、好きなオペラ歌手やバレエダンサー達をフォローして彼らの投稿を楽しむために利用し始めました。こちらは長文を読み込む必要がなく、イメージと音声が中心なので、手軽で見やすいのが魅力です。しかしその裏で利用者を注意深く監視しているアルゴリズムの存在を忘れるわけにはいきません。利用者の興味をひきそうな投稿、商品、動画などをうまく選択して次々と提示してくるそのアルゴリズム商法と見やすさゆえに、指先で画面をスクロールする手が止まらなくなり、気づけば驚くほどあっという間に時間が過ぎていることもしばしばです。
ソーシャルメディアへの賛否
ソーシャルメディアの種類も最近は多様化しており、それらの利用者層も益々拡大していくことでしょう。私たちはこのデジタル社会とどう向き合っていくべきなのでしょうか。
ソーシャルメディアは、私たちが年を重ねいつか自由に体を動かせなくなったあとも、社会や大切な人たちとの「つながり」を保ち続け、孤独を癒やしてくれるツールとなってくれるはずです。そうした恩恵を楽しく、また末永く享受するためには、ソーシャルメディアの正しい利用法をきちんと身につけなければと感じる今日この頃です。



