なぜか懐かしい場所 ー フランス・シャンパーニュ地方

もっと昔にここに来ていたら、未知のドアが開いたかもしれないのにと、めずらしく後悔に似た気持ちを引きずっています。娘に突然「フランスに行こう」と誘われて、7月にパリとシャンパーニュ地方の旅をしました。パリを知る友人お薦めの場所に加えて、モネが睡蓮を描いたアトリエと庭園があるジヴェルニーにも足を運び、バケットリスト(死ぬまでにやりたいことのリスト)のひとつを達成した喜びがありましたが、なぜかシャンパーニュ地方には後ろ髪を引かれるような思いが残っています。

「フランス語をもっと真面目に学んで、安いアパートを借りてシャンパーニュ地方で夏を過ごすのを目標にする」などと、帰りの飛行機のゲートで娘に言って大笑いされました。3泊4日、そこで味わった心地良さにまた触れに行きたいと思う自分に驚いています。見えないトンネルで繋がってしまった理由を私なりに考えてみました。 

その土地を愛している人達のオーラに包まれる

ユネスコ世界遺産でもあるシャンパーニュの丘陵

ユネスコ世界遺産でもあるシャンパーニュの丘陵

シャンパーニュ地方には2つの重要な街、ランス(Reims)とエペルネー(Épernay)があり、ブドウ畑と醸造元が集まっています。スペインのカヴァやイタリアのプロセッコのように、発泡ワインは世界中各地に存在しますが、シャンパンと呼ばれるためには厳しい規則があり、醸造者はそれを厳密に守らなくてはなりません。そして、シャンパーニュ委員会は、経済成長の推進力として、ブドウの栽培・醸造者の生産的なパートナーシップの構築に努めています。1万6000を超えるブドウ栽培農家、130の醸造組合、ブドウ栽培から醸造、ブレンド、熟成まで一貫して行う370以上のメゾンと聞いただけで、自分が知っていたシャンパンの銘柄は全体のほんの一部だということがわかりました。

発泡ワインがシャンパンと呼ばれるための規則をいくつかご紹介すると、

  • シャンパーニュ地方で栽培、醸造すること
  • 規定された7品種のブドウを使用すること(主な品種はシャルドネ、ピノ・ノワールとムニエ)。
  • ブドウ畑の列と列の間の距離と、木が成長する高さを規定通りに守ること
  • 手摘みで収穫し、酸化防止のため収穫直後に定められた圧搾場で圧搾すること
  • 1ヘクタールあたりの最大収穫量を守ること
  • ブドウ4000キログラムから絞る果汁は最大2550リットルまで
  • 伝統的な瓶内二次発酵で造ること
  • 最低熟成期間はノン・ヴィンテージで15ヶ月、ヴィンテージで36ヶ月

ここまで書いて、日本人の農作物栽培に対する姿勢に似ていると思いました。日本の野菜や果物は味、風味、食感などのバランスとその色・形において最高だと思います。特にお酒造りの背景にはシャンパーニュ地方と同様、神話の時代から先祖代々受け継がれてきた伝統と、気候変動にも対応し続けるたゆまぬ努力があるはずです。今回は大手の醸造元2カ所と、小さな無名の醸造元2カ所を訪れました。その規模に関係なく、案内する担当者の話ぶりから、シャンパーニュ地方の伝統を愛し、ブドウを愛し、シャンパンを愛し、あらゆる過程に関わる組織と人が協力し一体として共存して行こうとする心を感じました。この地方を愛して、静かな情熱を伝える人たちのオーラに包まれた体験は私にとって最高でした。

シャンパンと呼ばれるには、決められた7品種のブドウを使用するなどの厳格なルールを守る必要がある

シャンパンと呼ばれるには、決められた7品種のブドウを使用するなどの厳格なルールを守る必要がある

神様に選ばれた土地

シャンパーニュの丘陵とメゾンと白亜のカーヴ(貯蔵庫)を合わせて、ユネスコ世界遺産となっています。その中でもカーヴとして使われている白亜のトンネルは、元々は古代ローマ時代に掘られた石切場だったというのです。ヴーヴクリコ(Veuve Clicquot)というメゾンのカーヴは地下約30メートルの位置にあり、その全長は24キロメートルで約4千万本のシャンパンが眠っています。余談ですが、映画「Widow Clicquot」は、ヴーヴクリコ創業者の未亡人が事業を受け継ぎ、育てた実話に基づいています。

地下の貯蔵庫に眠るシャンパン

地下の貯蔵庫に眠るシャンパン

私たちはルイナールというメゾンのツアーに参加しました。世界で初めて白亜の採石場をシャンパンの熟成と貯蔵庫として利用したメゾンです。一番深い場所は地下38メートルで、何十万本もの高級シャンパンが眠っています。湿った岩肌が生き物のようにそびえたり、うねったり、幻想的な空間には光のアートが展示されていました。そこにあるかもしれないローマ時代の採石者の影も意識しながら、なんとも全身が震えるような感慨深い体験をさせていただきました。遥か昔から今に至るまで、採石やワイン造りに関わった魂たちに敬意を捧げたいと思いました。

どこまでも続くローマ時代に掘られた白亜のトンネル

どこまでも続くローマ時代に掘られた白亜のトンネル

メゾン・ルイナールのシャンパン

メゾン・ルイナールのシャンパン

シャンパーニュ地方の白亜の土壌はぶどう栽培に最適だとのこと。優れた保水力と水はけの高さがあり、ぶどうの根に必要な水分とミネラルの補給に優れています。そして、その下に位置する白亜のトンネルは温度も湿度も安定していて貯蔵庫として最適であるとはなんという組み合わせでしょう。もし白亜の土壌とその下に掘られた白亜のトンネルが一体として存在しなかったら、今のシャンパンは生まれ育たなかったのかもしれません。「偶然」という一言では納得できません。

光がかもし出す幻想的な空間

光がかもし出す幻想的な空間

自分が好きなシャンパンが最高のシャンパン

200年以上に渡り家族経営を貫くビルカール・サモンという名門メゾンがあります。ウェブサイトからツアーを申し込もうとしましたが、業界関係者か既存の顧客にしか行っていないとのこと。仕方ないと諦めていた私たちに、まるで空から降ってきたかのような偶然が起こりました。頼んでもいないのに紹介者が現れ、同メゾンのメールアドレスを手に入れた私はダメ元でメールをChatGPTにも手伝ってもらって作成し、念を入れて送信ボタンを押しました。OKの返事をいただい時には狐につままれたのではと思ったほどです。実際に参加しているのは、家族がワイナリーのオーナーである人とか、ある都市の一番の卸業者などでした。ツアーの後、3種類のシャンパンをテースティングして自分の好みをひとりひとりシェアしましたが、全員が一番値段の高いシャンパンを選んだわけではありませんでした。そこでメゾンの担当者が言ったことは、「自分が好きなシャンパンが一番のシャンパンですよ」ということでした。訪れた4つの醸造元で、合計9種類のシャンパンをテースティングしましたが、風味や舌触りが違っても私は全て美味しいと思いました。

ルイナール家用のシャンパンは鉄格子の向こうに

ルイナール家用のシャンパンは鉄格子の向こうに

最後に

いよいよ最後の日、私たちはランスからパリのシャルル・ド・ゴール空港に向かい、帰りのエールフランス機に搭乗しました。機内のアナウンスが流れ、シャンパンが運ばれてきました。行きの飛行機では楽しんだはずなのに、シャンパーニュ地方で3日間過ごした帰りの飛行機では、同じものを喉に流すことが至極難しく、一口いただいてグラスをテーブルに置きました。

一本のシャンパンにはその歴史、製造過程、そして関わる人々のストーリーが幾重にも詰まっていることを知りました。だからあの土地にまた戻っていきたいのだと思います。


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