ワールドカップサッカーと芸術を満喫したロシア旅行
FIFAワールドカップ・ロシア大会
「ワールドカップで、ロシアに行くんだ」――。ロシア語を専攻した私の過去を知っている大学時代からの友人I君の一言が、16日間5都市をめぐるロシアの旅の出発点だった。1990年のワールドカップ・イタリア大会から観戦しているサッカー大ファンの妹は「南アフリカ大会とブラジル大会は行けなかったから、今回はロシア語ができる(?)おねえちゃんと是非行きたい」。私の主目的は、昨年亡くなった大好きなオペラ歌手のお墓参りだ。
国際サッカー連盟(FIFA)のサイトで、日本の一次リーグ3戦のチケットをゲット!世界的イベントで、飛行機もホテルも価格は高騰。1戦目の対コロンビア戦があるサランスクは航空券もホテルも全て売り切れ。モスクワから夜行で13時間、試合観戦後に再び10時間の夜行で戻ってくる寝台車の切符を取った。なんとか交通機関と寝る場所は確保。2戦目のエカテリンブルグと3戦目のボルゴグラードのホテルは全くなく、I君のホテルの部屋に泊めてもらうことにした。
モスクワに到着
6月17日午前中、シアトルからモスクワに到着。ワールドカップ大会は既に始まっているので、大勢のファンがいる。目立つのはラテン系の家族で、祖父母も小さな子供も連れて一家総出で観戦に来ている。東京から来る妹と、17日夕方ボリショイ劇場で待ち合わせ。スーツケースを抱え劇場前のベンチに座っていた妹と感激の再会を果たした。
バリトン歌手ホヴォロストフスキーのお墓参り
バリトン歌手ディミトリー・ホヴォロストフスキー(Dmitri Hvorostovsky)は、昨年11月に55歳の若さで脳腫瘍で亡くなった。世界で有数のバリトン歌手は、キャリアの最盛期に亡くなったのだ。私は彼が1989年カーディフのコンクールで優勝して以来のファンで、ニューヨークに住んでいた時は欠かさず聞きに行き、花束を渡しサインをもらっていた。シアトル引っ越し後も、彼のスケジュールに合わせ毎年ニューヨークに行っていた。日本でも大勢の女性ファンが、「ホロさま」を追いかけていた。彼はモスクワのノヴォデーヴィッチ修道院にある墓地に眠っている。入口で場所を聞いたのに見つからず諦めかけていた時に、真新しい木の十字架にたくさんの花が添えられているホヴォロストフスキーの写真が目に飛び込んで来た。おもわず「あった!」と大きな声を出していた。時間をかけてお参りし、脇のベンチにあったノートに彼への思いをつづった。感無量。2日目でロシア旅行の大目的は終了!
試合観戦
サランスク行きの夜行列車は、日本人とコロンビア人で満員。席は中央18列目。観客のほとんどは黄色いユニフォームのコロンビア応援団。開始直後にコロンビア選手が悪質な反則のレッドカードで退場し、香川選手のペナルティキックで先制点。コロンビアに1点返されたが大迫選手の追加点で日本勝利。晴天の中で勝ち試合を観戦するのは、とても気持ちがいい。
24日はエカテリンブルグでセネガル戦。快晴で暑い。席は2列目。50メートル前に長友選手がいる。ワールドカップでこんないい席に座れるなんて夢のようだ。セネガルに先制点を許したが乾選手がゴールして同点に追いつき、後半は乾選手の惜しいシュートもあったが、またセネガルに追加点。そこで本田選手登場。観客が大きくどよめく。彼のゴールで同点。引き分けで終了。目の前で試合を見ることができたので、一番印象の強い試合だった。ポーランド戦は28日にボルゴグラード。39度の暑さ。席は11列目。川島選手がよく守ったが後半に1点いれられた。日本は決定的なチャンスがなく、交代した長谷部選手が入った後はボール回しに転じ、観客から猛烈なブーイング。イエローカードを増やさないようにボール回しを始めたとのことで、1次リーグを突破するための戦術だったのだ。全ての試合に日本から応援団が来ていて、毎回必ずワールドカップを見に行くという大ファンがたくさんいることがわかった。
バレエとオペラ
芸術の国ロシアに来たので、バレエとオペラも堪能した。ボリショイ・バレエの「アンナ・カレーニナ」は、ハンブルグ・バレエのノイマイヤーの振り付けによる新作。トルストイのストーリーに沿っているが現代的な解釈で、アンナの愛人ヴロンスキーはラクロス選手!音楽はチャイコフスキーとシュニトケの抜粋にキャット・スティーブンスの3曲。現代的な振り付けと超絶技巧が素晴らしい。マリインスキー劇場のバレエは「ドン・キホーテ」。バジリオ役は韓国人のキミン・キム。売り物の回転を決めて大喝采を浴びていた。日本人の石井久美子もソロで登場。
オペラ「フィガロの結婚」はボリショイ新劇場。これも現代的なセッティングで、ケルビーノ役が秀逸。マリインスキー新劇場ではベルディの「イル・トロバトーレ」。ワレリー・ゲルギエフ指揮で4列目中央。ルナ伯爵役は、ホヴォロストフスキーの当たり役だったので、彼だったらどんなに良かったかと改めて涙。
サンクトペテルブルクで訪れたエカテリーナ宮殿とぺテルゴフ離宮
サンクトペテルブルグでは、郊外のエカテリーナ宮殿とぺテルゴフ離宮を訪ねた。つてを頼って車と運転手を調達し、運転手はサンクトペテルブルグ大学を今年卒業したマーク君。英語が大変上手で私のロシア語は出る幕なし。21歳なのにロシアの歴史から最近の政治情勢まで質問に全て答えてくれ、妹と二人で非常に感心した。
最初にエカテリーナ2世の離宮であるエカテリーナ宮殿を訪問。青い外壁に白い円柱、随所に金箔がちりばめられた宮殿はとても美しい。まず美しい庭園を散策。この素晴らしい庭園を女帝の家族だけで独り占めしていたのかと思うと複雑な気持ちになり、内部に入るとその気持ちはもっと強くなった。何十室もある絢爛豪華な部屋。圧巻は四方の壁に琥珀をちりばめた「琥珀の間」。但し、この宮殿はナチスドイツとのレニングラード攻防戦の時にほとんどが破壊され、1979年から復興し、「琥珀の間」は2003年に完成した。
次はぺテルゴフ離宮へ。モスクワからサンクトペテルブルグに首都を移しバルト海を制覇したピョートル大帝は、フィンランド湾を望むこの地にヴェルサイユ宮殿を模して離宮を作った。大宮殿の前の大きな滝が海に向かっている壮大な景色に圧倒された。庭園内には約150の噴水と4つの滝があると言われている。宮殿の中は、エカテリーナ宮殿と同じように、豪華絢爛な部屋が次から次へと並ぶ。大窓から海まで続く景色が見える黄金の装飾にちりばめられた広い謁見用の部屋に入った来客は、どんなに重圧を受けたことか。ここもレニングラード攻防戦の時にほとんどが破壊され、全て修復されたのは、1990年代以降である。
ワールドカップは世界的なイベントなので全ての地域で警備が厳しく、地下鉄の駅にも警官が5メートルおきに立っているほどだったが、道案内を聞くときちんと答えてくれ、ロシアの印象が変わった。妹は、「食べ物がおいしくて本当に良かった」。特別な高揚感を与えてくれるワールドカップの試合を3試合も見て、ホヴォロストフスキーのお墓参りもできた今回の旅は非常に思い出深いものになった。ロシア語と歴史を勉強しなおして、またロシアに行きたい。
東京都出身。上智大学外国語学部ロシア語学科卒業。Yale大学MBA。ニューヨークで証券会社勤務後、シアトルに移住。現在は教育コンサルタント。