お掃除こそ、経営に役立つ
大森信著 「掃除と経営」 光文社新書

大森信著「掃除と経営」光文社新書

大森信著「掃除と経営」光文社新書

私の掃除好きを知っている友人が「掃除と経営」という本を教えてくれた。日本では断捨離が大流行りで、近藤麻理恵さんの整理収納法は海を越えて旋風を起こしたが、それとはちょっと違う本書のアプローチに心が魅かれた。

著者は経営戦略の教鞭を取る現役教授。しかも大阪商工会議所で400社を超える企業を対象にリサーチも行ったというから、ますます興味が沸いた。本書は日本に限らず、経営管理と戦略に軌跡を残した人物や環境に関する歴史に加えて、掃除と経営の関係性を理論的に探究している。経営者向きの本だが、過去から現在までの事例がたくさん紹介されていて、非常におもしろく読んだ。

たかが掃除、されど掃除

「仕事でない物といかに向き合うか」について、これまで経営学者はあまり考えて来なかったそうだ。病院関係のあるセールスマンの例によると、院長室の整理整頓の様子を見れば、話の展開がおおよそ予想できるという。魂は細部に宿る。本来、仕事でないものにこそ、その人や組織の本質や本性が浮き彫りになって来ると著者は言っている。

宗教 対 掃除

歴史的探究編では、経済学者ウェーバーが20世紀初頭に指摘した、宗教によるマネジメントのパワーに触れている。プロテスタントの厳しい論理が勤勉に働く労働力を生み出し、顔見知りでない不特定多数の人々のマネジメントを可能にしたという理論だ。そのおかげでイギリス、アメリカ、オランダには大規模の組織が成立したのだという。

西欧の宗教に対して、日本の経営者たちが活用したのは掃除の力であったと著者は結論づけている。宗教による思想連帯よりも、身体を動かす活動連帯の方が日本企業には有効であるようだと言っている。日本には昔から、掃除や整理整頓に熱心に取り組む企業が驚くほどたくさんあるそうだ。本田宗一郎が「トイレを見ればわかる」と言った逸話や、松下幸之助が「精神の持ち方を教えるのも私の責任だ」と言って、ほうきとバケツを手にトイレ掃除をしたという逸話が頭をよぎる。そういえば、日本が世界中に輸出したトヨタの5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)も活動連帯を促す手法だ。

トイレ掃除で宿る精神

理論的探究編では、トイレ掃除が取り上げられている。トイレ掃除には(1)誰にでもできる(2)日々掃除が必要(3)身体全体を使用という3つの特性があり、これらを「凡事」と著者は呼んでいる。評価も報いも無い凡事を懸命にやり続けることで宿って行く精神、それが自発、継続、改善、感謝の精神だと言うのだ。この精神が社員の多くにエートスとして宿ると、小手先的な差別化を求めなくても、よい会社、人の魅力や威力に溢れた会社となるのではないかと問うている。

もしかしたら自分磨きの掃除?-400社を超えるアンケートが示すこと

掃除で得られる効用は、物理的にきれいになることに加えて、人材育成にも繋がるという。知主導型ではなく、行動主導型の人材育成だ。掃除に対する姿勢には三段階あって、自分のため、他人のため、そして全ての人のためと変化して行くそうだ。三つの全ての段階が組織内に存在していることが問題解決力に寄与すると言っている。

この章を読んで、東京目黒の老舗のとんかつ屋『とんき』を思い出した。カウンターに座ると、調理場の熟練の職人技も堪能できる。でも私が思い出したのは、更に奥で清掃をしている初老の女性だ。無駄のない手際の良さで隅々まで完璧に磨いて行く。だから、あの長い無垢のヒノキのカウンターはいつもピカピカなのだ。その女性のことをオーナーの家族にちがいないと勝手に思った覚えがある。たぶん、自分の仕事に対するオーナーシップがその女性のエートスとなっていて、それが見えたのだと思う。この女性と同じ空間で仕事していれば、躾など必要無いと思う。さらに、お客にもその精神が伝わり、店全体の空気を変えているのだと、その光景を思い出して確信する。

ワン・ベストウェイを求めない

掃除を大切にすることは、目的が事前に判明しないものや非効率に見える事を軽視せずに、戦略策定や形成のプロセスを把握しようとする試みだと著者は言う。これをStrategy as Practiceと呼ぶそうだ。「戦略は実践にしたがう」ということらしい。米国は目的を事前に明確にしたうえで、それを効率的に追及することを合理性としてきた。でも、今日のように変化のスピードが速く、不確実性の高い環境下では、短期的なものへと陥る危険性があると著者は指摘している。特定の国の特定の企業を規範としたり、ワン・ベストウェイとしないことを提唱している。

この本のお陰で、歴史的に日本人に宿っている掃除の心得と、掃除から目に見えない効用を受けていることを知ってありがたいと思った。経営の歴史を垣間見ることもできた。様々な地域、国が大きな実験台となって、お互いに影響を与えながら経営の在り方が変遷を遂げてきた。このこと自体が、bird’s-eye viewでのStrategy as Practiceにも見える。経営とは無関係な人でも楽しめる本だ。

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