ドイツサッカーチームの無残な敗退を招いたドイツの「トルコ問題」
2018年夏、ロシアでサッカー・ワールドカップが開催された。会社では同僚は朝からサッカーの話で盛り上がっていた。彼ら曰く、ドイツはサッカー大国。ワールドカップ開催期間外でも地元のチームを応援するファンは熱狂的にスタジアムや試合が放送されているバーに集い、ビールとソーセージを楽しみながら応援に励んでいる。
今回のドイツチームへの期待は国内では薄かったが、グループステージでの敗退は他国のサッカーファンには衝撃だっただろう。他にも期待されたスペインや前回2位のアルゼンチンが早々と敗退し、強豪オランダやイタリアが参加権さえも取得できなかった事もあり、予想できない大会になった。ロシアが8強まで残るとは誰が予想しただろう?
サッカーチームに影をおとしたトルコ問題
ドイツチームでは大会開幕前から不穏な空気が流れていた。理由は色々あるが、メディアと国民の注目を一番集めた問題はドイツ代表のエジル選手とギュンドアン選手が5月にトルコのエルドアン大統領とロンドンで記念写真を撮ったことだ。エジル選手とギュンドアン選手はともにトルコ系ドイツ人である。
なぜこの二人の行動が大きな波紋を生んだのかを理解するにはドイツ国内のトルコ人の歴史を知ることが必要だ。1960年代、ドイツ政府はトルコから働き手としてたくさんの移民を誘致していた。特にルール地方では産業が発達したため、多くのトルコ人が移住してきた。しかし、大半がイスラム教徒のトルコ人とクリスチャンのドイツ人とでは様々な点で習慣が異なり、両者の間に亀裂が入った。トルコ系ドイツ人もドイツ社会になじまない。ドイツ在住トルコ人のドイツ語力の無さも大きな問題となっている。何十年も住んでいるのに一言もドイツ語をしゃべらないトルコ人は少なくない。移民を受け入れた側の文化への尊敬が足りない、と不満に思うドイツ人の気持ちは分からなくもない。
トルコ大統領のドイツへの介入
近年ではトルコ系移民への嫌悪感はさらに増している。その一番の理由はエルドアン・トルコ大統領の独裁的な政権にある。トルコ系ドイツ人記者がトルコ国内で政権に反する意見を持った者という理由だけで逮捕されたが、ドイツ人にしてみれば、意見の違いのみで逮捕されるのは許されない事である。ドイツ政府も介入したが、釈放には一年かかった。またエルドアン大統領は昨年ドイツ内で選挙活動を行ったり、ドイツ内の選挙についてトルコ系ドイツ人がどのように投票するべきかを表明するなど、頻繁にドイツの国内状況に介入した。
ドイツに住むトルコ系ドイツ人はなぜトルコ政府の言うことに従うのか?なぜトルコに帰らないのか?そういった疑問や批判を口にするドイツ人は少なくない。
この背景を頭に入れると、なぜドイツ人からエジル選手とギュンドアン選手へ批判が上がったか理解できるであろう。ギュンドアン選手は政治的な意図は無かったと釈明を試みたが、エジル選手は説明する必要はないと思ったようだ。過去にもエルドアン大統領との会見はあったが、今回は大統領の選挙活動に「利用」されているとみられた。エジル選手は2試合、ギュンドアン選手は1試合に出場したが、ドイツのファンからもブーイングを受け、他の選手との連携プレーにも問題があった。メディアがここまで過剰反応すべきだったのか、私には判断できないが、この二人がチームのスランプに貢献してしまったことは否定できない。
国民と世界を結ぶサッカー
そんな問題を横目にサッカーファンのドイツ人は大会期間中、家や車の窓に沢山のドイツ国旗をかざした。ドイツの試合がある日には町中で観戦パーティーが行われ、街を歩けば右も左もサッカー中継が放送されていた。デュッセルドルフが州都であるノルトライン・ウェストファレン民はドイツ内でも陽気といわれ、サッカー観戦中も若い人からお年寄りまで知らない人にでも気軽に話しかけてくる。よくドイツ人はストイックと聞くが、私の経験ではおしゃべりでお茶目な人たちだ。サッカーやオクトーバーフェストを通して交流を試みると結構うまくいくものだ。
初めて渡独し、留学していた2006年にドイツでワールドカップが開催された。珍しい事に大会期間は晴天の暖かい日が多く、サッカー(観戦)日和となった。私はブラジル・スペイン・インド・イタリア・ギリシャ・ベトナム・オーストリアからドイツへ留学していた友達と一緒に首都ベルリンでサッカー観戦を楽しんだ。ベルリン以外でも多くの都市で国際交流の場がサッカー観戦という形で実現していた。ベルリンの前に6か月住んでいたゲッティンゲンは人口10万人程の高層ビルもない丘に囲まれた町だが、メキシコチームのベースキャンプに指定され、ワールドカップ開催中はちょっとしたラテンフレアを感じさせる街になった。地元の人との交流試合も行われ、「Die Welt zur Gast bei Freunden(世界中からの訪問者を友のように受け入れよう)」というスローガンに相応しいムードだった。
ドイツチームは準決勝で優勝チームのイタリアに負けてしまったが、世界各国の人々がドイツを訪れた2006年の大会は「Sommermaerchen(夏のメルヘン)」として映画にもなった。サッカー代表チームを讃える「Danke(ありがとう)」という曲は、ドイツチームの健闘もあり発売開始から5週間ドイツのチャート一位に輝いた。
2014年には悲願の4回目の優勝を果たし、決勝戦の後は町中に車のクラクションの音が鳴り響いたが、2006年の大会の方が自国で開催され特別なイベントとして皆の心に残った。外国人への温かみでは他国に劣るというイメージもあるドイツ人。ドイツワールドカップ後に行われた調査では外国人との関わり方を考える機会が増えたと答えたドイツ人が多かった。同時に、ドイツを訪れた外国からの観光客・ファンは旅行先としてのドイツ、そしてドイツのホスピタリティを以前より評価するようになったとの調査結果も出た。
ドイツ代表チームの中でも問題になった国際関係・政治。今回の大会ではドイツ内の亀裂は大きくなってしまったようだが、こういったスポーツイベントを通して、世界中がお互いを尊敬し共にこの小さな地球で暮らしていけるようになるように、そう願わずにはいられない。そんな思いを胸に、毎年益々暑く乾燥していくドイツの夏を、ナーヘ地方のリースリングを楽しみながら過ごしている。
埼玉県生まれ。千葉県とカリフォルニア育ち。カリフォルニア大学サンタバーバラ校環境学部卒。中高時代から興味があったドイツ在住もあっという間に計6年半。堅苦しく思われる経理部勤務だが、実は MotoGP (オートバイレース)観戦と旅行に没頭する行動派。