青い妖精 - オーシャンシティの風に乗る
青空。波音。砂浜。色とりどりのパラソル。
そんなのどかなビーチ風景にそぐわない、音速飛行の爆音が地を轟かす。青空のキャンバスに美しい機体が弧を描く。海との境界線を縫うように飛んだかと思えば、次の瞬間は太陽を目指して垂直飛行する。あの興奮。あの緊張。あれはいつだったか、私たちは華麗に空を舞う「青い妖精」に恋をした。
ここはオーシャンシティ。メリーランド州屈指のビーチタウン。この街では年に一度、類稀な才能が大空に開花する。
潮風に誘われて
陽に当たるのも虫に刺されるのも苦手な私と夫は、海も山も好んでは行かない。バケーションの行き先も著名な建築物や美術館が多い大都市を選んでばかりだった。そんな私たちをオーシャンシティに呼び寄せたのは海水浴でも日光浴でもなく、近くのアウトレットモールだった。ショッピング後にランチを取るためにボードウォーク沿いのスポーツバーに立ち寄った。太陽が眩しい夏の日だった。そして、奇遇にも年に一度開催される米海軍航空ショーの日だったのだ。屋外席で冷たいカクテルを舐めながらぼんやりしていると、突如、耳をつんざくような轟音が聞こえてきた。慌てて人々の視線の先を追うと超高速で飛ぶ黒い鉄の塊が見えた。青空をバックに白煙のアートで観客を魅了していたのはF-22 ラプターだった。ロッキードマーティン社が米空軍のために開発した戦闘機で一機150億ドルはくだらないという。その次に現れたのがブルーエンジェル。そう、私たちを虜にした「青い妖精」だった。その名の通り鮮やかな青い翼が印象的な美しい機体だ。
まず、4機のブルーエンジェルがそれぞれ超至近距離で飛行を続けながら直線からダイヤモンドに飛行形態を変えるという難易度の高いフォーメーション・チェンジ(Formation Change)という技術を披露した。続いて、6機による同技を見事に成功させ、技術力の高さを見せつけた。最後は4機のブルーエンジェルが巨大な「十」のかたちで四方向から中心に向かって飛行し、衝突寸前で華麗にかわすというパフォーマンスで観客を沸き上がらせた。
水着いらずのビーチ旅行
見渡すと砂浜は巨大なレンズを構えてベストショットを狙う航空機ファンでいっぱいだった。彼らの目的は海水浴でも日光浴でもなかったのだ。私たちも翌年から水着を持たないビーチ旅行が恒例になった。ある年は出発直前に車が故障したにも関わらずレンタカーで、また、ある年は出産間近の臨月の身で、そして、ある年は11ヶ月の息子を巻き添えにして。さすがに一歳未満の赤ちゃんを連れている人は少なく、周りの人に「赤ちゃんの耳に飛行機の爆音は大丈夫かしら?」と心配された。しかしながら、身勝手な母親である私は「息子は一年前も私のお腹の中でこの音を聞いていたので大丈夫だと思います」と説得力のあるような、ないような返答で苦笑いされてしまった。
新しい伝統
オーシャンシティ航空ショーは毎年6月中旬の週末に開催され、今年で11年目を迎える。ボードウォークの中心部にテントが立ち、司会者のブースが設けられる。基本的にビーチからショーを眺めるのは無料だが、テント下の観客席は有料となる。VIP席の観客には食事が含まれ、ショーの後でパイロットたちと記念撮影することもできるという。私たちはいつも中心部に程近い無料席にパラソルを立てる。正午、ショー開始のアナウンスで一瞬の静寂が訪れ、オーシャンシティにアメリカ国歌が響き渡る。出演する航空機はその年によって異なるものの、海軍兵が空からパラシュート着陸するパフォーマンスに始まり、プロペラ機によるアクロバット飛行、戦闘機のシュミレーション飛行と続く。そして、終盤に差し掛かる頃、ブルーエンジェル、もしくはサンダーバードなどの小型高速航空機によるアクロバット飛行が始まるとビーチの熱気は最高潮に達する。時速500マイルという想像を絶する速さで現れ、美しい回転飛行で魅了したかと思えば、一瞬で空の彼方に消えていく。一機の飛行では音速に近い時速700マイルにも達するという。そして、紺碧の大空をバックに複数の機体が超至近距離で飛翔するその全体像の美しさには言葉を失う。一瞬の隙も許されない。わずかなコントロールミスはパイロットの命さえ奪いかねない。張り詰めた緊張感。それゆえの感動。私は手に汗握り、瞬きすることさえ忘れて、彼らの飛行を見つめる。
選び抜かれた若きエリート
司会者のアナウンスでパイロット一人一人の名前と出身州そして年齢が告げられる。アリゾナ州出身25歳、コロラド州出身23歳…と皆若い。海軍パイロットと言えばエリートだ。その中でも抜群の飛行技術を持ち、鍛錬に鍛錬を重ねた者がこの日オーシャンシティの空を飛ぶ。パイロットの家族もこの浜辺にいるのだろうか。母親は愛する息子の命をかけたフライトを直視できるのだろうか。私なら...できないだろう。我が息子が海軍のエリートパイロットだなんて素敵だけど、できることなら一般旅客機のパイロットあたりで落ち着いてもらえるとありがたい...。 どうやら、愚かな母親の妄想まで空を飛んでしまったようだ。
愛知県出身。高校卒業後、渡米。American Universityにてビジネス学士号・会計学修士号を取得。現在は同大学で研究寄付金の会計に携わる。