おひとりさまの終活
私の終活
私は今終活の真っ最中。これは私自身の終活ではなく、以前メリルリンチに勤務していた時のお客様が突然お亡くなりになり、私がやむを得ずPersonal Representative(法律に準じて死後の手続きをする人、以下PRと略します)になったことによるものです。おひとりさまがアメリカで亡くなるとどのようになるかがわかると思うので、この経験をお知らせしようと思います。
お客様は80歳代。アメリカに独り住まい、ご兄弟とその家族の皆様は日本です。ご家族はやはり80歳近く、英語もできませんし、アメリカに来ることはできません。なので、私がPRとなりすべて行うことになりました。日本にいるご家族に連絡し、葬儀社を探して火葬の手配をし、お住まいのコンドミニアムにあった所有物の整理(大変だった)と売却、車や不動産の売却、税金申告やその他請求書の支払いなど、私がすべてやることになりました。その作業は、お亡くなりになった1年以上たってからもまだ続いています。不動産、車、銀行口座などはProbateと呼ばれる手続きを経てご家族に分配されますが、それにはまだまだ時間も費用もかかります。
お亡くなりになってすぐに、医師に死亡を確認してもらいお身体を葬儀社に運んでもらわなくてはいけません。葬儀社の手配は日本領事館の方に助けていただきました。やはり、日本国外におひとりでお住まいの方がお亡くなりになることは時々あるそうで、日本人の方が働いていらっしゃる葬儀社を紹介していただきました。火葬には家族のサインによる承認が必要ですが、その手続きや遺灰の日本への郵送、死亡証明書の発行手続きなどは葬儀社にお願いできます。その後、Probateを専門に行う弁護士をお願いしました。PRになるためには州政府に許可をもらう必要があり、日本のご家族に承認書にサインをしてもらったものを弁護士を通じて州政府に送り、承認してもらいます。その際に私がお亡くなりになった方のPRであることを証明するLetter of Administrationという書類が発行され、それがあらゆる場で必要となります。
お金に関して言えば、手続きが一番簡単だったのは生命保険(実際は年金保険の死亡保険金分)でしたが、それでも数か月かかかりました。生命保険には受取人指定が必要なので、受取人となっているご家族に書類を記入していただき、その書類と死亡証明書を送り、死亡保険金が支払われました。ちなみに葬儀社の費用は保険会社に連絡することで、死亡保険金から直接支払いが可能です(それはすぐできました)。保険金の支払いはアメリカの場合普通小切手で行われますが、日本ではアメリカの会社が発行した小切手を口座に入金するのは不可能でした(マネーロンダリングの可能性があるため)。保険会社に連絡を取ってワイヤートランスファーにしてもらいましたが、そのためには日本の銀行の支店長のサインが入ったレターが必要でした。(それを手に入れるのにも数か月・・・)
アメリカの銀行口座に関しては、PRの人はEstate 口座を開設でき、銀行口座にあった預金をそこに移すことができます。証券口座は受取人指定があるIRAのようなリタイヤメント口座と普通の口座に分かれますが、普通口座でもTransfer On Deathという書類に生前サインをして金融機関に届け出をしておくことで、受取人が指定できます。
終活で心掛けるべきこと
これまで終活の第一歩としてエンディングノートを作っておくべき等、皆さまにアドバイスをしてきましたが、今回おひとりさまのPRを実際に担当してみて、以下のことをお勧めしたいと思います。
- 家族が居住国にいる人は、認知症になる前に自分の意思を伝えておくこと(家族がいれば遺言がなくても大体何とかなります)
- PCのパスワードをプリントアウトして、家族に渡しておくこと(要アップデート)
- 大切と思われる書類がどこにしまってあるか、書いて家族に渡しておくこと
- 家族が居住国にいない人は、友人、知人に日本にいる家族の連絡先を伝えておくこと
- できれば遺言を作成してExecutor(遺言に沿って資産を処理する人)をお願いしておくこと。近い年齢の友人ではなく(一緒に歳をとっていくので)なるべく年が若い人が理想的
- アメリカの場合、遺言を作成しても、時間もお金もかかるProbateは避けられないので、避けたい場合は弁護士に依頼して信託を作成すること
- アメリカにはProbate専門の弁護士がいるので、家具の売却、ごみの処理などの信頼できる業者を弁護士に紹介してもらうこと
- 家族の有無にかかわらずなるべく断捨離をして、家にあるものを減らしてゆくこと
みなさん、できることからやっていきましょう。そしてなんといってもやはり断捨離は大切ですよ。
2021年9月に開幕した日本初の女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」の初代チェア(理事長)を務めた。女子サッカー黎明期に選手として国際大会に出場したアスリートのキャリアと、日本、シンガポール、アメリカの金融機関で38年間活躍したビジネスパーソンのキャリアを併せもつ。サッカー界でも金融業界でも、女性というだけで行く手を阻まれそうになったが、情熱と行動力で、いわゆる「ガラスの天井」を突破してきた。著書に『心の声についていく 自分らしく生きるための30のヒント』(徳間書店)がある。プロフィール写真撮影:野瀬勝一(日本銀行の広報誌「にちぎん」2022年72号)。