イエジー・コシンスキ著「ペインティッド・バード」

イエジー・コシンスキ著「ペインティッド・バード」松籟社

イエジー・コシンスキ著「ペインティッド・バード」松籟社

本書を手にしたきっかけは、2019年の東京国際映画祭で「ペインティッド・バード」(2020年に邦題「異端の鳥」として公開)という映画を観たからである。169分にも及ぶモノクロのウクライナ/スロバキア/チェコ合作映画が放つあまりの衝撃に、エンドロールが終わっても席を立てなかった。描かれているのがどこの国でいつ起きた出来事なのか、想像はできるものの、映画では明確にされていない。この映画をもっと深く知るために、1965年にアメリカで初出版され、母国ポーランドでは長いこと禁書となっていた、映画原作の本書を手にすることとなった。

第二次世界大戦の始まりから間もなく、収容所に送られることを恐れた両親は、6歳の少年を東欧の大都市から遠く離れた村へと疎開させる。しかし2ヶ月も経たないうちに、里親となった年寄りの女性は死んでしまい、少年は4年ものあいだ辺鄙な村から村へとひとりぼっちで地獄めぐりの旅を続けることとなってしまう。少年が様々な迫害を受けた原因は、見た目の違いである。同族婚姻を続けてきた一帯の村人たちは、肌の色が白く、ブロンドの髪に青か灰色の目をしていた。しかしオリーブ色の肌に黒髪で黒い瞳の少年は彼らにとって異質な存在だった。

タイトル「ペインティッド・バード」の意味

少年がひととき身を寄せた先の鳥売りの男は、苛立ちが募ると丈夫そうな小鳥を選び、カラフルでけばけばしいペンキを塗りたくって大空を飛ぶ仲間の群れに向かって放った。喜び勇んで飛び立ち、群れに飛び込んでいった小鳥は仲間から次々と激しい攻撃を受け、ついには事切れて地上に落下してしまうのだ。村人たちは、自分たちとは違う肌や髪の少年のことを、悪霊に取り憑かれており、その黒い瞳に見つめられると悪い魔法をかけられると忌み嫌った。貧困と無知は、理解できないことへの恐れや不安を助長させ、違うものを徹底的に排除しようとしたのだ。

このタイトルが示す普遍的で悲惨なメッセージは酷く私を落ち込ませ、自分がペンキを塗られた鳥だとわかった時の、少年が抱いたであろう絶望を思うと、やりきれない思いに胸が痛んだ。

少年がすがり、信じ、目指したもの

村人に呪術的医療を行う老婆から、少年は自分の容姿が不幸をもたらすと信じこまされ、自分自身を嫌悪するあまり、美しい軍服を身に付けたナチス親衛隊の将校の足下に身を投げ出す。憎むべき相手のようになりたいと思ってしまうほど、少年の心は壊れつつあったのだろう。その後、親衛隊から助けてくれた司祭の導きで教会に通うようになる。しかし預かり先の農夫は酷い暴力男で、その暴力を忘れるため、少年は来る日も来る日も憑かれたように祈りを捧げ続けた。しかし村人たちによる暴行で声を失ってしまい、神にも見放されたと絶望した少年は、あれほど信じていた信仰を捨て去ってしまう。ドイツ軍の敗北が色濃くなる中、心も体も傷つききった少年は、ソ連軍部隊に拾われ、兵士からロシア語やスターリンの教えを学んで、立派な共産党員となることを目指す。そして少年がたどり着いたのは、危害や辱めを受けたなら、必ず反撃し復讐すべきだという教えだった。

長きに渡る、戦争とホロコーストの背後に潜む人々のサディズムの歴史の中で、サバイバルを果たした無垢な少年は、いつしか哀しいモンスターへと変貌を遂げてしまう。絶え間ない暴力に晒されてきて、自分が壊れないために暴力を拠り所に生きるようなる。しかしそれは仕方のないことであり、そうでなければ生き延びることは不可能だっただろう。それほどまでに彼の旅は過酷で壮絶なものだったのだ。

著者イエジー・コシンスキとは

1933年、ポーランドでユダヤ人の両親のもとに生まれる。第二次世界大戦中は両親と別れ片田舎でカトリック教徒を装い、ホロコーストを逃れる。ポーランド科学アカデミーで助教授を務めるが、24歳の時に当時の共産主義体制を嫌い、アメリカへと亡命して1965年、小説「ペインティッド・バード」を英語で書き上げる。本書はそのショッキングな内容ゆえ、発売当初から絶え間ないバッシングにさらされることとなる。東ヨーロッパで起こった様々な批判や攻撃は、母国にひとり暮らす母親にまで及んだという。

1982年に始まったゴーストライター疑惑や盗作疑惑は1990年代に入ってもいっそう加熱し、1991年、57歳のコシンスキは、マンハッタンの自宅の浴室でビニール袋を頭からかぶって自殺を遂げる。

自分が過去に経験したことを念入りに調べ、それまでの社会科学の研究からフィクションへと転換したと語るコシンスキ。母国を捨て、母語も捨ててまで書かずにはいられなかった強い思いを、英語という新しい言葉を使うことで感情に流されずに綴った本書。内容が著者自身の体験ではないという批判も受けたが、残忍さや残酷さの誇張は無かったと信じたい。

「この本は主人公の少年のように、加えられる攻撃を切り抜けてきた。生き延びようとする意志は、本質的に束縛を受けないものだ」(イエジー・コシンスキ、ニューヨーク、1976年)

ホロコーストの一部とみなされてきたジェノサイドのいくつかが、ソ連軍や地域の農民によるものであったことが、近年明らかにされてきた。1941年にナチス占領下のポーランド・イエドヴァブネで起こった農民によるユダヤ人虐殺や、バビ・ヤール渓谷でのウクライナ人によるユダヤ人大虐殺などである。それはナチスの間違ったプロパガンダによるものであったとしても、忘れてはならないホロコーストの側面である。

最後に

本書に関連するおススメの映画はもちろんこの作品、ヴァーツラフ・マルホウル監督「異端の鳥」(2018年、チェコ/スロヴァキア/ウクライナ)。小説「ペインティッド・バード」に深く感銘を受けたチェコ出身のマルホウル監督は、11年がかりで、時代を超越した普遍的な物語としてこの映画を作り上げた。本作は、映画史上初めてスラヴィック・エスペラント語と呼ばれるスラブ語民族間の人工共通語が使われ、どこの国で起こった出来事なのかは明確にされていない。少年が長い旅の中で出会う大人たちを、国際色豊かな名優たちがリスクを顧みず演じ、コシンスキそしてマルホウル監督の熱い思いに答えている。第76回ヴェネツィア国際映画祭・ユニセフ賞受賞。


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