終活しないひと

うららかな春の午後、東京六本木のフレンチカフェで長年の友人と一緒にシードルを楽しんでいると、彼女から突然「由美子さん、終活について書いてくれないかしら」と頼まれました。『終活』という聞きなれない言葉に一瞬戸惑い、私はまだそんな歳じゃないのでと断ろうかと思いました。しかし考えてみると、私もいつのまにか54歳になり半世紀以上生きているのですから、これは『終活』について考える良い機会かもしれません。そう考えてお引き受けすることにしました。

さて私にとって聞きなれない言葉『終活』をインターネットで調べると、「人生の終わりを見越して行う活動」とあります。つまり死ぬための準備ですね。具体的には、身の回りの整理、財産整理、葬儀やお墓の準備、エンディングノートの作成など。なんだか大変そう、死んでいくのも簡単にはいかないみたいです。

大引っ越し

私は2021年の夏に、同じ写真家である夫と二人で長年住んでいたニューヨークのアップステイトの自宅と写真スタジオを引き払い、金沢に永住帰国しました。この時にかなり、身の回りの整理をしたと思います。全ての家電製品、ほとんどの家具は次の住人に残してきたにもかかわらず、引っ越し業者に頼んで梱包した段ボールの荷物はなんと全部で500箱!捨てたゴミは巨大ダンプカー3台分になりました。どうしてこんなに物を溜め込んでしまったのか、これだけ沢山の物を捨てるのか、そしてこれからの人生になぜ500箱も必要なのか。疑問が頭の中をぐるぐる回り、精も根も尽き果て、虚しさが込み上げてきました。引っ越しは、否応なくこれまでの人生を振り返ることを強いる、とてもつらい作業ですね。もう引っ越しは、二度とまっぴらごめんです。

このつらい経験から日本に帰国後、大阪の実家の80歳の両親に、身の回りの整理をして物を捨てるよう諭しました。自分がしたばかりなので、かなり偉そうに。もし両親が亡くなったら、実家の物を整理するのは長女の私だからです。27年ぶりにアメリカから帰国した途端、いきなり捨てろ、捨てろと呪文のように繰り返す娘に、両親はきっと戸惑ったと思います。いえ、きっと悲しかったかもしれませんね。

終活をしなかった人

ソールの椅子にかけられたスカーフと帽子©Yumiko Izu

ソールの椅子にかけられたスカーフと帽子©Yumiko Izu

身の回りの整理について考える時、必ず思い浮かんでくる人物がいます。私が今までの人生の中で出会ったもっとも「身の回りの整理をしなかった人」です。彼の名前はソール・ライター。アメリカ人の写真家であり画家でもありました。2013年に亡くなりましたが、もし生きていたら今年でちょうど100歳になります。私たちは同じギャラリーのアーティストだったため、知り合いになり、私は彼のアパートを訪問するようになりました。彼はニューヨークのイーストビレッジの同じアパートメントに60年住み(幸運にも引っ越しとは無縁でした)、たくさんのお気に入りのものたちに囲まれて暮らしていました。

私が初めて彼の終の住処を訪れた時、部屋に満ちあふれた物の多さにとても驚いたことを思い出します。マントルピースの上の雪崩落ちてきそうな小物たち、その横の山高帽を被ってこちらを見つめているマネキン。

テーブルに積み上げられ天井まで届きそうなカラフルな箱の数々。コダックは黄色、フジフィルムは緑色、アグファはオレンジ色、イルフォードは白色と黒色。それらの箱の中にはうなるほどのモノクロやカラーのプリント、ネガフィルム、カラースライドが入っていました。

ソールのライトボックスに置かれたEarly Colorの作品©Yumiko Izu

ソールのライトボックスに置かれたEarly Colorの作品©Yumiko Izu

ベットルームの隅には、スーツケースに保管されたまま放置されていた露光済の未現像フィルムもありました。スーツケースを開けると腐食したフィルムのせいで、喉は痛くなり、目が痒くなり閉口したものです。背の高い北側の窓からのやわらかい光を受けて、窓辺のベンチの上には、色とりどりの絵の具と絵の具のついたままのブラシ、描きかけの絵と何故かビー玉が転がっていました。アパートメントの部屋のどの方向に目を向けても、うずたかく積まれた物たちがこちらに迫ってくるようでした。私は心の中で、「オーマイゴッド」と何度つぶやいたことでしょう。

ソール・ライター氏が残してくれたもの

今年の夏に彼の生誕100年を記念して、展覧会『ソール・ライターの原点』がBunkamura主催で、東京の渋谷・ヒカリエホールで開催されます。彼の死後に設立されたソール・ライター財団が発掘した未発表作品を含むカラースライド約250点の大規模プロジェクションやライター氏のアトリエの一部が再現され、彼の蔵書や愛蔵の品々が展示される予定です。また、同展の関連企画として渋谷ヒカリエ8/COURTで開催される展示イベントにおいて、私が撮影したソール・ライターのアトリエと遺品のプリント作品『Saul Leiter: In Stillness』も展示される予定です。

写真集 Saul Leiter In Stillness 

写真集 Saul Leiter In Stillness 

もしライター氏が生前に『終活』に目覚めて、身の回りの整理をして物を捨ててしまっていたら、今回の展覧会が実現することはなかったでしょう。89歳で亡くなるまで、自分の才能を信じて大事に守り抜いた膨大な写真作品と絵画作品は、今では世界中の美術館やギャラリーで展示されています。最後は緩和治療を受けながら、住みなれた自分の部屋で家族の想い出の品々、愛着のある物に囲まれて息を引き取った彼は、きっと満足して幸せだったと想像します。

私もライター氏にあやかって、年老いても身の回りの整理をするのは止めようと決めました。そう考えると、ほっと肩の荷がおります。そして今度実家に帰ったら、両親にこう言おうと思います。「お母さん、お父さん、もう捨てなくっていいよ。思い出のあるものは大事に取っておいてね。」


    終活しないひと” に対して1件のコメントがあります。

    1. ラポイント山岸以寿美 より:

      前半は自分自身の現実と重なるところも多く、まさに我が意を得たりの心境でしたが、後半でのどんでん返しに度肝を抜かれました。
      4年ほど前に父が亡くなった際、母は父との思い出の詰まった家は去りがたいと言い一人で住み続けることを選びました。バブル絶頂期に母の思い通りの設計、好みの建材で建てた無駄に大きな注文住宅に、母は3年半一人で住みました。しかし半年ほど前に健康上の不安から独居を続けることが難しくなり、最寄の駅前にできたばかりのサービス付き高齢者向け住宅に転居しました。その際に手伝いに帰国したのですが、渡航規制に加えて母自身の安全という理由から3年半以上も訪れていなかった実家の中は、母の日常生活に必要な空間だけが整えられた状態の屋敷となっていました。父がきちんと整理して残した膨大な数の書籍、レコード、ビデオ、CD、DVD、楽器、音響設備は、ほぼ手付かずの状態で残されていました。さらには殆ど使ったことのない食器類、きちんと保管されてきた衣類。これらを3週間の滞在で出来得る限り整理、分類、処分しましたが、とても全部は終わらず、近々再訪日しなければなりません。
      物理的なモノを膨大に残して感謝されるのはソール・ライター氏だからこそであって、私自身は我が子たちにこんな思いをさせぬよう終活を続ける決意です。

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