さようならは言わない
2018年9月から10月にかけて、まだ暑さのあるワシントンを訪ねてきました。
トランプ政権の誕生がこの国を大きく右に向けて振り子を動かし、アメリカの最も枢軸をなす、デモクラシーの理念が崩されようとしているのを危惧したからです。
13年前、私は日本の大学で教えることになって、ワシントンを引き上げました。そして数年前、定年退職後、別居が常だった夫に合流し、終の棲家を神奈川県逗子市に定めました。それでも、アメリカ市民である私は、いつか故郷ワシントンに帰ることを夢見て、つながりを持ち続けています。ベセスダには1990年代、ワシントンの友人たちとWJWNの集いをつくりだした住まいを今も残していますし、娘はスミソニアン博物館でアーキビストとして働いています。ただ74才になった今年は、日本で最後を迎える可能性が高くなっているように思われ、これが「さようなら、ワシントン」の旅かと思って出かけてきました。
白いアメリカの復権
今回滞在中に関心を持ったのは、カバノー判事(Brett Kavanaugh)の最高裁判事任命承認に疑義を申し立てるフォード博士(Dr. Ford)による性的暴行被害の証言でした。出てきた名前と場所は私たち家族にとって馴染み深く、否応なく興味をもちました。私はフォード博士を信じ、彼女の勇気を尊敬します。一方でカバノーには、アメリカの白人男性の優越観と傲慢さを感じます。あくまでも私の感想として言えば、「白いアメリカ人」は人種差別、女性差別、白人優位の価値観を持っています。それはアメリカ・インディアンから土地を奪い、アフリカから奴隷を連れてきた時から、アメリカの「文化」の根底をなしています。それはデモクラシーの理念をもって容易に変えられるものではありません。特に、トランプ大統領という稚拙な人間がトップに立ち、社会の分断化を図るとき、様々な差別的思考は臆面なく復活し、宗教でも、信念でも、意見でも、自分と少しでも異なるものに対する嫌悪と偏見が表面化します。そして気がかりなのは、トランプ政権発足以降、トランプを支持する若者がトランプの名を印刷したTシャツや帽子を身に着けてワシントンを闊歩するようになってきたことです。
私の愛したワシントン:デモクラシーの街
ワシントンはいわばデモクラシーの機構となる建物が集まる街です。最もすぐれた公共空間といえるのは、中心地にある公園「モール」、大きな緑の街道です。1963年、キング牧師が「I have a Dream.」と人種差別の廃絶を訴えたワシントン大行進以降も10万人を超えるデモンストレーションとマーチが何度もありました。トランプ就任の翌年2017年1月のウィメンズ・マーチも圧倒的でした。数十万の人々を集めた行進が議事堂の前を埋め尽くすとき、デモクラシーが動きます。
モールに沿って、議事堂、最高裁判所、ホワイトハウス、スミソニアン博物館、国立美術館、議会植物園、そしてホロコースト博物館、アフリカン・アメリカン歴史文化館、新しいところでは、憲法修正第1条の宗教、信仰、表現、出版、集会、陳情の自由、特にメディア、ジャーナリズムの自由と独立を守ることを使命とするニュージアム(Newseum)があります。都市として優れた景観を持つとは言えませんが、ここに、デモクラシーの基本をなす、人々のための、人々による、人々の空間があります。
シンクタンクの興隆
私はデモクラシーの第5の柱と呼ばれるシンクタンクで20年近く政策研究に従事しました。そこで学んだ最大のことは、シンクタンクで行われる政策研究はアメリカのデモクラシーの根幹を支えるものだということです。政策研究がなければ、社会問題解決の手段である、政策が合理的かつ有効なものにはならないと、シンクタンクのゴッドファーザーといわれる、ロバート・マクナマラ元国防総省長官は考えました。マクナマラ氏は日本のデモクラシーの発展にはシンクタンクが不可欠であるという私たちの主張を支持してくれたこともありました。
トランプの政策形成における、社会科学蔑視は、デモクラシーの危機を最も明瞭に示すものです。来てみてわかったことは、トランプ政権に重用されているシンクタンクは少数の右派系のものに限られていますが、実際には、財団や企業を含めた民間の資金が以前よりもシンクタンクの政策研究に流れています。デモクラシーの危機に対する意識が民間資金を増やしているといえるでしょう。また、私の働いていたアーバンインスティテュート(UI)は女性所長のもと、10年前には200人前後であった研究スタッフが創立50周年を機に来年、500人となってランファンプラザへ移動します。またNational Opinion Research Center (NORC)は、精度の高い世論調査ができる、大規模なシンクタンクです。すなわち政策研究産業に、多くの女性政策研究者とアナリストが雇用され、「エビデンス(証拠)に基づく政策形成」という時代の流れが定着しています。
女性たちの力
私は20―30年の政策研究に従事する中で、この政策産業でリーダーシップをとる女性たちの名を心に刻みました。Isabel Sawhill, Alice Rivlin、Donna Shalala. いずれも政府高官をつとめ、かつ民間企業で働き、大学で教えるなど多様な経験を持ち、シンクタンクや、アカデミアで政策研究の先端を切り開いています。元保健省長官であったドナ・シャララ(Donna Shalala)氏は、77才で、今回選挙に初めて出馬します。今、最も尊敬される最高裁判事であるルース・ギンズバーグ(Ruth Bader Ginsburg)は85才ですが、トランプ政権下でさらなる右派判事に席を譲らないために、当分退職することはないと表明しました。素晴らしいことです。
この中間選挙には民主党、共和党ともにかつてない数の女性が立候補しています。私は今、中間選挙を目前として、多くの民主党女性候補からのメールと献金要請に悲鳴を上げる毎日ですが、でも市民として選挙に関わる責任があります。アメリカ社会のあらゆる場で、女性が関わり、声を上げることが必須であるとする意識が遅ればせとはいえ、高まっていると見ることができるでしょう。極右と独裁化の進む社会(世界)において、デモクラシーの危機を乗り越えていくのは、女性たちです。アメリカの女性たちが、あらゆる場で、のびやかにひとびとに問いかけ、良き政策を開拓し、実践に移してほしいと願います。私のワシントン、まださようならは言いません。
アジア都市コミュニティー研究センター(UCRCA: http://www.ucrca.org) 代表。日本女子大卒、東京大学大学院修了、工学博士。1級建築士。元関西学院大学大学院大阪大学公共政策大学院教授。元アーバン・インスティテュート、 リサーチアソシエート。WJWN設立、Japanese Americans’ Care Fund設立。政策産業、政策研究・分析評価の振興をめざす。