認知症に優しいコミュニティーへ向けて

二人の父の最期

私は実父を15年前、胃癌で、義理の父を昨年、アルツハイマー型認知症で亡くしました。父は脳梗塞で左脳の損傷を負い、言語障害と右半身不随の生活を10年送り、最期は余命3ヶ月の末期癌を宣告されますが、その後、最後の2年間は趣味の囲碁を毎日堪能し、新聞を隅々まで読破して、気に入った記事があれば、片手でスクラップする余生でした。

広島大学卒業当時の父

広島大学卒業当時の父

一方、義理の父は、アルツハイマー型認知症が発症してから7年間、マサチューセッツ州ウィリアムズタウンの住み慣れた自宅で余生を送りました。アルツハイマー型認知症のため記憶を徐々になくし、日常生活にも困難をきたし始め、自宅での介護はもうギリギリというちょうどその頃、突然、病に命を奪われました。施設へ行くことを生前嫌がっていた義父は、その前に逝くことを決意していたのかもしれません。

義父(オッタバイン大学当時)

義父(オッタバイン大学当時)

言語障害はあるものの、亡くなる当日の朝まで意識はしっかりしていた父との別れも、最後は誰であるかも思い出してもらえなかった義父との悲しく唐突な別れも、喪失感と悲しみの深さは同じです。ただ、アルツハイマー型認知症を患い、記憶の薄れていく義父にどう接して良いのかわからず困惑し続けた自分への歯がゆさは今でも払拭できずにいます。義父の生前中にもっとこの病気についての理解を深められれば良かったという気持ちを強く感じているからです。

認知症事情

現在、世界で3秒に一人が認知症を発症していると報告されています。2017年に約5,000万人、そして2030年までに7,500万人が認知症を患うと推定されています。また、経済協力開発機構(OECD)加盟国中、日本の認知症有病率が最高であることも報告されています。

その日本では、認知症が原因で徘徊する老人が行方不明となり遺体で発見された、といった痛ましいニュースを耳にする一方、ある高校生が、徘徊する老人を見て認知症ではないかと即座に察知し、善意の行動で認知症患者が無事保護された、という朗報もありました。認知症患者に寄り添った優しい社会を築くには、街をあげての努力が不可欠です。認知症に優しいコミュニティー創り。その様々な試みは、NHK厚生文化事業団の『認知症にやさしいまち大賞』のような企画にも見られるように、日本の各地でも確実に進められています。私自身もライフワークとして、高齢化問題、健康で活力ある高齢化社会を築くアドヴォカシー活動を、認知症への理解を深めながら進めて行きたいと思っています。

“Tackle Alzheimer” – Blondetourage

学生時代にフットボール選手だった義父を偲び、またアルツハイマー型認知症の知識を深めることと介護する家族のサポートを目指し、娘も友人たちとともに活動を開始しました。来たる5月12日にニューヨークで、アルツハイマー型認知症患者とその家族を支える非営利団体CaringKindの資金集めイベント、Tackle Alzheimerという男女混合フットボール大会が開催されます。娘は、そのチームの一員として大会に参加する予定です。

家族、友人、コミュニティーをあげ、認知症に対する正しい理解をし、認知症患者に寄り添った心の持ち方、そして、一人ひとりができることを実践して行く。そんな一人ひとりの小さな行動の積み重ねで、認知症に優しいコミュニティーや社会が築ければ、どんなに素晴らしいことか、と亡き義父を偲びながら感じています。

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