「私の出会った芸術家」から想起すること
唐突だが「私の出会った芸術家」というお題を頂いたとき、「芸術家」とは何だろうかと自問した。芸術家とは1つの才能に溢れてそれを職業とする人のことだろうか?岡本太郎のパートナーの岡本敏子は「生まれたときは、みんな芸術家」と言ったそうだ。私なりの理解では、「世間の色んな枠に閉じこまらず、いつも新しく生まれ変わろうとしている人」が芸術家の大切な要素かなと思う。
私はワシントンDC、ハワイを経て、京都に流れ着いて4年ほど経つ。ワシントンDCは文化芸術に溢れ、ハワイでは自然そのものが芸術だった。そして今拠点を置いている京都で、私は鴨川を歩いて職場のある大学と最寄りの駅間を往復し、ここでもまた自然の芸術を堪能しつつ、ありとあらゆる文化芸術に溢れた町を享受し、芸術家の傍で生きている。
こういうわけで、私の周りには、いつもアートがある。というか、アート無しには生きていけない。職業としては、私は表面上では芸術とはかけはなれた分野の研究者・大学教員であるが、アートは私の仕事にも生活にも無くてはならない空気のような存在である。それが傍にいてくれるお蔭で、いつも「気づき」が与えられ、何かの枠にとらわれないで発想し、行動するための源になっている。私は真の芸術家ではないが、その空気をめいっぱい吸いながら生きている人間の一人である。
今、京都で「生誕110周年東山魁夷(1908-1999)展」が開催されている。京都では30年ぶりの本格的な回顧展である。おそらく多くの人に馴染み深い「道」から、昔の良き古き美しい京都をスケッチした作品群、そして大作「唐招提寺御影堂障壁画」まで息を飲むような作品たちが、観る人々を圧倒する。その中でも私が今回一番心惹かれたのは、「白馬の森」「緑響く」などの作品に表れる白馬である。実は、10年前たまたまアメリカから帰国したとき、私は東京で東山魁夷展を見ていた。そのときも観たはずの白馬であるが、その時とは違って見えた。10年前はメルヘンチックにも思えて、そこからは距離を置いてしまっていた私であるが、時を経て今、メルヘンとは違う、「目に見えない大切なものの何か」として、私の心に飛び込んできたのである。
向き合うべきものに向き合ったというのだろうか。今私が大切と思っていることと何か通じあったのだろうか。不思議な瞬間だった。というのも、先ほど「表面上では」と書いたが、実は深いところで、私が今取り組んでいることは、奥深いところでは芸術と深く関わっている。その中でも「目に見えない大切な何か」と関わっている。
近年レジリエンス(resilience) をテーマに人と社会と自然を繋ぐことを柱として様々な研究活動を行っている。最近Resilience-based Public Policy in a Modern Risk Society(Springer, 2019発刊予定)を書き上げた。レジリエンスと公共政策の関係を書いた学術書であるが、その本の冒頭に、ある芸術家の「異なるものからその関係性や間にあるものを観察し、何が欠けているのかを観察することがアートを創ることの本質的な部分である」という指摘は、本書の本質と通じるところがあると綴った。それは、言い換えれば、目に見えにくいもの、見えないものをどう見極めるかということだろうか。
そのようにして、この夏あらためて出会った東山魁夷が描いた白馬は、私の心の中でいきいきと生き続ける。
在米日本大使館・野村総合研究所USA等で研究職を経て、現在京都大学特定准教授。2006年3月、Ph.D.取得(国際公共政策)。近著に『協働知創造のレジリエンス~隙間をデザイン』(京都大学学術出版、2015)、Resilience-based Public Policy in a Modern Risk Society (Springer, 2019)(Allen Clark との共著)がある。