認知症予防のために心がけていること
新型感染症の影響のもと、家族に会えなかったり、リハビリや介護施設への通所ができなかったりすることで、認知症が進んでしまうという話を最近よく耳にする。認知症は誰にでも起こりえるし、防ぎようのない場合もあるとはいえ、日頃の生活に少しの努力と気配りをすることで、遠ざけることができないだろうか。そう考えつつ、私自身が実践していることを整理してみようと思う。
1. 調理し、食事する
栄養バランスを考えた食事は、健康に生きていくために、何より大切なものだ。献立を決める、必要なものを買い揃える、ストックする、無駄なく上手に使い切る、調理の手順を考える、料理の完成時間にある程度の洗い物を済ませる、ふさわしい食器を選ぶ、味の組み合わせを考える、など、なんて細かく頭と手を動かす作業が満載されているだろう。これを毎日きっちりやるのは大変だが、脳の活性化と体への栄養、食べる楽しみという一石二鳥+1で続ける価値は見出せる。ときには外食で気分転換しながらも、この持久戦を楽しみたい。
パートナーを亡くしたりして、料理から遠ざかってしまったお年寄りが急に元気と張り合いをなくす、という話をよく聞く。日常の家事とはいえ、調理は案外マルチな力を必要とし、頭と手と身体をバランスよく使う仕事の一つだと思う。
2. 体を動かす
日頃からスポーツを定期的に楽しんだり、ジムに行ったり、というタイプではない私でも、毎日欠かさずしているのが朝夕の犬の散歩と、日中の街歩き(兼日常の買い物)だ。老犬の歩数が減り、以前のように1万歩達成は難しいので、一人でのお出かけ時間にはなるべく早足で大股で多めに歩くように心がけている。スーパーの往復、いつもと違う道を選んだり、銀行に行くだけでもその周辺を歩きながら街ゆく人々をウォッチングしたりしている。
四季の花をみつけ、季節の変化を肌で感じながら、新鮮な空気を吸い込んで歩くことは、足腰を丈夫にするだけでなく、何より頭と心をリフレッシュできる。人々の装いや耳に入る会話を聞いて、意外な情報を得ることもある。足が動かなくなると、人間の活動は確実ににぶり、家に籠もりがちになり、気持ちさえ縮こまってしまうだろう。私にとって歩くことは、過激過ぎないちょうどよい運動だと感じている。
3. 頭、手、指を働かす
現在、専業主婦の私だが、頭をフル回転する趣味をたくさん持っている。刺繍の図案を見ながら、どこからどういう順番で、どんな色で刺していこう、編み物の編み図を見ては、後何段で減らし目、次の段はこの色とこの色、という風に、手芸という静かなイメージとは裏腹に、実は頭がかなり加熱することもある。図から全てオリジナルで作品を創ることもある。
かつて娘に、ママはアウトドア好きの人ではないけれど、刺繍のためならどこにでもフットワーク軽く出かけるね、と言われたことがある。趣味のデンマーク刺繍の花糸は、オンラインでも入手可能だが、実際の色を見くらべたい、今日欲しい、と思えば、次の作品へのアイディアをまとめるためにすぐにでも大好きな手芸店に出向いては、図案にぴったりの色の糸を選んだり、海外から輸入されている貴重な書籍を目にしたりしている。私の好奇心を刺激してくれる至福の時間だ。
また、長年続けているジャズピアノはとにかく頭と指を駆使する活動だ。より良いアドリブをするために、苦手な難しい理論を勉強し、それを即興で実践するための繰り返しの練習は欠かせない。20年前にレッスンを始めた頃、15歳年上の女の先生が、なんとも言えずかっこいいフレーズをアドリブしてくれた感動は今でも忘れない。その時の彼女の年齢にいつの間にか自分が達しているが、まだまだだと思って何度も練習し、月数回レッスンを受けている。決められた譜面通りに弾くクラシックとは違うジャズの醍醐味を実践するには、限りなく柔軟な頭と応用力が必要なのだ。
4. 人との交流
学校、仕事、子育てからは引退した私だが、だからこそ他者との関係の中で生きていくことの大切さを感じている。何十年も一緒にいる夫の存在は大きいし、成人し独立した娘たち、孫たちとは別々に暮らしていてもよく連絡を取り合い、時にはSkypeで話をし、頻繁とは言えないまでも行き来もしている。昔に比べ、遠方でも連絡を取りやすいツールが増えたことは、ありがたいことだ。お互いを思いやる気持ちが伝わるだけで、前向きになれることも多い。
家族以外でも、学校、仕事を通じて、母親として、趣味を介して、犬の散歩で、様々な人々と出会った。かつて子育て時代に時間を共有し、今は近所に住む友人は、子どもが巣立ち、老夫婦だけになっている今こそ、お互い大切な存在だと気づいた。共通の話題や問題意識もたくさんあり、何かのときには、助け合い、話を聞き合い、勇気づけ合う、力強く頼りになる存在だ。そして、人との会話はとても脳の刺激になる。
5. 心を動かす
最後に大事なことは、心を閉じてしまうことなく、美しいものや素敵なものに触れて感動し、困ったことや、いやなこと、悲しいこと、憤ることも素直に感じ、受け容れ、表現することではないかと思う。
頭や身体が確実に衰えていくのは避けられないが、そんな中でも心だけは豊かさを保てるのではないか、と期待している。健康で感受性豊かな心をいつまでも保ち続けられればと思う。
私なりの心がけを整理してみたものの、一方で認知症は、来るべきときには来てしまうことも覚悟はしている。ある友人は、認知症となった父とその介護をする母を、毎週のように訪問して手伝っていた頃、こんな話をしてくれた。ある日父が、「あの毎週のように来てよく手伝ってくださる女性はどなたなの?助かるねえ」と、母に言った、というのだ。娘である自分のことさえ認識できなくなってしまったのは寂しいしショックではあったけれど、一方で、素直に自分の訪問を助かる、と喜んでくれた父の本質には少しほっとした部分があったという。そんな風に捉えて話してくれた友人自身も、冷静でかつ暖かい判断のできる人だな、と改めて心に沁みた気がした。
大切な家族のためにも、なるべく最後までしっかりしていたい、と思うけれど、万が一のときには、せめて何事にも感謝できるような素直な人でありたい、と心に願っている。そして今日も私は自分の心がけを実践できる喜びを噛み締めている。
神奈川県出身。夫の赴任に伴う5人家族での3度の海外生活を経て、現在は都内で夫と犬と暮らしつつ、国内・国外でそれぞれ奮闘する娘たちを見守る。趣味は、手芸、庭いじり、ジャズピアノ、サッカー観戦。