立ち上がるコミュニティー〜ウクライナとの姉妹都市活動に想う

はじめに

セバストポールの町の入り口にあるサイン Photo credit: Meg Mizutani

セバストポールの町の入り口にあるサイン Photo credit:Meg Mizutani

「セバストポール?あのセバストポールと関係があるんですか?」

私が住んでいる町の名前を告げると、そう聞かれることがあります。

日本で生まれ育った私が、縁あってカリフォルニア州セバストポールに住み始めて、すでに27年が経ちました。サンフランシスコから北に車で1時間ちょっと行ったところにある、人口7400人余りの小さな市セバストポールには、ウクライナと深いつながりがあります。

それまで全く馴染みのなかったウクライナが「私にとって大切な国」になったのも、この町のおかげです。今回は、セバストポールとウクライナの草の根交流、そしてそこから見えてくる市民外交の意義についてお話ししたいと思います。

名前の由来

セバストポールとウクライナの繋がりの一つ目は、冒頭に書いた通り、名前の由来。セバストポールという地名は、クリミア半島の「セヴァストポリ」に由来しています。

カリフォルニアでゴールドラッシュが進む1850年代、今のセバストポール地域に移住してきた人々が、町の正式な名前を決めようとしていた時のこと。バーで言い争いになった二人の市民のうち一人が近くの商店に立てこもり、もう一人は相手が店から出てくるのを外で一日中待ち構えていたという事件が、ちょうどその頃クリミア半島で起こっていた「『セヴァストポリ包囲戦』のようだ」と形容されたのがきっかけと伝えられています。

ウクライナとの姉妹都市活動

セバストポールとウクライナのもう一つの繋がりは、30年近く続いている姉妹都市関係です。セバストポールは1993年に、首都キーウの東南にあるチヒリン市(注)と姉妹都市関係を結び、以後交流を続けてきました。前述のセヴァストポリとは全く関係ありませんが、カリフォルニアのセバストポールとチヒリン両方に詳しい人が、市の大きさや産業が似ていることから姉妹都市締結を提案し、実現したのだそうです。

ご存知の方も多いと思いますが、姉妹都市とは、外国の市町村との交流を通して、相互理解と尊重、さらには世界の平和を促進することを目指す、いわゆる「草の根交流」です。米国では第二次世界大戦後、アイゼンハワー大統領の提唱で、姉妹都市活動を奨励するSister Cities Internationalという組織が設立され、その後、世界の数々の市と姉妹都市関係が結ばれてきました。

「絵葉書の国」から「人の笑顔の国」へ

セバストポールで姉妹都市活動を運営するのは、セバストポール・ワールド・フレンズ(SWF)というボランティアNPO。私は、セバストポールのもう一つの姉妹都市である佐賀県武雄市との交流をお手伝いしたことをきっかけに、15年前にSWFのボードメンバーになりました。主には武雄プログラムの担当ですが、ボードメンバーの一人として、期せずしてチヒリン市との交流もお手伝いするようになりました。

それまでの私にとって、異文化といえばアメリカ。でもカルチャーショックや言葉の壁が少なくなり、異文化という認識が薄れていたせいでしょうか。「言葉が通じない人に気持ちを伝えたい」とか、「異なる習慣や価値観を理解したい」といった異文化交流の基本から遠ざかっていました。

ですから、ウクライナのゲストとの交流は新鮮で、初心に帰る思いでした。そして次第に、私にとってウクライナは、絵葉書やテレビの旅番組で見るだけの外国ではなく、訪問してくださった人たちの笑顔、家族や町のイメージまで思い浮かべることのできる大切な国になったのです。

SWFの役割

長年交流をしてきたセバストポールにとって、チヒリンは、家族同然の大切な存在です。当然のことながら、SWFは今日のウクライナの状況を案じています。

驚いたのは、侵攻のニュースが伝わるや否や、SWFに多くの問い合わせが寄せられたことでした。姉妹都市はどんな様子なのか、どうやったら役に立てるか、寄付先はどこがいいか、という問い合わせ。セバストポールとはなんの関係もないけれど、姉妹都市の人たちの無事をお祈りしています、という暖かいメッセージ。そしてチャリティーイベントを企画するので収益を寄付したいというオファー。

まず、姉妹都市のことを知っていて、大切に考えてくれている人がいることに胸を打たれました。そして、情報や支援活動がたくさんある状況でも、姉妹都市活動にしか果たせない役割がある、ということに気づかされました。

幸いなことにチヒリン市は直接の被害は受けていないようです。ただ、戦禍を逃れて避難してくる人を受け入れているため、資金や物資が必要だという連絡を市長さんからいただきました。これを受けてSWFは、市や他のコミュニティー団体と協力して、募金活動や情報発信の企画を続けています。ウクライナに姉妹都市を持つ他の市とも、連絡を取り合っています。また今後は、避難してきた人々の受け入れも課題になることが予想されます。

地元NPOが寄付してくれた新しい子供靴100足をワルシャワまで運んでくれた市民ボランティア。ワルシャワからは、姉妹都市関係者が連携してチヒリンまで運んでくれたそうです。 Photo credit: Patricia Diegnan

地元NPOが寄付してくれた新しい子供靴100足をワルシャワまで運んでくれた市民ボランティア。ワルシャワからは、姉妹都市関係者が連携してチヒリンまで運んでくれたそうです。Photo credit: Patricia Diegnan

支援物資をスーツケースに詰めて、ワルシャワに向かうSWFのボードメンバー。出発前にサンフランシスコ国際空港にて。 Photo credit: Diana Rich

支援物資をスーツケースに詰めて、ワルシャワに向かうSWFのボードメンバー。出発前にサンフランシスコ国際空港にて。Photo credit: Diana Rich

あらためて知る姉妹都市活動の意義

私たちSWFは、「World Peace, One Friend at a Time」というモットーを誇りにしていますが、今回ほどこのモットーの重みを感じたことはありません。

姉妹都市の草の根交流は、平時には単なる文化活動だと思われがちですが、本質は、「平和のための市民外交」に他なりません。姉妹都市でコミュニティーの間に強い絆を作ることは、遠回りのようで、実は着実な平和への一歩です。姉妹都市活動とは、平和を目指すコミュニティーを作る活動だと言っても過言ではないでしょう。

もちろん姉妹都市活動だけが市民外交ではありません。多くのボランティア団体やNPOが素晴らしい活動をしています。ただ姉妹都市の強みは、コミュニティーが結束して立ち上がることです。ウクライナに姉妹都市を持つ北米の市長村が、支援活動で大活躍している様子からも、それは明らかです。また、私たちのもう一つの姉妹都市である武雄市の人々もチヒリンのことを心配してくれていると聞き、コミュニティーがさらにつながっていることの力強さを感じます。

アイゼンハワー大統領が目指したのも、まさしくこの、コミュニティーを挙げての市民外交なのだと確信します。

笑顔を思い浮かべながら

セバストポールのお祭りApple Blossom Festivalに出したブースの様子。ウクライナの象徴ひまわりの種を配りました。SWFのイベントでは、必ずアメリカ、ウクライナ、日本の国旗が並びます。 Photo credit: Meg Mizutani

セバストポールのお祭りApple Blossom Festivalに出したブースの様子。ウクライナの象徴ひまわりの種を配りました。SWFのイベントでは、必ずアメリカ、ウクライナ、日本の国旗が並びます。Photo credit: Meg Mizutani

インターネットもない時代に、遠く離れた国で起こっている出来事に思いを馳せ、それを町の名前にしたセバストポール。今日も、町の入り口やメインストリートには、We Stand With Ukraineのポスターやウクライナの国旗が掲げられています。

先が見えない状況で、私たちのウクライナ支援は長い道のりになるでしょう。友人や家族一人一人の笑顔を思い浮かべながらの、コミュニティ挙げての支援活動、これからも続きます。



注)英語表記はChyhyryn、あるはChihirin。日本語表記には「チヒルィーン」もありますが、この記事では「チヒリン」を使います。

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