ウクライナ侵攻とスウェーデン NATO加盟と難民支援

ウクライナはロシア発祥の地である。900-1200年代にはキエフ国と呼ばれる勢力が今日のロシア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランドに当たる地域を支配していた。豊かな国土と貿易に最適の地理的条件に恵まれたこの地には多種の民族が住み着いた。ここはスカンジナビア半島からバルト海をわたり陸路黒海を経てコンスタンティノープルに向かうバイキングの通り道でもあった。

ヨーロッパの歴史は、民族と国境の移動が繰り返され多民族・多言語が密着して共存してきた記録といえる。EU(欧州連合)はもともとはEC(欧州委員会)として、第二次世界大戦後に平和維持を目的に組織された。以後、ヨーロッパは戦争を免れてきたが、EUの隣国では国家の意思決定を武力で正当化する動きが続いた。

2014年にロシアは、「解放」だといって隣国ウクライナ東部のドンバス地方を侵攻した。ドンバスはエスニック・ロシア人が多いところである。2022年2月24日に「非軍事化」と「非ナチ化」が目的の「軍事特別作戦」と称してロシアが再度ウクライナを侵攻した時、EUはもちろんのこと国際社会は一団となって非難した。しかし非難の声にもいろいろのニュアンスがあった。戦闘が長引き、制裁が強化されるにつれてニュアンスの差も不協和音も顕著になる。今やそれぞれの国が、敵国と同盟国の再評価、同盟の維持と脅威の対処に専念している。

NATO(北太平洋条約機構)加盟を決定したスウェーデンとフィンランド

スウェーデンとフィンランドからウクライナの首都キエフまで空路で2時間半。8年前にロシアがウクライナ東部のドンバスを攻めクリミア半島を占領した時には、戦線は黒海という遠いところに思えた。しかし今回、距離感は縮まった。バルト海を囲む国々(スウェーデン、フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア)にもウクライナの戦火が飛び散るという危機感に変わる。フィンランドとロシアの国境は130㎞、湾から白海に向かって北に伸び、ノルウェーの国境に接する。ロシアはスウェーデンとフィンランドにとって潜在的敵国なのである。

スウェーデンは軍需産業国でもある。これまでは兵器を輸出している一方で非同盟主義を掲げて国家の安全の保障にしてきた。非同盟であることは強い盾のように国を守ってくれる。敵をつくらず公平な立場からニーズのある国をサポートする。多国間防衛条約も結んである。NATO(北太平洋条約機構)には非加盟であっても、フィンランドとスウェーデンはバルト海での共同軍事演習に参加している。いわば同じ釜の飯を食った仲、いざという時に駆けつけてくれる、守りはあると考えて、スウェーデン国民の大半は、NATO加盟はロシアを苛立たせる危険なものとみなしていた。

一方のフィンランドは第二次世界大戦中の1939年の冬、3倍以上兵力のあるソ連軍と3ヵ月余り「冬戦争」を戦った。ソ連軍はフィンランド国境警備隊から射撃を受けたとでっち上げて攻め入り、フィンランドは東部カレリアを失い、41年には再度攻められ3年間の「継続戦争」も戦った。2022年の今、黒海沿岸国ウクライナが同様のパターンのロシア侵攻に必死で対抗している。これはバルト海で起こっていたかもしれないことだ。ロシアの次の「特別軍事作戦」はバルト海を狙うに違いない!フィンランド国民は速やかにNATO加盟を決めた。

これに対し、200年以上続いた平和でスウェーデン国民の危機感は低く、内輪もめのあげく、NATO加盟はわずか一票差で議会を通った。それはクルド人で元左派党、その後無所属となった議員からの一票であった。

フィンランド魂「SISU」で加盟実現へ

両国の加盟への決断は、NATOには非常にタイムリーと歓迎された。未加盟だったフィンランドとスウェーデンは戦略的に重要な北欧バルト海戦略図に残された白紙の部分、いわば防壁の穴のようなものであった。これは北大西洋のNATO陣を堅めることになるのだから、加盟条件である全会一致の承認も問題なしとみなされた。ところが思いがけなくもトルコからの「待った」が入る。トルコ大統領は突然、スウェーデンはテロリストの楽園だ、そんな国の加盟は許さんと反対する。少数民族クルド人の武装組織「PKK=クルド労働者党」を支持しているというのだ。「テロリスト」とは「非ナチ化」に勝るとも劣らない奇抜な理由に思われた。この時、精悍でまさに竹を割ったようにさっぱりとして「SISU」のあるフィンランドは、スウェーデンと同時に加盟が成らぬなら申請はキッパリ取り下げると対抗した。SISUは決断力・勇気・耐久性・柔軟性を意味し、「大和魂」のようなフィンランド語の言葉である。

6月末にマドリードで開かれたNATOサミットでの交渉は長引いた。穏やかで忍耐強いストルテンべルグ事務総長の努力が実を結び、トルコは数々の条件をつけて合意した。こうして全会一致でスウェーデンとフィンランド二人三脚の加盟申請が受理され、議事録がサインされ、残るは加盟30か国の議会の批准を待つだけとなった。デンマーク、英国、ドイツなどいち早く批准を完了した国もあるが、トルコ大統領は、議会は10月まで開かないという。

スウェーデン人のウクライナ支援

EU理事会は、今年3月4日、全会一致でウクライナ避難民一時保護法の実施を決定した。これを受けてスウェーデンは滞在期間を一年とする難民の数を55,000~76,000人とし、その半数に住居の手配が必要と推定して、移民局直管の約1,000戸の外は自治体でという難民分配案を決めた。受入数は自治体の受け入れ能力、人口・住宅事情・労働市場・すでに在住する避難民の数など-で判断された。亡命申請者は23,500人となった。住居を提供したのはNGOなどの組織だけでなく、一般人も多かった。7月1日で移民局直轄施設が閉鎖されてからは、全て地方自治体の手に委ねられている。

侵攻を知るや否やウクライナ語のできる人材を募る問い合わせや、NGO、教会からの募金や支援イベントが次々と発信された。コンサートのチケットの売り上げだけなく、急きょウクライナからの曲をレパートリーに加えて楽譜を入手し、楽譜出版社はその曲の売り上げを支援に寄付するなど数々の工夫がされた。国際救援組織への寄付の振り込み、教会での献金も、レストランやスーパーでも売上の何パーセントかをウクライナ支援に充てようと競われた。支援センターは処理できないほどの家財、衣類などが集められ難民の到着を待った。数あるNGOの中でも、スウェーデンとウクライナの橋渡しのハブになろうと立ちあげられたノルディック・ウクライナ・フォーラムは英語も含めて3カ国語で情報をアクセスできる。。

当初メデイアが伝えるウクライナ人の声は、スウェーデン国民の心を強く動かした。大変な思いで安全地帯にやっとたどり着いたとたんに誰もが「すぐにでも国に戻りたい」という。男の子は国を守るため、大人は面倒を見ている隣のおばさんが気になるから、畑仕事が待ってるから。また、スウェーデンでどんな職でもいいから働いて自活したい、スウェーデンの学校に入学できるまで毎日オンラインでウクライナの学校に通っている、スウェーデン語は着いた日から勉強しているなどと、甘えのない意欲的な国民性と強い愛国心が見てとれた。これには、移民を福祉社会をむしばむ害虫のようにたとえて勢力を広めていた右翼も口をつぐんだ。同じヨーロッパ人には排他的になれなかったのかもしれない。右翼政党の支持率の伸びも止ってしまった。基本的人権、人にはみな同等の価値があり、誰もが良い人生を全うする権利があると教えられて育ったスウェーデン人の中には、財布のひもを解いただけでなく、マイホームも開放した者も多い。

自治体の受け入れ態勢の一つに社会・医療情報がある。医療ホームページ1177.SEの情報はウクライナ語でもアクセスできる。ストックホルム広領域の交通機関SLもウクライナ避難民は無料で利用できる。トラフィッキング(人身売買)の防止に目を光らせるグループが起動し、教会やNGOにはSpeaking Swedish Café(ボランティアがコーヒーをかこんで移民とスウェーデン語で交流し、インテグレーションに役立てる活動)の数が増し、サッカークラブもスタートした。オープンプリスクール(親子そろって参加できる保育活動)は、ウクライナからの家族の参加を歓迎する。スウェーデンと同じ青・黄二色のウクライナ国旗も連帯感を強め、2年間コロナ禍でソーシャルデイスタンスを強いられていたスウェーデン人は待ってましたとばかり支援にいそしんでいる。

ストックホルム広域医療自治体からのケアガイドパンフレット、1177 Vårdguiden。オンライン医療サービスサイト1177.SEがウクライナ語とロシア語でもアクセスできるという情報。写真フォン・オイラー三根子

ストックホルム広域医療自治体からのケアガイドパンフレット、1177 Vårdguiden。オンライン医療サービスサイト1177.SEがウクライナ語とロシア語でもアクセスできるという情報。写真フォン・オイラー三根子

再開された「月曜運動」

7月も半ばを越したヨーロッパ圏は未聞の猛暑に焙られているおり、スウェーデンの一般庶民は北欧の夏は短いからと、バカンスを最大限に味わうことに専念しているようである。しかしスウェーデンの首都中心街のノルマルム広場では、毎週月曜日に「ウクライナに自由を」を支援する一般人、政治家、世界中からの参加者を交える集会が開かれている。

1990年3月、穏健党の政治家らがバルト三国の解放を支援する運動をこの広場で始めた。毎週月曜日の12時に広場は人で埋まり、「月曜運動」と呼ばれて国中に広がり、79週間続いた。その後も国内外で人権を侵害する事態が起こるたびに、主義や政党を超越して国民の意思を表現する場となってきた。

2020年2月28日の月曜日、月曜運動は今回はウクライナのために再開された。かつては実現可能性の薄い夢と見なされていたバルト解放の支えとなった月曜運動は、あれから30年余りたった今、ウクライナにひとりの兵士もいなくなるまで続けられる。信念は山でも動かす、支援は夢を実現すると。

2022年2月28日、ノルマルム広場、ウクライナ侵攻後ただちに再開された 「月曜運動」。写真パウル・ヴェンネルホルムTTニュースエージェンシー社 (Paul Wennerholm/TT)

2022年2月28日、ノルマルム広場、ウクライナ侵攻後ただちに再開された「月曜運動」。写真パウル・ヴェンネルホルムTTニュースエージェンシー社 (Paul Wennerholm/TT)

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。