贅沢なとき
海外赴任
2019年始め、夫のワシントンDCへの赴任が決まった。とてもワクワクしたのを覚えている。これまで、海外で生活したことが2度ある。1度目は、イギリスのケンブリッジ(1987-1989)で、 結婚してすぐに夫の留学に伴って行った。当時、夫は学生で勉強に励む日々。一方、私はそこで長女を出産した。初めての海外、初めての出産と育児。今のようなインターネットがない時代で、何もかもがわからないことだらけで右往左往。二人とも忙しくしているうちに、あっという間に過ぎた2年の日々だった。
2度目は、アメリカのニューヨーク(1999-2002)。今から、およそ20年前になる。マンハッタンから電車で1時間位の郊外、ウエストチェスター郡のスカースデールに住んだ。ちょうど中学1年生(長女)と小学1年生(長男)となった子供たちの教育のことを考えたためである。学童期の子供たちを伴った海外生活は、母のすべきこと、てんこ盛り。ニューヨークでの生活は、子供たちを中心とした忙しくも楽しい日々だった。
そして、今回3度目の海外生活となったのがワシントン。 「さぁ、どんな生活が待っている?」
2019年7月9日ワシントン到着。
里帰り出産
ワシントンでの住まいは、正確に言うとメリーランド州のモンゴメリー郡南部に位置するベセスダというところで、ワシントンDCまでは車でおよそ15分。家は、閑静な住宅街の中にあり、自然が適度に残っていて、庭に鹿やきつねが出てくるほどだ。家自体は、かなりの年代物で、色々なところにガタが来ているようではあったが、庭付きの大きな家と、自然豊かな周りの環境は、日本では考えられないくらい恵まれていた。
そんな家で、生活を始めて間もなく。日本にいる長女から電話があった。
「私、里帰り出産しようと思うの」――。
?????一瞬何のことやらわからなかった。
実は、私たちがワシントンに来る時、長女は妊娠7か月の身重であった。出産する時に私が日本におらず手伝えないことが気がかりであったのだが。 「里帰り?」出産ということは、ワシントンの家を実家とみなし、こちらに来て出産するということである。
青天の霹靂。まったく考えてもいなかった展開。 しかし、それはすでに長女の中では決まっていた。
長女によると、飛行機に乗れるのは、妊娠8か月までなので8月の末にはこちらに来るというのである。それまでひと月もない。それから、怒涛の病院探しが始まった。
アメリカでは、まず出産する病院を決めるらしい。とは言っても、長女の場合、保険などいろいろな関係で出産することを受け入れてくれる病院を探すことになった。ワシントンには大きな病院がいくつかあるが、それらの中から、
- The George Washington University Hospital
- Sibley Memorial Hospital
- Shady Grove Adventist Hospital
この3つの病院をあたった。病院との相談は専ら夫に任せた。結果、費用や病院のシステム、家からの距離を考えて、 Shady Grove Adventist Hospitalに決まった。 とにかく、出産できるところは確保した。良かった。
しかし、ほっとしたのも束の間、8月末に身重の長女がやってきた。長女がワシントンに来てからは、長女中心の生活が始まった。ベビー服をはじめ、アメリカの車社会では必須のチャイルドシートの調達、赤ちゃんを迎えるためのこまごました準備。それから、本人の検診と両親教室へも通った。両親教室へは、ひとりでは行きにくいということで、私も一緒に参加した。初々しいカップルが集う中、母娘のカップルは、かなり浮いていたけれど、私にとって、長女と共有するその時間は貴重であったし、最新の子育ての講義は興味深かった。
そして、ワシントンに秋が来て肌寒くなってきた10月23日、その時がやってきた。午後10時21分。20時間の陣痛の後、元気な男の子「礼」誕生。予定日に合わせて日本から駆け付けていた長女の夫も傍らにいた。ワシントンで新しい家族が増えた瞬間だ。感無量。娘の電話からおよそ3か月、「里帰り出産」の最大の山場を無事に乗り越えた。
2020年2月20日長女と礼帰国。
楽しみ
長女が帰国して間もなく、3月中旬のある日を境に世の中がひっくり返った。あれよあれよという間にコロナ禍になった。次女(高校生)の学校は休校となり、夫の仕事は在宅、生活は一変した。人と集うことができなくなり、一日中家で過ごす日々が続いて、何となく気持ちが落ち込むことも多かった。
けれどそれではいけないと、気持ちを切り替えた。こんな時こそ、楽しみをみつけよう!と、私は、ゴルフを始めた。ゴルフは、コロナ禍で最高の楽しみとなった。身体を動かすことと、人と会うことが同時に叶う。一石二鳥。しかも、私のゴルフの本拠地⁈になったところは、手入れの行き届いた心地よい場所、Brettotn Woods Recreation Centerだ。ここは国際機関のレクレーション施設で、利用する人が国際色豊かだ。C&O運河とポトマック川の隣に位置していて、285エーカーの敷地でゴルフ、テニス、サッカーそしてその他の屋外スポーツが体験でき、家から車で20分と最高のロケーション。
国は違えど、人間考えることは同じで、コロナ禍のBrettonは、ゴルフと社交を求める人で大盛況だった。気持ち良い空間。ここではみんなが笑顔である。私は、時間があれば、Brettonに行った。はじめこそ楽しいだけで満足していたけれど、次第にゴルフに欲が出てきて、帰国までにスコア100を切ることが目標になった。 そのため、レッスンを受けたりYouTubeを見て練習した。一喜一憂の日々。
Brettonは、最後の18ホールが長い登り坂になっているのだが、調子のよい時は気にならないこの坂が調子が悪いと本当に身体にこたえた。
当初、クラブがボールに当たって跳べば喜んでいた私が、今では、グリーンの旗までの距離に合わせてクラブを選び、「スコアは、グリーン周りで決まる」なんていう会話を交わしている。おしゃべりに花を咲かせていることが多いけれど、私のゴルフは、徐々に進歩してきた。目標まであと1歩!
2022年5月14日スコア100。
帰国
日本への帰国が決まった。今、ワシントンで過ごした日々を振り返ると思いもよらぬことの連続であったと思う。長女の里帰り出産に始まったワシントン生活は、ジェットコースターのようにスリルと楽しさが隣り合わせの日々だった。誰も経験したことのないコロナ禍になった時、自分の考えをしっかり持つことの大切さを改めて感じたし、臨機応変に対応する力も鍛えられた。そして、どんなときも楽しむことの大切さに気づいた。たくさんあったできごとを通して学びの多い、ある意味、とても「贅沢なとき」を過ごしたのだと思う。
この3年、我ながらよくやった。
2022年7月8日ワシントン出発。
東京都出身。3年間仕事をした後結婚。20代30代40代で子供を出産し、3人の子の母となり今も現役母親業。幅広い年齢のママ友がいることが強みであり自慢。料理を作ることが好き、読書が好き、そしてゴルフが好き。「なんでも面白がる」をモットーに日々生活している。3年間(2019-2022)ワシントンに住み、その後帰国。