舌がん体験談~こぼれ話
事の始まり
2017年7月下旬、口内炎が舌の奥側面にできたのが事の始まりでした。
口内炎には慣れていたので様子を見ていたものの、1週間経っても改善しないどころか、いつもと少し違う?という感じがして、歯で軽く舌を噛んでみたところ…その部分は明らかに厚みがあり舌の柔らかさがありませんでした(しこり的な硬さがあるのではなく その辺りが分厚くハードな感じ)。
「これ、口内炎とは違う…」
脳裏をよぎったのは「これって、ひょっとして…舌ガン…?」という直感でした。
実は、思い当たることが一つありました。だいぶ前から右上奥歯のブリッジが劣化腐食して、舌に触れて気になっていました(歯科を変えようと探していた最中)。今回の「口内炎」は丁度、その箇所だったのです。とにかくただの口内炎ではなさそうだし、悪性のものであるなしにかかわらず、一刻も早く専門の医療機関で診てもらうべき!と大学病院の口腔外科を受診しました。
検査・診断
問診と視診にて、「ほぼ腫瘍に間違いなさそうです」と腫瘍外来に回され、生検・エコー・PET等々の検査を経て確定診断に至りました。
やはり「舌ガン」でした…癌と聞いて、全くショックがなかったわけではありませんが、自分自身ほぼそうだろうという気がしていたので、「やっぱりな」という感じで、意外と冷静に受け止めました。「とにかく何とかしないと!」「悪いところは取ってしまうしかないのだから」と、不思議なほど冷静に考えていたことを覚えています。
治療方針~手術
腫瘍の大きさと状態から、「舌右半側切除」、同時に「左前腕皮弁移植による再建術」、併せて「右頸部リンパ郭清術」(リンパ節を綺麗に取去る)を行うことになる。入院期間は概ね1カ月半程、と説明を受けました。
事が「癌」ですし、他の医療機関でセカンドオピニオンを聞いてみるべきなのか…迷いましたが、たまたま病理医をしている知り合いがいたので、意見を聞いてみたところ、「恐らくその診断と方針は標準的だと思うので、医師との相性が悪くないのであれば今の病院でも良いのでは?」という実にニュートラルな見解。それを聞いて自分自身、すんなりと「ここで受けよう」と決めることが出来ました(万が一セカンドオピニオンで少し違う方針を出されたら迷い出して決断が難しくなってしまう恐れもありますし)。
こうして9月初旬、「舌右半側切除」「左前腕皮弁移植による再建術」「右頸部リンパ郭清術」を受けることとなりました。
具体的には
- 舌の右半分弱を舌先~舌根にかけて切除
-
切除により失った部分を補う為に左手首の皮膚・皮下組織と橈骨動脈(いわゆる、脈をとる時に押さえる血管)を採取して舌の欠損部分に移植・頸部の血管と吻合する
*ただし、移植した組織には舌としての機能はないので、味覚も温度感覚もなく、動きもすべて残存部分に依存することになる。 - 皮弁を採取した部分に腿から採取した皮膚を移植する(いわば自己完結ドミノ的?)
- 右頸部のリンパ節を綺麗に取り去る
これらの手術を口腔外科と形成外科が同時に進める形で、手術時間は約11時間ほど。
手術が終わってICU
手術は10時間強で終わったそうで、ICUで目が覚めたのは翌早朝。
目は覚めたものの、
- 気管切開してるので声が出せない
- 皮弁採取した血管を頸部の血管に吻合している為、吻合部分の閉塞、断裂の危険があるので首を右に動かしてはいけない
- 皮弁採取した左手は浮腫予防や移植した皮膚の定着のために、左腕を宙吊りにされたまま
- 右腕には点滴、血圧計腕帯とモニター機器のケーブルが繋がっていて動かせない(筆談もきつい)
そんな体勢での数日は、まるで「拷問」でした…。
経過観察室
ICUから経過観察室に移され、オペ後1週間で抜管できて、やっと声が少しずつ出せるようになったものの、舌の奥(喉側)の傷口が閉じるまでは、水分摂取NG。経口飲食が出来ないので鼻チューブからの経鼻流動栄養食摂取が開始。手首の傷が落ち着いて来たら、やっと左腕宙吊りから解放されました(でも暫くは、三角巾で首から吊る)。
一般病室
メインは「舌」の手術ではあるものの、如何せん「自己完結ドミノ」的にあちこちにメスを入れているので、毎日欠かさずの日課は多岐にわたり、
- 切除縫合した舌の経過(傷口、動き、血流)チェック
- 吻合した血管の血流の確認
- 皮弁採取した左腕に腿の皮膚を移植した箇所の経過チェック
- 左腕に皮膚を移植するために皮膚を採取した腿の傷の経過チェック
※特に吻合した血管の血流が悪いと移植した組織が壊死してしまうので、日中も、夜中も何度も舌の血色チェックがありました。
右半分のフェイク舌が重い…
舌の右半分が、手首から組織を採って移植したフェイクの舌になった訳ですが、移植してしばらくすると組織が瘦せて来るので「当初は大きめな物が付いた形になる」と説明は受けていたものの、
本当に分厚くゴロンとした物体が、残った左半分の舌ベロに「無神経に」「厚かましく」デ~ンと圧し掛かるようになってしまいました。
左半分が可哀想で可哀想で…。
まるで、電車で隣の太った居眠りオジサン(ゴメンナサイ)が、もたれ掛かって来て重くて辛い状態(泣)でした。
嚥下トレーニング
術後3週間ほど鼻チューブからの経鼻流動栄養食摂取を続けた後、耳鼻咽喉頭頚部外科にて傷口の状態を確認した上で「嚥下機能テスト」を受けました。水、白湯にトロミ剤でとろみをつけて誤嚥しないか飲み込み機能を確認して、問題なければ少しずつ水分摂取の練習を開始するものです。
とろみをつけた飲み物を上手く飲み込めるようになって来たら、重湯から始めてドロドロ状の流動食の飲み込み練習を開始。
以降、嚥下テストを繰り返しながら次のレベルへと進んでいきます。
- 【流動食】おかずもドロドロ状で見た目にも材料が何だか判らないし味もよく判らない
- 【トロミ食】おかずが何か何となく判る程度
- 【きざみ食(細)】
- 【きざみ食(粗)】
- 【常食】
経口飲食が始まってみて…
私の場合、9月上旬オペで1ヶ月後、10月上旬で嚥下食開始となったのですが…。
これまで何を考えることもなく飲み食いして来て、時々うっかり噛んだりした時以外意識などした事のない舌でしたが、【舌】というものがこれほど「働き者」な大切な器官であったことに初めて気づかされ、感動すらさせられることになったのでした!!
舌は飲食物を飲み込む時に誤嚥しないように制御してくれるだけではなく、食べ物を咀嚼している間も舌のいろんな部分を使い分けて一噛み一噛みごとに食べ物をうまくコントロールして、噛み易い位置に動かしたり、飲み込みやすくうまく纏めて喉に運んでくれているのです!なんと健気な!!
その証拠に、右半分がフェイクなので、舌としての機能を持っておらず、食べ物が口の中でバラバラに散らばって収集つかなくなってしまうのです。口の中でバラバラに散らばった食べ物を何とか少しずつ飲み込もうとしても、うまく喉に送り込めず…動きが悪いため食べ物が喉の入り口あたりで止まってしまい、「飲み込めないし、戻せもしない」「行くの帰るのどーするの~♪」みたいな非常に困った状態に陥ってしまいます。「二進も三進もいかない」状態に困りすぎて、もはや笑うしかなかったです。
そんな事を繰り返し四苦八苦、毎食1時間半以上かけてヘトヘトになる日々を重ねました。物を飲み込むことがこんなに意識しないと出来ないとは・・・口から飲食が出来るのは当たり前のことであり、でも実は本当に有難いことなのですよ。改めて【舌】の凄さを知り感服です!
補助治療
術後1ヵ月ほどして病理検査の結果説明がありました。
今回の手術で腫瘍は取りきれた。但し、念の為、「補助治療を行うことを勧める」とのことで、
①化学放射線療法(シスプラチン+放射線)(入院治療2.5ヵ月)
②内服化学療法(約1年抗がん剤TS-1を内服し外来通院で受診)
このどちらかを受けることを勧められました。
医師としては現在標準治療となっている①を勧めるが、その場合、退院後改めて2.5ヵ月の入院が必須となる(この治療中は一時帰宅、外出は無理)。また、①の治療を受けたからと言って再発を100%防げるというものではない。
更に、実は、自身の仕事が大きなプロジェクトの最終段階にかかっているところで、この退院後に更に2.5ヵ月も抗がん剤と放射線治療というシビアな入院をするのは難しい状況という事情もありました。
「医師としては、②を選んで万が一の場合に患者に後悔させたくないので、正直なところ①を勧めたい」という見解に、こちらも正直迷う気持ちもありましたが、仕事の事情も含め率直に医師にぶつけて相談を重ね、最終的に②に決めました。抗がん剤は退院後少ししてから約1年間服用しました。幸い重篤な副作用は出ずに済みました。
経過観察
経過は概ね順調で、10月半ばに、当初予定通り約1か月半で無事退院することができました。退院後は1ヵ月毎に経過観察で受診(血液検査、エコーやCT検査と診察)しました。2年後、3年後、徐々に診察の間隔は空くようになって来ており、お蔭様で今のところ「再発の所見は見られません」のお墨付きを頂いています。現在、術後4年半を過ぎ、今年9月で5年となります。
今でもまだ飲食には注意が必要です。缶やボトル飲料を残さず飲み干そうと上を向くと、気管が上手く塞がらず誤嚥してむせてしまいますし、薬が喉の入り口に引っ掛かって「行くの帰るの、どーするの~♪」は今でもよくあります。
でも、あれだけ分厚く無骨だったフェイク舌もだいぶ痩せて左の実子とそこそこ仲良くできるようになってくれたので、まぁ良しとして、「めでたしめでたし」といったところでしょうか…。
滑舌といえば…
半分がフェイクになってしまったことで、声質が少し変わってしまいました。それと、滑舌はかなり悪くなって苦労しました…今でも意識して喋らないと、聞き返されることがよくあります。
滑舌問題について面白いことに気づきました!滑舌が悪いと言えば「ラリルレロ」が一番難しいと思われがちですが、一番の難敵は、何と!「カキクケコ」だったんです!意外で面白い発見でした!!!カキクケコは今でも綺麗に自然に発音できません。上手くごまかして喋ってます。今でもお風呂の中で「アエイウエオアオカケキクケコカコ…」と「早口言葉」の練習を続けています。
大変な経験をしてしまいましたが、なかなか出来ない貴重な経験でもあります。考えようによっては「非常に面白い経験」とも言えるかも知れないです。だって、「手首のお肉を舌ベロにしちゃうんですもの」!「そんな面白いことってあります~?(笑)」
特記事項
今回治療にあたって下さった口腔外科、形成外科の先生方、看護師さんには本当に感謝しています。入院中、初めて知って驚いたことがあります。毎朝、午前の外来前に病棟の処置室で診察と処置があります。それとは別に、先生方は誰かしら毎日必ず様子を見に病室に寄って下さいます。日曜日もです。日中病棟に来られない日には夜でも寄られます(オペが終わってからのことも)。
看護師さんに聞くと「外科系の医師はそうですよ」と。つくづく、ただただ「すごい…」と思いました。
おまけ
今回の手術を通して、もらった「勲章(?)」が一つあります。
ICUで血管吻合部を損傷しないよう、頭を動かさずにずっと上を向いたまま寝ていたことで後頭部に血腫ができてしまったのですが、気づいた時にはすでに頭皮組織がダメージを受けていたようで…。指で触ると「ん? チュルチュル???」
なんと!
まぁ~るい大きな「500円玉ハゲ」が出来ていたのです!
「いやぁ~ん!!!!!」とショックを受けながらも、これはもう笑うしかありませんでした…。
「よくがんばりました」という「丸~い勲章だな」と思うことにしました。今は100円玉くらいになりましたけど(笑)。
ということで…
あまり一般的でない「舌がん」。 実際にどんな治療方法があって、どんな風に、どんなことが起こって行くのか…。「こんな状態だけど本当にうまくいっているのだろうか?」等々、わからないことだらけ。
実際私も何も知らない状態で「ぶっつけ本番で手術」に臨むことになり、「驚き!」の連続でした。
私の体験はほんの一例にすぎないと思いますが、ナマナマしい実体験談を聞く機会はそうそうないと思いますので、「ふぅ~ん」「へぇ~」「そんなことするんだ…」と面白がって、珍しがって頂けたら幸いです。
なないろガラスはペンネーム。東京生まれ育ち。手術当時59歳。経過観察室にて「還暦」の誕生日を迎えることになり筆談ボードに描いたケーキで祝ってもらい、あれから4年半…。今ではフェイク舌を飼い馴らし、誤嚥に気をつけながら、魚の骨もスイカの種もうまく分別できるようになり、ご飯もデザートも食べ過ぎるくらいになりました。