「私らしさ」を大切にするがん治療:乳腺外科医が伝えたいこと
子どもの頃から医師を志し、手術で劇的に患者さんの症状を改善できる外科医になると決めました。夫(内科医)の留学をきっかけにアメリカに移住した後は乳がんの研究に携わり、その後、アメリカでも医師免許を取得して大学病院などで勤務しました。現在は東京の聖路加国際病院副院長を務めながら、乳がん患者の治療にあたっています。
変わるがん治療
私がアメリカに渡った1990年ごろ、日本で乳がんにかかる女性は50人に1人ほどでした。今は9人に1人くらいになっています。この背景には食生活の欧米化と、出産年齢の高齢化や出産回数の減少に伴って女性ホルモンへの曝露が上がっていることなどがあると考えられています。件数が増えるのと同時に、がんを治療する医療の体制や考え方も変わってきています。かつては、がんは不治の病と考えられ、治療の効果は5年生存率(診断から5年後に生存している人の割合)などの医学的評価だけで測っていました。どれだけ生存率を上げられるかに重点が置かれ、治療を終えたその後のことは考慮されていなかったのです。
がんは今、不治の病ではなく慢性疾患になりつつあります。日本では一年に約9万人が乳がんと診断されますが、残念ながら1万人ほど亡くなられます。残りの8万人はがん「サバイバー」としてがんの治療後も人生をおくられます。がん治療を終えてからその治療の影響を抱えながら長い年月を生活しますので、治療している間もその後も、「その人らしさ」を大切にして支える医療が求められていると思います。日本でも、総合的に患者さんを支える治療と、その後のサポートを重視する医療が少しずつですが広がりつつあります。
がん「サバイバーシップ」
がんの「サバイバーシップ」とは、がんの診断を受けた時から、治療中そしてその後も継続的に、がんと共にまたはがんを乗り越えてどう生活するかを指します。診断直後の急性期から治療、治療後に残されている年月をどう生きるか、患者(または元患者)の人生をどう支えるかーー。医学的な治療だけでなく、仕事のことや家庭のことを考慮してサポートする、治療が終わった後もずっとフォローしていくことが大切だと私は提唱してきました。
サバイバーシップは次の4つの面に分けて考えることができます。
- 身体的問題(外科手術による体の変化、機能的変化、2次性発がん、妊娠・出産への影響、など治療による身体的問題)
- 心理的問題(がんに対する不安、再発への恐怖、うつ状態、否認や怒り、孤独感など)
- 社会的問題(がん治療による医療費負担、就労、生命保険などへの加入、家族や家庭など)
- スピリチュアル的問題(生きることとは?人生の意味、価値観への問いかけ、罪の意識、死に対する恐怖、神に対する思いなど)
これらの4つの側面を、診断直後の急性期から終末期までのステージに合わせてきめ細かく、患者さんそれぞれに合わせて検討します。
*手術をしてがんは治ったけれど、腕がむくむなどの後遺症がある、妊娠できない。
*治ったけれど、仕事を失ってこれからどうやって生きていこうー-。
*夫との関係が悪くなった。
こうした悩みはがん治療を終えた多くの方が経験するものです。
がんの治療は急速に進歩していて、新しい薬も数多く出ています。薬の組み合わせによって効果も上がっていますが、一方では副作用が複雑になったり、費用が上がったりという面もあります。医学的には前進であったとしても、治療の副作用が辛くて耐えられない、高額な費用を払えないということであれば、真の効果として患者さんに届きません。こうした面も考慮した医療を提供する必要があります。
乳がんだけでなく、AYA世代(15歳から30代まで)のがん患者も、特にサバイバーへの支援が必要です。この年代は多様ながん種があり、また進学・就職・結婚などのライフイベントが多くある年齢でもあります。がん治療を終えてサバイバーとなった後に、若い時にがんを経験したことから来る多くの問題を抱えながら生きていくことが多いのです。
その人らしく生きるためのがん治療
医師として、日本とアメリカで多くの患者さんに接してきました。日本では、がんと診断されると、がん患者「らしく」振る舞わなくてはいけないと考える人が多いように思います。がんと言われた途端に全く別世界に入ってしまって、そこに閉じ込められたようになってしまうーー。でもそうではないんです。がんは人生の一部に降りかかってきたものではあるけれど、自分の人生ががんに取って代わられてしまうわけではありません。
アメリカでは I’m dying と、さらっと言う患者さんもいました。日本とアメリカでは宗教観の違いがあるからかもしれません。キリスト教の背景があるので死をタブー視せず、死について語れる土壌がありました。残された時間が限られているから、その時間を自分はこう過ごしたいと、自らの意思を持ちそれを表現する人たちに数多く出会ったのです。
外来の診察ではまず世間話から始めます。どんな仕事をしているのか、子どもはいるのか、趣味は何か、何を大切にしているのかー-。それがわからないと治療方針を決められないからです。同じ38歳の患者さんでも、幼い子のお母さんであれば、子どもがお風呂で手術の傷跡を見て怖がらないかと心配するかもしれない。一方、ベンチャー企業を立ち上げたばかりの経営者で、通院をできるだけ少なくして、乳房再建はいらないという方もいました。70代で水泳が生きがいだった方は、周囲の目を気にせず水着で泳ぐため、高齢でしたが再建を希望しました。乳がんの種類・ステージや年齢だけでは治療方法を決められません。本人にとって何が大切か、治療後の人生をどう生きたいかに沿って、医師と患者さんで一緒に治療方針を決めていくのです。降りかかってきたがんに飲み込まれるのではなく、自分の生き方、何を大切にしているかを医師に示してもらえれば、より良い治療ができると思います。
病気になってわかること
患者さんに知ってもらいたいのは、がんという病気になっても自分らしさは変わらないー-ということです。病気になったからこそかえって、本当の自分らしさに気づくこともあります。自分の人生を振り返ってこれまでにはわからなかったことがわかったり、周りの人たちの優しさに触れたりする。そうした経験を通じてより深く自分のこれまでの生き方を見つめなおすこともできるのです。がんに飲み込まれず、どんな時も自分らしさを見失わないでいてほしいなと思います。
聖路加国際病院副院長、ブレストセンター長、乳腺外科部長。1963年東京都生まれ。87年順天堂大学医学部卒。著書に「あなたらしく生きる」、「乳がん:自分に合った治療を選ぶために」などがある。監修した書籍は「乳がん術後の心と体を守るダイエット」、「乳がん治療をのりきる生活・食事・お金」、「乳がんのことがよくわかる本」など多数。