乳がんの学び ~わたし自身の人体実験~

はじめに

放射線で消しても消しても、しぶとく出てくるがんを前にして、どうすれば生き延びられるのかを常に考えていた時期が私にあったとは、今、周囲にいる人たちには、きっと信じられないことでしょう。

巷で言う、この「ステージ4のがんサバイバー」が、数々の良縁に恵まれ、多くの智慧に助けられ、今でもこうして肉体を持ち続けて、人生を歩み続けていることに、深い感謝の念を覚えます。

突然の発覚と動揺

がんの始まりは、2013年初夏でした。

着替えの際、何気なく触れた右胸に硬いものを発見し、息を飲みました。それも、決して小さくないものでした。病弱だった母親は10年以上前に他界していましたが、母も、他の近しい親族にもがんを患った者はおらず、その時点では、「良性に違いない。私が乳がんになるわけがない」、そう思い込みたい気持ちで一杯でした。パリで公私ともに充実していた時期で、大病を引き寄せるタイミングであるはずがありませんでした。

パリ・アメリカン・ホスピタルに勤務している友人のお陰で、速やかに検査を受けることができ、約2.5センチの腫瘍が見つかりました。同日に受けた細胞診の結果が出るまでの1週間の長かったこと。

がんでありませんように、という祈りは届かず、細胞診の結果、腫瘍は悪性、グレードは一番悪いⅢ、増殖性が非常に高いと書かれていました。と、ここではサラリと書いていますが、在仏10年以上経っていた私でも、フランス語医学専門用語で書かれた検査結果は理解するのが難しく、馴染みのない専門用語を辞書で探し、ネット上で集めた日本のがん診断情報と照らし合わせて、自分自身が置かれている状況を把握しました。どれくらいの速度で増殖していくのか、治癒する確率はどれくらいあるのか、分からないことばかりでした。とにかく、なるべく早く、どこで、どんな治療を受けるのかを決める必要がありました。

40代半ばだった私の友人たちの中にがん経験者は皆無で、日本に暮らす親友ひとりに打ち明けたあとは、しばらく誰にも言えませんでした。思い返すと、自分自身への罪悪感が非常にありました。なぜ自分の体内にがんを作ってしまったのか?私の何が悪かったのか?病弱な母を持っていた私は、若いころから、人一倍健康に気を付けてきたつもりでした。自分ががんになってしまったことで、家族に心配をかけ、特に、長年入退院を繰り返した母を看取った父親を、更に私の病で悲しませることが本当に辛く、治療開始直前まで、家族には言い出せませんでした。

治療法の決定、その結果

医師たちの夏のバカンスシーズン目前だったこともあり、検査をした病院では、速やかに外科手術の日程を押さえることを勧められましたが、胸を切りたくないという思いと、副作用が強い抗がん剤を使うと、普通の生活に戻れなくなるのでないかという不安から、なるべく体に負担をかけない治療法を国内外問わず探し求めました。それは、晩年、長期に渡るステロイド投与によって、生命力や思考力までも損なわれていった母の姿から得た教訓でもありました。

様々な食事療法や、興味ある自然治療法も見つけましたが、私の場合、増殖性の高い、質の悪いがん細胞であることが分かっており、急ぐ必要がありました。少人数で運営しているパリの会社の仕事も、長期間不在にするのは容易ではありません。

ある程度は西洋医学による即効性を求めるしかない、と割り切ったある日、「乳がん、切らない」と、入力して検索してみると、鹿児島にある放射線クリニックが出てきました。

その翌月、鹿児島に飛んでセカンドオピニオンを受けました。桜島の雄大さ、南国の気候、人々の大らかさが気に入りました。ピンポイント放射線治療は、標準治療よりも心身ともに楽そうに見えたこと、他の乳がんの患者さんの予後が大変良好なケースが多いことが決め手となり、このクリニックにパリから通うことにしました。第一クール4週間、2か月の間をあけて、第二クール2週間の照射、その後は3か月ごとの経過観察を受けることになりました。

パリで検査した際には腫瘍は1つだと言われていましたが、初回のPET-CT検査では、小さいものが他に2つ見つかり、うち1つはリンパ節にも飛んでいました。「2期のがんが1つと1期が2つ、全体ではステージ3とも言えますね」と、医師にさらりと言われ、非常にショックを受けたことを思い出します。「でも、治る可能性はありますから、治療しましょう」――。

この日のみならず、2016年の最後の移植手術に至るまで、検査結果が良かったことは、滅多にありませんでした。毎回、今度こそ大丈夫と、前向きに3か月おきに検査を受けていたものの、結果を見て落ち込むことの繰り返しでした。特に、第二クール終了後から半年も経たずして受けた検査で、2か所の転移が肺に見つかった際には、ステージ4となってしまったショックのあまり、座り込んでしまいました。

私がお世話になった鹿児島のクリニックには、日本各地から患者さんが集まってきていました。薬物療法が辛過ぎて転院してきた患者さんもよく目にしました。乳がんの場合、治療後に皮膚の炎症や放射線骨折などは出てくるものの、確かに、ピンポイント放射線治療は、標準治療に比べて心身の負担が少ない治療法だったと思います。1回の治療は、着衣のまま、約20分照射台に横たわるだけでしたから。特に、私の肺転移時の治療は、ごく少量の抗がん剤点滴を併用しながら、5回のピンポイント照射できれいに消え、改めて放射線治療の利点を実感しました。

2013年鹿児島市の桜島にて。治療の合間にあちこち観光を楽しむ

2013年鹿児島市の桜島にて。治療の合間にあちこち観光を楽しむ

しかし、肺転移を消したあとも、しぶとい胸の原発巣が再発、再々発を続け、かつ、繰り返した放射線照射の影響で皮膚に潰瘍ができ、皮膚移植が必要となってしまいました。それ以上放射線治療が続けられなくなったのは、パリの2回目の任期があと数か月で終わろうとしていた、2015年夏のことでした。

「もう外科手術しか術がない」と、主治医に告げられ、その対応が出来る提携大学病院を紹介されました。当初、胸の外科手術を避けて放射線治療を選んだものの、結局、乳房どころか、何の問題もないきれいな腹部まで切除せざるをえない状況になってしまい、なんだか、ミイラ取りがミイラになってしまったような、やるせない気分でした。しかし、皮膚の潰瘍も少しずつ広がって痛み始め、どう考えても、ほかに生き延びる道はありませんでした。

移植手術と術後の対応

移植手術前日に入院、パリの友人からもらったお守りのリングを付けて

移植手術前日に入院、パリの友人からもらったお守りのリングを付けて

2015年11月の日本帰任後、まずは東京に新居を構えて、親会社に復帰したあと、紹介された大学病院に入院しました。まず、再々発しているがん腫瘍を含む右乳房を乳腺外科医が全摘し、その後、形成外科医が、腹部から脂肪、血管、皮膚、少しの筋肉を右胸に移植するという、13時間に及ぶ穿通枝皮弁再建術でした。手術前夜は、翌日でお別れする右胸に、これまで放射線治療に耐えてくれた感謝と、これから右胸の代わりを担うため、犠牲になってくれるきれいな腹部に、心からのお礼を言いました。それ以来、こんな大手術を乗り越えて命をつないでくれた、私の身体の細胞の1つ1つへの深い感謝の念は、絶えることがありません。

幸い、この手術以来、6年後の今日に至るまで、がんの再発や転移は認められていません。術後は、予想以上に身体へのダメージが大きく、体力・免疫力回復のため、様々な健康法や代替療法を併用しました。あらゆる方面から良いと耳にし、自分がピンときたものは、全て試してきました。

術後も、医師が勧める投薬治療はお断りしたので、自分自身で体質改善に取り組み、がんが再発/転移しない身体に作りなおすという、人体実験に成功する必要がありました。「ほら、投薬しなかったから再発/転移したでしょ」と、のちに医師に言われたら癪にさわりますから(笑)。 

成功するかどうかは分かりませんでしたが、たとえ上手くいかなくても、それが後悔なく、自分らしく命を生ききる道だと思えました。人は、がんでも死ぬけれど、がんが治っても、いずれ必ず死ぬ。その時から、いつの日か必ず来る自分の死さえも、1回きりの貴重な人生経験として受け入れることで、よりシンプルに生きられるようになった気がします。すべてのことが有難く感じられ、何があっても、大丈夫だと思えるようになりました。

個人的体験から

ロックダウン中、澄み切ったパリの青空

ロックダウン中、澄み切ったパリの青空

私の場合、体質改善対策で一番有効だったと感じるのは、光線療法と漢方療法でした。東京では、定期的に光線療法施術所に通っていたほか、機材を購入して、自宅でも3方向照射をしていました。

学生時代に気功教室に通っていた私には、人を全身の気の流れで統合的に診る東洋医学の考え方もしっくりきました。バイオレゾナンス医学会に所属する漢方医に気で診察していただくと、2016年の時点では、まだ肺と喉にがんの反応が確認され、半年間の抗がん漢方薬服用後、消滅しました。その後は、今に至るまで、術後の傷の体内からの回復、免疫力アップを目指した漢方服用を、非継続的に続けています。

エドガー・ケーシー療法 というCARE (Circulation:体液の循環、Assimilation:食物の適切な消化吸収、Relaxation/Rest:休息/休眠、Elimination:排泄)にも、大変お世話になりました。その食事療法部分は、美食の国に住む食いしん坊な私には遵守できないものも多々ありますが、がん患者に有益な情報が多数含まれてます。

がん治療を通して、元気でいたなら感じることのなかった様々な感情を味わい、体感しました。自分自身の身体に向き合い、ヒトの生命力の神秘さや、大いなるものに命をゆだねて生きる謙虚さを学びました。この「生きる過程」で、素晴らしい師や仲間たちにも出逢い、私の人生の大きな転換期となりました。

生涯、ずっと健康でいられるならば、もちろん、それに越したことはありません。

しかし、もしご縁あって病を得たならば、貴重な人生経験の1つとして、前向きに向かってみませんか?そして、ご自分の治療法、対処法は、他人任せにせず、なるべく多くの情報を集めて、ご本人にとって一番ピンとくるもの、納得できるものを選んでいただくのが、最良の道だろうと思います。ご自分で選んだものなら、前向きな気持ちで取り組めるでしょうし、身体も最大限応えてくれようとするでしょう。

どんな治療法、対処法を選ぶかは、ひとりひとりの生き方の選択に他ならないのです。


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