ウクライナから日本が学べること
日本では驚くほどウクライナ戦争に対し関心が高い。メディアでも連日、報道されている。残念ながら冷戦終結後だけでもコソボ戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争、リビア戦争など数々の戦争があったが、ウクライナ戦争程の注目を集め、自国の防衛を見直すきっかけとなったことはない。ロシアの不当なウクライナ侵略により、中国が台湾を攻撃し、日本も戦争に巻き込まれる可能性が突如現実味を帯びたからであろう。
そもそもウクライナは軍事大国ロシアに対しなぜ世界が驚くほどの戦いを続けられるのだろうか。そしてそこから日本が学べることはあるだろうか。
もちろんアメリカをはじめとする北大西洋条約機構(NATO)加盟国の支援が戦いを支えている。対戦車ミサイル、ドローン、榴弾砲、重火器、多連装ロケットシステムなどの装備、そして諜報も欠かせない。アメリカがロシアの侵略を予測し、その時期や規模、偽旗作戦に至るまで高精度の情報を提供した。戦争が始まるとロシアの地上部隊や戦艦の動きに関する情報を伝え、ウクライナ軍の効率的な戦いを可能にしている。
しかし、ウクライナが他国からの支援にだけに頼っているわけではない。自国軍の強化に加え、デジタル変革庁がデジタルトランスフォメーション(DX)をすすめ、軍の航空偵察部隊がドローンを製造配備し、アメリカや北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)の支援を得てサイバー防衛対策を取ってきた。
ウクライナが進めてきたデジタル化
ゼレンスキー大統領は2019年に就任後、組閣とともにデジタル変革庁を創設し、政府業務や各種書類手続きなど市民サービスの完全デジタル化を図った。それを可能にしたDiiaという政府アプリは計画立案から運営開始までわずか4か月で実現された。
このシステムがロシア攻撃に対抗する有効な「武器」となった。ロシアの侵略とともにデジタル変革庁はデジタル戦闘部隊となった。担当大臣のミハイロ・フェドロフ氏がスペースXのイーロン・マスク氏にフェイスブックでメッセージを送り、それに応えたマスク氏が即刻衛星コンステレーション『スターリンク』を提供した。その結果、ロシアの容赦ない攻撃にもかかわらず、一定の高度で安定的な通信環境が維持されている。
デジタル変革庁のIT技術者は人的ネットワークを利用し、アップルなどのビッグ・テック企業にロシアでのアプリのダウンロードや製品のアクセスの停止を促した。その成果もあり、アップルやフェイスブックがロシアでの製品販売や事業を停止、METAはロシアの国営放送のフェイスブック・アカウントをブロックした。
また民間から「IT戦士」をリクルートし、サイバー攻撃からの防衛や高度な攻撃への対処、フェイク情報を流しているロシアのソーシャルメディア・アカウントの追跡などを行っている。
すでに市民に行き渡っていたDiiaに2月の戦争勃発後、ロシア軍の動きなどをアップできるchatbot機能、状況を24時間カバーするテレビへのアクセス、シェルターに閉じ込められている子ども向けのビデオなどの機能を追加した。民間企業がほぼ一晩で近代化した空襲警報システムを民間防衛軍とつなぎ、グーグルと連携をはかることで、警報がアンドロイドの携帯に直接流れるようにもした。
準備されていたドローン部隊やサイバー対策
ドローンが敵の動きなどの情報を収集したり、的確な攻撃を行う非常に有能なITスパイのようなものであることは今回の戦争が証明しているが、ウクライナにはドローン運用を専門とする陸軍航空偵察専門部隊がある。2014年のクリミア侵略時、民間人グループが活用したドローンの有効性を認めた政府が専門部隊を設置し、ドローンの設計製造運用を行い、専門のパイロットも育成していきた。だからこそ他国から提供されたドローンの運用も可能になっている。
ロシアのサイバー攻撃はクリミア侵略以降も続き、高性能で悪質なマルウェアがウクライナのインフラばかりかEU諸国にも被害を及ぼした。これに対しアメリカ政府やEU、そしてアメリカの大手IT企業が資金や技術面で支援をし、ウクライナはサイバー対策を整えてきた。
ロシアによる侵略の数か月前には、米軍のサイバーコマンドの前線チームとEUのサイバー即応部隊、民間の専門家がウクライナに入り、通信ネットワークやインフラに隠されていたマルウェアを探索・破壊し、ウクライナのサイバー防衛力を強化した。例えばロシアの侵攻直前、マイクロソフト社がマルウェアを発見、3時間後には防御用のソフトを組み込んだ。
こうしたアメリカ政府やEU、大手IT企業のウクライナ支援を容易にしているのは、ウクライナ政府や企業がここまでDXやサイバー対策を整えるための地味で時間がかかる面倒なプロセスを根気よく進めてきた結果であるとここまでの努力が高く評価されている。
絶対条件である人的資産
ウクライナは長年、数学、エンジニアリング、コンピュータ・サイエンスといった技術部門の教育に力をいれてきた。IT技術者たちはグーグルなどアメリカの大手IT企業のプログラミングの下請けだけでなく、システム企画なども請け負っている。ハイテク分野は近年大きく伸び2020年には20%の成長を見せたほどである。
ゼレンスキー大統領の役割も大きい。俳優であった同氏は、強みであるコミュニケーション力をフルに生かしさまざまな支援を実現している。一方自らも認めるように素人である軍事面は防衛大臣などのプロに任せている。
DXも同じである。デジタル改革庁の担当大臣にはIT構築イニシアチブを創設するなどIT分野で活躍していた若干31歳のフェドロフ氏を任命した。同氏は起業、マーケティングやソーシャルメディア、コンピュータ・プログラミングの専門家で、ビジネス経験があり、スピードとインターネット活用が信条の若い男女を採用した。だからこそDiiaは4か月で立ち上がり、戦時にはそれを有効活用し、さらにビッグ・テックのいわば共通の「IT言語」を活用する人々からアドバイスや支援を迅速に受けることができた。
ウクライナは伝統に頑なな縦社会ではなく、年功序列や組織、肩書などにとらわれず国民がそれぞれ自分で考えてできることを実行するという自主独立の精神を重んじる国民性を持つ。だからこそIT部門の若い人材が育ち、必要に応じ官、民が壁にとらわれずベストなものを効率よく利用し、有能な若者が大きな権限も持てる。これが戦時には強力な「武器」となっている。
一方日本では、デジタル化を掲げながら使い勝手の悪いマイナンバーカードはなかなか利用されず、コロナワクチン接種事務ではコンピュータがあっても必要な手作業や重複による無駄やミスが多かった。もし日本を攻撃するならミサイルを使わなくともこうしたDXやIT面での弱点を突くことで、社会を簡単に機能不全にできる。
ウクライナのすぐれたDXやサイバー対策は戦時に有効なだけではない。平時には国民の生活を支え、人材を育成し、経済を成長させている。日本がウクライナに学べることは多い。
日本の金融機関に勤めた後、国際問題を学ぶためマサチューセッツ州のフレッチャー外交法律大学院へ。卒業後ワシントンとロンドンを行き来し、外交安全保障問題やNATOなど同盟関係に関し日本のメディアやシンクタンクに執筆している。