カンボジアの孤児院の子どもたちにお母さんと呼ばれて

2022年6月の首都プノンペン

首都プノンペンの川沿いに建ち並ぶ貧困層の家々

首都プノンペンの川沿いに建ち並ぶ貧困層の家々

高層ビルと高層マンションの建設ラッシュがまだ続き、ビバリーヒルズにも負けない高級住宅街があちこちに出来ています。イオン・スーパーも3つ目が建設中。世界で販売されている最新の物をここプノンペンでは買うことができます。数百はあるインターナショナルの学校が競い合いをして子どもたちを確保し、レクサスやレンジローバーなどの高級車で渋滞しています。その道路で、幼い子どもが果物を売っていたり、物乞いのお年寄りがいたり、空き缶や鉄くずをリアカーに集めている親子がいます。

首都プノンペンの高層ビル

首都プノンペンの高層ビル

荷台付きバイクに野菜くずや使えそうな物を色々集めている

荷台付きバイクに野菜くずや使えそうな物を色々集めている

2004年 東京

人生の中で、「お母さん」って呼ばれたい。お母さんになりたい。
いつも頭の片隅にあった想い。

子どもが好きで、日本では幼稚園教諭やベビーシッターの仕事をしていました。
しかし、妊娠という経験が出来ずにいる中、周りの仲間たちは、どんどんお母さんになっていきます。

私もお母さんって呼ばれたい。
その想いは、どんどん強くなっていきました。しかし、人生はなかなか思うようにはいかないものです。

何かを変えなきゃ、前に進まなきゃ。

そんな時、現在NPO法人GLOBEJUNGLEの代表の森絵美子さんと世界一周をした夫婦のイベントで出会いました。当時の私は全く海外に興味がなく、まして航空券だけで海外へ行くなんて考えたこともありませんでした。

しかし、彼女の人生を自由に楽しんで生きている姿に惹かれて、カンボジアへ。

2005年 カンボジア

地雷があるかもしれない。病気になったら死んでしまうかもしれない。
ストリートチルドレンがいっぱいいて・・・。
そんなマイナス面ばかりのイメージを思い描きながら、発展途上国と言われる国、カンボジアに行ってみました。

自分の目で実際に見てみると、私が思い描いていたカンボジアのイメージは、時間ごとにどんどん変わっていき、見方を変えると、日本にはないものをいっぱい持っている心豊かな国とも思えることがありました。

ここでは、着飾る必要はなく、自分らしく、のびのびといられる。毎日、生きている感じがする。そして、国としては発展途上国で、その日暮らしで、食事も非常に質素だけれども、人としての温かさや関わり方などは、まさに心の奥底で求めていたものがありました。そんなアンバランスな魅力を持ったカンボジアにどんどん惹かれ、ついに移住。そして、私にカンボジアを教えてくれた絵美子さんが代表のNPOの仲間に入れてもらいました。地方の村で、青空教室からしっかりとした学校運営にするために支援したり、いくつかの孤児院への物質的サポートを行ったり、カンボジアの生活が大変な子どもたちが学校へ通えるための奨学金支援プロジェクトなど、子どもたちに関わる支援を色々行ってきました。

公立学校の制服を着た小学生の子どもたち

公立学校の制服を着た小学生の子どもたち

最初は、支援をするという意味も分からずに進み続け、誰かを応援する難しさ、言葉の壁、習慣の違い、カンボジア独特のやり方などに直面し、目まぐるしい日々を過ごしました。私がカンボジアに住んで3年の月日がたち、絵美子さんと一緒に働き続けたいと思っていたけれども、彼女は妊娠・出産で日本へ帰国(現在も代表として、日本でサポートしてくれています)。誰かのために頑張り続けることに心が疲れてしまい、この仕事を辞めて、日本へ帰国しようか?日本で出来ることをしようか?そんなことを考えているときに、カンボジアの子どもたちの屈託のない天真爛漫な笑顔に再び出会ってしまったのです。子ども好きな私にとって、あの子どもたちの笑顔と空間は、一気に心の闇を追い払ってくれました。

2010年 くっくま孤児院

2021年のお正月・くっくま孤児院の前で、子どもたちの集合写真

2021年のお正月・くっくま孤児院の前で、子どもたちの集合写真

古い一軒家に27人の子どもたちが生活しているくっくま孤児院。

初めて見る日本人にドキドキしながらも、はじけるような、はにかんだような、大きな笑顔で迎えてくれて、お土産で持って行ったスイカに、目をキラキラさせて大喜びする子どもたち。
持っている洋服は2着か3着。しかも、穴があいたり、サイズがあってなかったり。
歯ブラシもシャンプーもない。
雨が降ったら、家じゅう雨漏り。
トイレと水浴び場は、まるで廃墟のよう。
おかずはほとんどなし。

そんな環境にも関わらず、生きていることが素晴らしいことを見せてくれる子どもたち。

子どもたちの食事の様子

子どもたちの食事の様子

子どもたちに会いに行けば行くほど、愛おしく、こんな経験もさせてあげたい、ここをきれいにしてあげたい。これを食べさせてあげたい。
一日中、子どもたちのことを考え始めました。
そして、私はこの子たちのお母さんになりたい!

そう思った私は、孤児院のカンボジア人スタッフ6人にお願いをして、ここに住んでもいいか?一緒に仲間に入れてもらえないか?と相談をしました。
全員一致で、「もちろん!」
私は、子どもたちと一緒に暮らすようになりました。

ある日、踊りの先生が「子どもたちに、美和のことをお母さんって呼ばせたいんだが、どうだろうか?」と話がありました。

「もちろん!!!」と即答する私。
そこから、子どもたちは、私のことを「マッ(お母さん)」って、呼んでくれるようになりました。

ずっとずっと欲しかった言葉。
ずっとずっと聞きたかった言葉。

人種も違うし、国も違う、話す言葉も環境も、すべて違います。
でも、それでも、今目の前にいるこの愛くるしい子どもたちが、私のことを「お母さん」って呼んでくれるのです。

どんなことがあってもこの子たちを守り続ける、この子たちと共に生きていくと腹をくくった瞬間でもあります。
笑顔溢れる幸せな日々。
不便なことが不便じゃないと思える日々。

2021年・子どもたちと私

2021年・子どもたちと私

子供たちのさまざまな状況

でも、ある日、気づいたんです。
孤児院=親がいないって思っていたけれども、実は、母親や両親が田舎や出稼ぎのため他の国にいたりしました。
カンボジアで土地も家もなくて、転々とその日暮らしをしていたり、離婚して母親一人では育てられずに、母親が田舎から孤児院を探してここに預けに来ていたり、父親が刑務所に入っていたり…。様々な理由が子どもたちにありました。

親がいてもいなくても、縁があって出会ったこの子たちに色々な経験をさせて、自分の好きな将来の道を歩かせてあげたい。負の連鎖から抜け出す応援がしたい。
毎日学校に通えて、たくさんの人たちに応援してもらって、愛してもらって、好きなことを学びながら、心優しくたくましく成長していく子どもたち。

しかし、電話一本で、子どもたちの顔が一瞬にして、暗くなっていくことがあります。
生活の大変な母親は、子どもが成長し大きくなると、頻繁に電話をかけてきます。

「病院代がないから、家に戻ってきて働いて欲しい。お母さんの子なのに、お母さんを助けてくれないの?」

家に帰すべきなのか?でも、本人はここにいたいと言います。私の心も揺れ動き、時に壊れそうになってしまうこともあります。私のことをお母さんと呼んでくれる子どもたちには、産んでくれたお母さんがいます。

勝ち負けなんていうレベルの話ではないけれども、私は産みの親にはなれないのです。
そして、カンボジアの仏教の教えー―親孝行が関連してきます。

たとえば、お母さんにお金を送ることができないなら、孤児院から戻ってきて働いてほしいと伝えたり、親戚が、お母さんのそばに戻らないなんて親不孝的な話を延々としたり・・・。子どもは、孤児院にいたい。でも、親は大きくなった子どもを働かせたい。そうなると、今一緒に生活をしている子どもたちは、自分の夢ややりたいことを諦めて、田舎に戻ったら働かされるとわかっていても、産みの親の意見に応じるしかありません。

ずっと下を向いたまま、一言も言葉を発せずに、母親と一緒に帰った子どももいます。
あるお母さんは、泣きながら「感謝してる。貧乏は、私だけで十分。子どもたちを大切に育ててくれてありがとう」と言いました。
そのお母さんは、今も借金返済のため、毎日工事現場の警備の仕事をしています。

カンボジア人スタッフから教わっている子どもたち

カンボジア人スタッフから教わっている子どもたち

私の今回の人生の使命

2011年のメーサー(1歳)と私(左)、2022年のメーサー(12歳)

2011年のメーサー(1歳)と私(左)、2022年のメーサー(12歳)

最初に出会った子どもたちは、大きくなり、思春期・反抗期を迎えました。
嘘はばれないよう集団で隠すし、ルール違反を繰り返し行います。
学校の一般家庭の友達をうらやましく思う子どもたち。

「自分はどこから来たのか?」

私は子どもたちに、いつもその問いかけをしています。孤児院は、ものすごく色々な経験ができ、たくさんの人からサポートをしてもらっています。長く孤児院にいて、思春期を迎えると、子どもたちは、色々なことが当たり前になってきます。もしも、今、孤児院ではなく、田舎にいたら、自分は何をしているのか?今、学校に通えているのか?今、ごはんを毎日しっかり食べられているのか?そのことが、日々心の根底にあったら、誰かを羨ましく思うことも、人生を誰かと比較することもなくなり、今、自分はラッキーだってことを知り、ここで生きていけることに感謝の気持ちを持ち、自分の将来のために、どんなことも頑張っていけるように、今が大切ということを忘れてしまわないように、言ってます。

自分の状況や家族のことを忘れてしまっては、道を外す一方です。もちろん、だれでも時には道を外れることがあるだろうし、自分も同じような時期を経験してきました。
だからこそ、子どもたちに寄り添い、気持ちを受け止め、励まし、応援し、叱って・・・。
私が出来る限りの愛情を一人一人に届けています。
コロナ感染での2年間は、学校が全土で休校だったので、1日中子どもたち全員と一緒。発狂寸前でした(笑)。

いつか子どもたちが自立をし、産んでくれた親に感謝の気持ちをもつことができたら、それは、私にとっても幸せなこと。
今、目の前にいる子どもたちが、今日も笑顔で過ごせるように、私は今日も笑顔で共に、この子たちのために生きていこうと思います。

私の今回の人生の使命がたくさんの子どもたちのお母さんになることであるならば、引き続き全力で頑張ろうと思います。
「お母さん」と呼んでくれる子どもがいる限り・・・。


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