スウェーデンの選んだコロナ戦法
武漢での集団感染が突如発覚しCovid-19と命名された新コロナウイルス、超感染力で国外に飛び散り、シャットダウンという厳格な対応の国も多い。その中でスウェーデンは一見「手ぬるい」対応で注目を浴びた。しかしその対応の決断の際、妥当と判断された根拠がある。
新コロナウイルス戦略の司令官は疫学専門家
スウェーデンの対応は政治的というよりむしろ学術的といえよう。これは ”evidence based”、研究と実践の知見に基づき妥当とみなした対応でもある。コロナ戦略のスポークスマンは学識経験者で、国立パブリックヘルス庁(National Public Health Agency)の疫学主任(チーフ・エピデミオロジスト)。同庁の脇に社会福祉庁(National Board of Health and Welfare)と防災庁(The Swedish Civil Contingencies Agency)が立ち、司令室はこのトロイカからなる。午後2時に中継される司令室からの記者会見は、スウェーデン・テレビ局(SVT, SverigesTelevision)から手話付で1時間流される。世界コロナ情報、国内情報のプレゼンと3
庁管轄での進展のアップデート、記者団との応答・スタジオでの解説は、その後一週間、SVTのウェブサイトでアクセスできる。政府のコロナ対策は、全てこの司令室の指示に基づく。
Covid-19は今やよく知られるようになったが、年明けまでは無名の存在だった。その時点のある日、突然正体不明の超攻撃的な新ウイルスが群れをなし巨大津波の勢いで向って来ると悟った一瞬、疫学者の脳裏に浮かんだものは何だろう。パンデミック。目に見えない大群の敵。しかもずるくて狂暴、すばやい。現存の医療では太刀打ちできない、新ワクチン開発は間に合わない。膨大な感染者数。リーンにされた医療では人材も器具もすぐに尽きる。感染の波はいったん引いても必ずまた押しよせる。2度目の波はもっと危ない。対応に疲労困憊している時だ。3度来るにちがいない。長期戦だ。今、すぐできる、妥当な戦略、国民の健康・生活環境・社会への負担を抑える持続可能な対応は何か?
錆びたおっとり刀の太刀打ちか
当初、司令室の発信する内容が、インフルエンザと大差なくごく常識的であったのは驚きだった。「外から帰ったら手を石鹸でしっかり洗う、手で顔に触れない、咳はドラキュラ式、肘へマントにくるむように、わずかな症状でも在宅休養。特にリスクグループ(70 歳以上と複数の持病がある者)は要注意、不必要な外出を避ける。」 新しかったのは「事態は刻々変わり油断を許さない、みんなの常識で責任をもって配慮し、一体となって高齢者を守ろう。」という点だけ。内心、こんな当たり前な対応で太刀打ちできるのか、もしやパニックを避ける方便ではと、半信半疑の者もいたに違いない。コロナ対応司令室からのメッセージには勧告という表現が使われ、禁止事項はなかった。その折スウェーデンは2月中旬から各地で春休み(スポーツ週間)に入り、イタリア北部でのコロナ感染が報道された頃、首都圏は春休みの直前であった。司令室は外国旅行は望ましくない、なるべくキャンセルするように勧告した。しかし、楽しみにしていたアルプスでのスキーに思い切って出かけた家族は多かったに違いない。
死亡者がストックホルム医療圏に集中しているのは、コロナを持ち帰ったのに気づかず周囲に広げたからだであろう。ちょうど中部ヨーロッパを旅していた環境活動家のグレタ・トゥーンベリイは感染に気付かなった一人である。インスタグラムから「このウイルスの怖ろしさは気づかないうちにリスクグループにうつること、みんなの責任で専門家の言う通りに、配慮して」と発信している。
司令室からの勧告も上昇する感染者・死亡者数に伴ってレベルアップされ、70歳以上の脆い層は外出も家族との付き合いも控えるという軟禁状態の隠遁生活へ。だが社会の営みは変わらない。保育・義務教育は通常通り、高校・大学・可能な職種はテレワーク、集会はサイズダウン、混雑をさけ、戸外スポーツも少人数で、レストラン営業はスペースをあけた屋内外のテーブルのみ。よほどの理由がなければ国内の出張も旅行も慎む。つねに常識と配慮と責任のもとに生活を続けよう、油断が大敵、というものだった。
こんなことでコロナに勝てるのか
今の時点で成否のほどは定かでない。しかし対応が疫学・医療経済学などの知見に基づき、国民の理解と参与があれば可能であり、長期戦においても妥当とする司令室の確信は揺るがない。
人類は医療のない時代にも生き延びてきた。理由のひとつは「集団免疫」。感染から回復した生物には免疫ができ、その人数が増えれば増えるほど感染の広がりを抑える。免疫のない媒介者をあちこち探しているうちに、ウイルスの寿命はきれて突然姿を消す。免疫ができると、ある期間は同じウイルスには冒されない。規制が解かれたら感染者が急増するとすれば集団免疫ができてないからだ。
幸いにもスウェーデンの国民の健康状況は良好、軽い症状で集団免疫を作るチャンスがある。感染ルートを断ち切ってリスクグループを安全地帯で守っている間に、若い世代は集団免疫をつくれる。医療のニーズは、集団発病の医療ニーズのピークを極力避ける、医療への流れを制御すれば崩壊は免れる。要するに自然のメカニズムに人間が協調すればいいのだ。普段とあまり変わりのない生活であれば国民も長期戦でも頑張って不自由に耐えてくれる。消費・生産・物流があるあいだは社会の崩壊もとどめられる。
なるほど妥当ではある。だがどんな戦術でも、前提条件が整わなければ机上の空論だ。個々の常識・配慮・責任感・連帯感に頼って本当に大丈夫なのか、そして要となる国民の理解のほどは?
実は、勧告は警告にアップグレードされることがある。ある日のカメラがストックホルム市内でソーシャル・ディスタンシングのルールを守れきれない若者の行動を捉えた結果、即座にレストラン業者に客の管理義務も課せられた。しかし、一般的に国民の大多数は常識をわきまえて行動している。イースター連休明けのレクリエーション業、運輸・旅行会社からのデータからは、例年観光客に賑わう名所、スキー場等は、どこも閑古鳥の生息地に早変わりしたことがよみ取れる。あるインタビューで司令室は 「禁止・規制には法律や罰則が伴い、大がかりで面倒だ。それより、みんなでしっかり責任を取って決まりを守らないと、おじいさんやおばあさんに病気がうつってしまう、と言うほうがすぐに理解が得られてもっと持続可能だ。」と応答している。その後も、社会に向けて規制・禁止などの発信はない。
高い死亡者数・落ち度は自治体に
しかし、国民の理解も浸透への途上で落とし穴にぶつかると、行動にはつなげられない。いかに的を得て妥当な対応であっても狙う効果に達しない。過半数の死者を出したストックホルム医療圏で、死亡の大半は高齢者施設の80歳以上の間と住民が外国にルーツを持つ北西2区で起こった。自治体で介護と介護施設が見落とされたからだ。言葉のバリアーなどが原因で、多文化地域では元から収入や健康状態が低く、感染の広がりやすい手狭な住居と生活慣習とで脆い層をつくっている。司令室から発信される医療ニーズのカーブば許容レベル以下を保って安定している。だが死者数も安定して高い。
新コロナの不意打ちで、スウェーデンの自治体は非常事態への備えの弱さが暴露され、政府の目先だけのリスクマネジメント・慢性的な不備ぶりを見せつけた。国民は守れるものを守ろうとファイトの気構えでいる。だが、国民を守る責任を持つ国や自治体の知見は十分といえるか。知見は浸透していなければいざという時の役には立たない。
そんな今、ストックホルムの通訳会社からメールが入った。通訳する時にまず最初にクライアントに伝えるコロナ対応事項だった。これを必ずそのまま通訳すること。原文も読み上げる事を勧めると。そして、高齢の母親が一人暮らしをしている知人からは、心待ちにしていた返信が届いた。「お便りありがとう。お陰様で母は大丈夫。ホームに入るのは真っ平だと言い張ったのは本当にラッキーだった。母のところには防護具をつけたホームヘルパー・チームが昼間は5回、夜は2回介護に来て優しくしてくれる。iPadでセットしたFacebookで毎日会える。おむつは無料。お隣さんたちも親切。食べ物もどっさり、猫も見るたびに太ってる。これほど快適なアレンジをやってのけた年寄りはそうは多くないのでは・・・」
隔離解除をする国々の報道がある今、ストックホルム圏内の集団免疫もサンプル対象者の感染率が60%に近づく5月中旬を見込まれている。しかし司令室は、まだ気を許してはいけない、見込みはいつになろうと警戒解除が近いと思う時が危ない、これからの成り行きを決めるのは、これからもルールをしっかり守り団結して頑張ることにあると呼びかけている。
京都出身、同志社大学英文学部大学院修了、ストックホルム教育大学卒業、スウェーデン公認通訳、エリクソン社、国立パブリックヘルス庁等勤務、現在フリーランス