Zoomで授業、やってみた
2020年7月24日金曜日。この日、代々木の新国立競技場で東京オリンピック(五輪)が開幕するはずだった。年明けから五輪開会式まであとXX日といったニュースを目にするようになり、電車内には「スムーズビズ」を呼びかけるポスターが掲示された。
東京都は数年前から公共交通機関の朝夕の混雑を緩和するため、フレックス勤務の導入などによる時差通勤を推奨する「時差Biz」を進めてきた。五輪を目前に控え、時差通勤、テレワークなどあらゆる手段を講じて混雑を緩和しようとする取り組みが「スムーズビズ」で、ポスターには「この夏、世界が東京に押し寄せる!」、「住んでいる人も、訪れる人も、より快適な東京へ!」などとある。IT業界など先進的な企業の中には率先して、オフィスに来なくても業務を滞りなく進められるようリモートワーク体制をさらに整えるところも出てきていた。
東京の交通網は毎日、大量の乗客を輸送している。平時でも混雑がひどい上に五輪会期中には利用者がさらに増えることが予想されるので、少しでも人の移動を減らし、集中を避けることが重要課題だった。
突然の休校要請とオンライン移行
新型コロナウィルスの感染が日本国内でも増え、全国全ての小中高校に休校を要請する、と安倍首相が発表したのは2月末。木曜午後に発表し、翌週月曜から休校してそのまま春休みとする、という急な話だった。この頃、感染者数はまだ少なく、外出や営業の自粛は全く言われていない時だったので、「そこまでしなくても」という反応も多かった。この時はまだ、その後に来る感染拡大は予期されていなかった。
小中高の休校に合わせ、私が勤務する米私立T大学の日本校も「3月2日から2週間、授業はすべてオンラインに移行する」という方針を打ち出した。日本の大学は通常、1月末には年度の講義が終わり、春休みに入っているので影響を受けない。しかし、アメリカの学期制に合わせているT大学では、1月上旬に春学期が始まったばかりで、3月初めはちょうど学期半分が経過したところだった。
日米を問わず、このごろの大学はいずれも何らかのオンラインによる学習システムを導入している。Blackboard、Moodle、Desire2Learn、日本ではManabaなどといったサービスがあり、大学はいずれかと契約してカスタマイズしたシステムを作ってもらい、学生に提供する。こうしたシステムをどの程度利用するかは教員に任されており、これまでは、印刷物の代わりに資料をPDFで提供したり、提出物を管理するのに使うぐらいだった。
ZOOMって何ですか?
ところが、2月最後の金曜午前に送られてきた学長からのメールでは、月曜日からすべてオンライン、大学の建物は開いているので教員は来てもいいが、学生は教室での受講はできないという。大学のオンライン学習システムにはビデオ会議ツールであるZoomが組み込まれているので、明日からでもオンライン授業に移行できる―――というのが前提だった。
世界中で学校が休みになり、会社にも行けなくなって、利用者が急増したZoom。私にとっては全く初めてではないけれど、ビデオ会議で一度使ったことがあるだけだった。学生が40人もいるのにどうやってつなげるのだろう?カメラやマイクはどこから調達して、どうやって使うのか?テクノロジーには疎くないはずだが、さすがに来週からすぐと言われると動揺した。
翌週から大学にはほぼ人がいなくなったが、私は電車を乗り継いで大学へ行った。最初は恐る恐る、ITサポート・スタッフに教室へ来てもらい、Zoomを使ってみた。親切なスタッフがその場で、ノートパソコンにはカメラとマイクが内蔵されているので、普通にパソコンに向かって話せばいい、画面共有でパソコン上のスライドやウェブサイトをそのまま見せられる(学生の画面を共有することもできる)、さらにはクラウド上に授業をビデオまたは音声のみで録音・録画できる――と教えてくれた。案ずるより産むが易しとはこのことで、それから3週間、週に3回大学へ通い、無人の教室でパソコンに向かって話し続けた。
Zoom授業で助かったのはグループチャットだ。私がスライドを使って話している間に、学生はチャットのスレッドに書き込むことができる。そこで質問したり、コメントしたりができるので、ビデオでつながっているとはいえ、顔はほとんど見えない(カメラをオフにする人が多い)ことから来る気まずさが緩和されたように思う。
学期の終わりまでオンラインに
ほとんどの教員にとってオンライン授業は初めての経験だったので、皆、手探りだった。試行錯誤しながらの2週間はすぐに過ぎ、ある程度予想されていたことだが、4月の学期末まで、そして4月下旬の最終試験もすべてオンラインという決定がなされた。
大変だったのはもちろん教員だけではない。学生の自宅のインターネット環境が十分でない、パソコンがない・壊れたなどの問題はかなりあったようだ。数人の学生が一緒にいて授業中に騒ぐ、室内で幼い子どもの泣き声がする、ペットの鳥の鳴き声がうるさい――などの珍現象も多々あった。
それでも、日本に家族がいる学生たちはまだよかったかもしれない。感染が欧州や北米で爆発的に増える前、日本は中国の隣でもあり、感染が早い時期に確認された国の一つだった。それに危機感を抱いた家族が日本にいる学生を呼び戻そうとし、2月以降、アメリカなどに帰った人がちらほらいた。住居を引き払い、突然、帰国するのはストレスだっただろうし、その後のアメリカでの感染増を見ると、どちらがよかったのかはわからない。
帰国が賢明な判断だったかはともかくとして、困ったのは、時差の関係で彼らは日本時間のビデオ授業に参加できなくなってしまったことだった。録画・録音してオンラインで見られるようにしたが、どの程度、利用されたかはわからない。日本にいてリアルタイムで話せる子たちとは、Zoom授業時間内で雑談の時間を増やした。「トイレットペーパーある?」「スーパーでパスタが品切れだった」「人と接する機会がなくてつらい」――。ビデオを通してとはいえ、知っている人と話ができる。それに救われたのは私も同じだった。
思い出すと、この頃はまだ日常生活にそれほど大きな変化はなかった。オンライン授業に移行して3週間くらい経ったころ、電車が前より混んでいる気がして、自分1人くらいいいか…と電車で大学へ通い続けていることに疑問を感じ、自宅からZoomする覚悟を決めた。ちょうどそのころ、東京都の小池知事が「外出しないで、仕事は家で」と呼びかけ、3月24日には東京五輪の延期も発表された。4月に入ると非常事態宣言、休業要請…と一気にコロナ危機対策が加速した。
対応遅れる日本の大学
そんな中、アメリカの暦に合わせた春学期は、4月末の試験と最終課題の提出で無事に終わった。大学はぎりぎりまで、学生に履修したコースをドロップすることを許す(不可を取って成績が下がるのを避けるため)、AやBなどの評価はなく、Passすれば単位は取れる選択肢を選べるようにするなどの措置を取って対応した。
これと対照的だったのは4月から新学期・新学年が始まった日本の大学だ。私が非常勤で講師をしているA大学は当初、だれでも使えるZoom無償版で何とかしてほしい、という対応だった。大学で有償のアカウントを用意してもらうまでには時間がかかった。他の大学でも、オンライン授業の運用を教員に丸投げ、学生のニーズを大学がサポートできていない…などの課題があるようだ。
結果として2020年の今年、企業や大学でリモートワーク、テレワーク、オンライン授業の実践は大きく進んだ。五輪のおかげ、ではない。新型コロナウィルスという、五輪をも潰した強烈な「災い」のためだった。
オンライン授業をどうしたら実りあるものにできるのか、通学できるようになった時にも、オンラインの利便性を活用するにはどうすればいいのか、など考えることは多い。春学期は少なくとも、前半は教室で授業ができ、顔と名前を知っている相手だったから、オンラインでも何とか対応できたのかもしれない。5月下旬に始まる夏学期はオンラインによるスタートだ。さて、どうしよう。学生、教員、大学がみな少しずつ知恵を出しあって、前向きな気持ちで取り組む。それしか、ない。
ワシントンDC,バージニア州、イリノイ州、オクラホマ州などに住んでいたことがある。2013年より日本在住。VIEWS編集委員、現在はVIEWSのWordPress担当。