私と英語

一緒に英語を学んだ友人たちと先生(筆者は前列左から2人目)

一緒に英語を学んだ友人たちと先生(筆者は前列左から2人目)

英語は喋れた方が良い

国際社会の一員として、私は漠然と英語は喋れた方が良いと考えていた。そんななか、2011年、私は夫の海外赴任に伴い、ワシントンDC近郊に滞在することとなった。そして、アメリカ生活中に英語力が飛躍的に向上するのではないか、ネイティブのようになれるのではと密かに考えたのである。

 

これを読まれている方のうち、海外にいらっしゃったことがある方はよくご存知のことと思うが、渡米後、単に住んだだけでは上達しないという事実にすぐに直面することになった。結局日本にいた頃と変わらない地道な英語学習に落ち着くものの、初めて試験対策でなく正面から向き合う英語学習となった。幸いにも、移民が多いアメリカでは英語学習のできる場所は多くあり、 様々な人々と励ましあいながら時を過ごすことができた。3年の米国生活を終えたとき、私の英語力は当初想像したほどは上達しなかったものの、英語学習を通じ、米国にいたからこそ得られた経験は私にとって忘れ難いものとなった。

英語を学んで、言語の不思議さに出会う

あるとても気持ちの良い晴れた日に、夫に「清々しいって英語でなんて言うの?」と聞いたとき に、「そういう英語はない」と返答された。言っている意味が理解できず、2、3度同じ問答を繰り返したすえ、夫から「清々しいという言葉のなかには仏教思想が入っているので、同じ意味の英語はない」とようやくわかりやすい返答を得た。言語とは文化だ、という当たり前そうな一言が真に迫ってきた。この気持ちの良い空と雰囲気はまさに「清々しい」という単語が当てはまるのだが、英語では一語の単語としては存在しないこと、二語以上の言葉でどうにか伝えるしかないが、その通りに伝わるかは不明であることに気づかされた。それまでずっと、英語と日本語は1対1で対応していると思い込んでいたところから、不思議な世界に入っていく感覚があったのをよく覚えている。

生きるための英語に出会う

滞在中に様々な「非ネイティブ」と呼ばれる人々に出会い、それは今では映画のワンシーンのように浮かんでくる。エチオピア人のタクシードライバーが助手席においた英語の辞書で必死に勉強する姿。自治体が提供する無償ESOL(第二言語としての英語)クラスで会った生徒たちの真剣さ。ヒスパニックのUberドライバーが「east」の綴りが書けずにカーナビを使えなかったこと。英語がどんなにできなくとも、生きるためにアメリカに来て必死に生活している人たちを見たとき、私にとっての英語習得は単なるファッションのようなものだと気付かされた。そして英語の発音も、非ネイティブのなかにいると、さまざまな母語の発音があるからこそ色々な訛りの英語があることを知った。伝わればそれで良いこと、アメリカ英語の発音だけが英語ではないこと、国際語なのだから色々あっていいことに気づいた。

英語力の問題ではない

友人同士で英語で会話をしていた時、たまたま「茶道について教えて」といわれたが、とっさに返答できなかった。その間に、隣にいた親日家の中国人が私の代わりに説明を始めた。

日本人で、茶道もほんの少しかじったことがあるにもかかわらず、中国人の友人よりも茶道について語れる知識がないことにとても残念な気持ちになった。これは英語力の問題ではなく、日本語訛りのたどたどしい英語であっても伝えたい何かをもっているか、もしくは英語で学びたい何かはあるか、という問題だ。

英語と日本語のバイリンガルだけれど

両親は日本人だがずっと米国生活の子供だったり、ハーフで日本に長く暮らしたこともある子供だったり、そうした環境によってバイリンガルになった大学生何人かと出会うこともあった。話をしている限り、日本語の意思疎通には何の問題もなく、英語も苦なく話しているようだったので、とても羨ましかった。しかし、ある学生は日本語を書くのが得意でなく、この日本語記述力だとおそらく日本語を使った仕事に就くのは厳しいのではと感じた。本人は日本人学校にも通い、日本語を勉強して来たにも関わらず、だ。また一人の女の子が言った「もう(自分は)アメリカ人です」――という言葉に衝撃を受けた。日本には時々遊びに行くけれど、ずっとこちらで暮らし、生きてきて、自分は日本人である以上にアメリカ人である、というのである。幼い頃から英語に触れさせるような生活をしていれば、英語が喋れるようになる、それをすばらしいことだと安直に考えていたが、その英語が喋れるようになった末になにが起こるのかをまざまざと見たとき、早く多言語に触れているバイリンガルを「いいな」と単純に言えないことに気づいた。

米国生活を終えて

アパートのそばに咲く鮮やかなモクレン(マグノリア)を見て感じるDCの春

アパートのそばに咲く鮮やかなモクレン(マグノリア)を見て感じるDCの春

米国での経験から、英語とは何なのかという問いに自分なりの答えを持つことができた。今ならよい英語の先生になれそうだなと思ってしまうほど、他言語を学ぶ不思議さ、奥深さを誰かと共有し合いたい気持ちになった。英語で何か話をしたいなら、まず日本語で話せる何かを学ぶほうが先だ。日本にいるのであれば、小さい頃から英語の勉強をしてネイティブのような発音を目指さなくてよいこと、そんなことよりも、英語を好きになる方法を探したり、どうしても英語で伝えたいことや学びたいことがあるというモチベーションを上げれば、おのずと上達すること。そして上達しなくたって、日本にいる限り問題はない。日本にいながら、「英語ができるようにならなくては」という根拠のない呪縛から離れられたのも、米国での経験のおかげだ。そういうわけで、日本に戻ってからすっかり英語の「勉強」をやめ、忘れ去っていきそうな今日この頃、夫の英国への赴任が決まった。

 

 

 

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