アンネ・アンネの夢

孫娘と初めてのクリスマス、マサチューセッツ州ウィリアムスタウンにて

孫娘と初めてのクリスマス、マサチューセッツ州ウィリアムスタウンにて

初孫が誕生し「おばあちゃん」になった。トルコで働き、トルコ人青年と結婚した長女が妊娠したと知らされ、出産前後の手伝いをするため2019年秋イスタンブールへ興奮しながら飛んだ。そして娘は無事に女児を出産。この初孫は血縁でいうとトルコが半分、日本とアメリカがそれぞれ四分の一のクオーターになる。“グランマ(Grandma)”、“おばあちゃん”と呼ばれるのも勿論良いけれど、“アンネ・アンネ”という言葉があることを知ってしまった。トルコ語で「アンネ」はお母さん。そして母方の祖母は「アンネ・アンネ」と呼ぶらしい。もうこれしかない、とニンマリ。そして、孫に「アンネ・アンネはね〜」と話しかけながら、目に浮かんでくるおばあちゃんたちがいる。あんなおばあちゃんになれたらいいな〜と思わずにはいられない素敵なおばあちゃんたちだ。そんな四人のおばあちゃんを紹介したい。

心優しくお茶目なおばあちゃん

まず自分の母方の祖母である朝子おばあちゃん。父方の祖母は私が生まれた頃には病床についており、その直後に他界したため残念ながら間接的にしか覚えていない。一方、母方の祖母は広島の呉におじいちゃんと暮らし、新婚時代の両親に子供(私)ができたとわかると広島から転勤先だった鹿児島まで駆けつけてくれたらしい。私のことを世話してくれたという。そして、父の再転勤で広島から東京へ引越すことになった小5の頃までは、夏休みのお盆やお正月を含め必ず年に数回は会うことができたと記憶している。とびっきり優しくお茶目で可愛いおばあちゃんだった。

母と朝子おばあちゃんに抱かれた筆者(鹿児島で撮影)

母と朝子おばあちゃんに抱かれた筆者(鹿児島で撮影)

ある時、広島の自宅におばあちゃんが遊びにきてくれて呉にもう帰るというその日。おばあちゃんは2階の子供部屋に私と妹を連れて入り、二段ベッドの下段に一緒に並んで座り「大事なお話があるけんね」――と語りかけてきた。「一体何だろう」とちょっぴり驚いていた私はしっかりおばあちゃんの真剣な目を見入った。するとおばあちゃん、こう切り出した。

「あんたらのお母さんはね、時々厳しゅうてね、こわいかもしれんけどね。まあ、あんたらのため思うてのことじゃけんね。ガマンしんさいね」ーー。

「それからね。あんたらのお父さんはね、ほんまにいい人じゃけん。ちゃんとね。お父さんのいうことはきかんといけんよ〜」と。

「うん」と首を縦にゆっくり振って答えたのを覚えている。子供ながらに、「おばあちゃんって、なんて優しい人なんだろう。お婿さんである私たちの父親をしっかりたてている」と感じた記憶が残っている。今、思えば父が東京へ転勤することが決まっていたこともあり、私たち家族が東京へ行ってしまったら、なかなか会えなくなるかもしれない、と、私と妹に良い子でいるように、家族仲良く暮らすように、という大切なことを伝えておこうと思ったに違いない。

そんな大事なお話をしてくれたおばあちゃんのもう一つとびっきりお茶目な素顔もしっかり目に焼き付いてよく思い出す。私と妹が母と一緒に呉の叔母のうちに泊まりに行った時、ちょうどおばあちゃんもやってきて孫娘たちの子守りを引き受けた。母と叔母が二人で遠出の買い物に出かけるためだったと記憶している。その日は、おばあちゃんと一日お留守番。

「さ〜。朝ごはん、食パン焼いて食べようね」――。

テーブルに並んだ朝食は、ゆで卵、トースターでこんがり黄金色に焼けまるでカリカリと音の聞こえそうな食パン、そしてイチゴに牛乳をかけてスプーンの背で潰したピンク色のイチゴ・ミルク。「やった、いただきま〜す!」と手を合わせる孫娘たちの目の前で、おばあちゃん、バターのたっぶりついた食パンにお砂糖を振りかけながら、「美味しいけんね〜。いっぱいかけたら」と目を輝かせながら振り続ける。私は目を大きく見開いて心の中で思わず呟いた。「あ〜、あんなにかけよる。パンの色が見えんようになっとる〜。真っ白じゃ」自宅では、厳しい母に食パンの上にはパラパラと一振り二振り分の砂糖しかかけさせてもらえない私と妹は、「おばあちゃん、やるじゃん!すごい!」と興奮。おばあちゃんはその砂糖まみれの食パンを片手でゆっくりと持ち上げるや、小さな口をゆっくり開けて食パンの一角をパクリ。一口噛むや否や、おばあちゃんが大声をあげた。「ありゃー。塩じゃったわ!」おばあちゃん、娘の家とはいえ他人の家に来て、勝手がわからず塩の小瓶をすっかり砂糖と思い込んだようだ。おばあちゃんの顔がみるみるものすごい形相になっていく。

「おばあちゃん、大丈夫?」

「あ〜、こりゃ〜 塩じゃった。塩じゃった。」

皆でお腹を抱えて大爆笑した。その後、母からおばあちゃんは大の甘党で、糖尿病を患っていたと知らされた。残念ながら私が大学生の時、朝子おばあちゃんは他界してしまった。けれど、このお茶目で可愛いおばあちゃんだったな〜という記憶は最近より強くなり、孫のできた今、よくその光景を思い出す。

スーパーおばあちゃんの「わわ」と「ナナ」

わわ(母)とナナ(義母)、ニューヨーク市のフードフェスティバルにて

わわ(母)とナナ(義母)、ニューヨーク市のフードフェスティバルにて

そんな朝子おばあちゃんの三女として生まれた母は、私が子供の頃は躾に厳しい人だったけれど、妹と私が成長して大人になっていくにつれ徐々に友達のような関係になっていった。そして、母は、娘の私が当時勤務地だったフィリピンで出産予定だと知ると、初孫を迎えるためマニラまで駆けつけてくれた。離乳食の作り方など子育ての様々な知恵を教えてくれた。そして、「おばあちゃん」「ばば」と呼ばれるのにはどうも抵抗のあった母は、自分のニックネームを「わわ」だと宣言した。孫たちは勿論、家族や親戚も皆、母のことを「わわ」と呼ぶようになり今でもそう呼んでいる。

子供たちは「わわ」のことをとても慕い、かれこれもう四半世紀以上経った。わわは、海外に住む三人の孫の高校・大学・大学院の卒業式に全て参列している。そんな元気な「わわ」に「秘訣は何?」と聞くと「美味しいものを食べて、“ウォーキング”することよ」と即答。“ウォーキング”という言葉が日本で定着するずっと以前から、人が車やバス・電車に乗って出かけるところをいつでも歩いて出かけていた。しかもおしゃれして。定期的に会う親しい仲間とはディズニー・ランドにも出かける。ちょっと心配になって「一体、いつもどんなアトラクションに乗ってるの?」と聞くと、「乗るのはね、ゆっくりのイッツ・ア・スモール・ワールドとね、テイー・カップぐらいよ。あとはね。ちょってお茶して歩くのよ。楽しいわよ」――。

一方、義母は定年退職するまで、オハイオ、マサチューセッツ、カリフォルニア各州の私立高校で生物学を教えていた。最後はカリフォルニア州の私立高校の校長先生まで務めあげている。孫たちは、その義母のことを、グランマ(Grandma)と呼んだり、ナナ(Nana)と呼ぶ。頭脳明晰で、優しくて、絶品のブルーベリー・パイやマフィンをいつも焼いてくれるおばあちゃん。好奇心旺盛のナナは、82歳になった今も、マサチューセッツ州ウィリアムズタウンにある全米トップのリベラル・アーツ・カレッジとして有名なウィリアムズ・カレッジの聴講生。先学期はアメリカン・インディアンの歴史について、今学期はブロードウェー・ミュージカルについての講義を聴講中。

わわとナナ、昨年5月には次女の大学院卒業式で再会を果たし、ニューヨークでお揃いの麦わら帽子をかぶり闊歩してブロードウェー・ミュージカルFrozen(「アナと雪の女王」)を鑑賞しに行った。カッコいいスーパーおばあちゃんたちだ。

グローバルな韓国のおばあちゃん「ハルモニ」

2003年から2006年まで過ごした韓国ソウルで今でも忘れることのできないハルモニ(おばあちゃん)との束の間の出会いがあった。このハルモニのことも孫が生まれてからよく思い出す。当時、私は延世国際大学院に在籍し韓国語の勉強や国際学のリサーチに追われる毎日だった。ある日、授業が終わりいつものように大学の正門をくぐり抜け人混み溢れる学生街をシンチョン駅へ向かっていたところ、突然「シンチョン・ヨック・オディエヨ?(シンチョン駅はどこかしらね?)」という声が耳に入ってきた。えっ?と思い一瞬キョロキョロすると眼下に見えてきたのは、背丈が小さく年輪を彷彿させる皺の刻まれた丸顔で白髪のハルモニ。

大学正門近くはいつものように往来する車や人混みであふれているのに、このハルモニ、私に道を聞いてる、とハッと気づき、咄嗟に出てきた言葉は、「イルボンサラムニカ、、、ハングンマリー・ノム・オリョオソ、、、(えっと、日本人なので、韓国語はまだ難しくって、、、)」

するとハルモニは、満面の笑顔でその小さな体が左右に揺れるほど片腕を大きく振りながら、「アニ、セゲガ・カジョギヨ〜(なーに、世界は家族だよ〜)」と、私の拙い韓国語は十分わかるよ、と慰めるかのように全身を使って表現してくれている。ハルモニの思いがけず温かな言葉に全身が包み込まれるようなセンセーションを感じた。「なんてグローバルな考え方のハルモニなんだ!」と、ほとんど感涙状態の私は、「ハルモニ!カッチ・カルカヨ(おばあちゃん。一緒に行きましょう!)」と、腕を組んでシンチョン駅までハルモニと一緒に笑顔で歩いて行った。

昨年12月、孫娘と初めてのクリスマスをアメリカで家族揃って祝い、そしてワシントンDCで7年ぶりに新年を迎えた。朝子おばあちゃんのように優しくお茶目で、わわのように元気でバイタリティーに溢れ、ナナのように知的好奇心旺盛で、ハルモニのように真のグローバル精神を持った、そんなおばあちゃんになれたらいいな、と夢と抱負を抱きながら迎える新春だ。

孫娘を抱く娘、イスタンブールの公園にて

孫娘を抱く娘、イスタンブールの公園にて

 

 

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