JAZZを歌うシンガーとして、ニューヨークで暮らす

渡米の決断

NYへ必ず戻ってくることを決断した瞬間に、ブルックリン・ブリッジから見たマンハッタンの夜景。

NYへ必ず戻ってくることを決断した瞬間に、ブルックリン・ブリッジから見たマンハッタンの夜景。

4年前、初めて訪れたブルックリン・ブリッジ。眩いネオンが無数に輝く街、マンハッタンを橋の上から眺めながら、ネオンの数だけ夢がある、輝こうとする人がいる、と思った。マンハッタンからブルックリンに向かって橋の上を歩きながら、何度も振り返ってはマンハッタンの瞬く光を眺めていた。4年前のあの日、ここに来ていなかったら、今ニューヨークに暮らす自分はいなかったのではないか、とさえ思える。3ヶ月の旅行としてニューヨークを訪れた4年前、あの時に私の人生が180度変わってしまった。ジャズシンガーとして更に成長するために、必ず戻ってこなくてはいけない、という想いが自然と胸の中から湧き出た。決断の瞬間だった。

その3ヶ月間の旅行中には、できるだけ多くのJam Session(ジャズを演奏するミュージシャンが集って、飛び入りで演奏する場)に参加できる場所を探し回って、Session巡りに明け暮れた。中でも忘れられないのは、ニューヨークで初めて参加したジャズクラブCleopatra’s NeedleでのVocal Jamだ(シンガーのために開かれているJam Session)。通常、Sessionには、プロフェッショナルとして活動するシンガー、趣味として楽しんでいるシンガー、ありとあらゆるシンガーがやってくる。その時、ある”地元のおばちゃん”が歌った曲を聴いて、「これこそがJAZZだ」と思った。音楽を追い求めて、ニューヨークにやってきたことを心底良かったと思った瞬間だった。Jazzはアメリカの音楽、そこには常に英語という言語にしかないニュアンスや、英語特有のリズム、イントネーション、言葉の持つ力や説得力がある。その”地元のおばちゃん”は、決して誰もが考える「上手な」シンガーではなかったけれど、味わいのある素直な歌いぶりとエナジー溢れるスウィング感に胸を打たれた。一体あれはどこの誰だったのか、思い出す術もないけれど、彼女は今でも私の原動力になっている。

そうして3ヶ月の旅行を終えて日本に戻った私は、朝昼晩と働きながら留学資金をかき集めて、2016年春、念願だったニューヨークに滞在できるビザを取得し、無事に滞在者として戻ってきた。以来3年2ヶ月、ニューヨークでシンガーとして活動しながら、レッスンやワークショップなどに参加したり、ニューヨークでしか聴けないたくさんのライブへ足を運んだりしている。

個人的にオススメのジャズクラブはBlue Note、Birdland、Jazz Standard、55 Bar、Mezrrow、Village Vanguard、SMOKE、Silvana。写真はBlue Noteにて。

個人的にオススメのジャズクラブはBlue Note、Birdland、Jazz Standard、55 Bar、Mezrrow、Village Vanguard、SMOKE、Silvana。写真はBlue Noteにて。

ジャズクラブSilvanaに出演した時の筆者(中央)

ジャズクラブSilvanaに出演した時の筆者(中央)

NYでの生活

ニューヨークでの生活を始めた当初は、このように文章にしてまとめる余裕のないくらい、日々の生活に圧倒されていた。慣れない英語環境に四苦八苦し、日本に帰りたいわけでもないのに、静かに涙した日もあった。どうしようもない憤りだった。自分の音楽を表現できる場所が一つもなかったはじめの数ヶ月間、目標を失いかけ、あまりの英語のできなさに毎日落ち込み、JAZZを歌うシンガーとしてのプライドも何もかも、ほとんどを失いそうな時期で、正に失意のどん底だった。

それでも諦めずに、ひとりでブレインストーミングを繰り返して、どのルートで目標に達するか、何をするべきか、毎日考え、実行してきた。進む方向が定まれば、ちまちまと考えている時間はなかった。前向きな気持ちになると、いきなり辺りが明るくなったような気がして、光に導かれるように行動し続けた。それ以来、レッスンを受けた先生やセッションを通じて出会ったシンガーの友人たちからの後押しに、大きな力をもらっている。特に、懇意にしているアメリカ人シンガーの友人からは、ネイティブな英語発音や、英詩を歌う上での重要なポイント、感情表現など、たくさんのアドバイスをもらいながら、それと交換に、自身の得意とするJAZZの即興(スキャットと言われ、一定のコード進行の上で、即興で音楽を創ること)を学ぶ手助けをし、共に学び合っている。

現在ではそんな友人たちや、同じくミュージシャンであるパートナーの助けもあってか、少しずつ演奏機会も増え、市内のレストランやバーのセッションなどで歌いながら、ニューヨーク在住のミュージシャンやお店に来るお客さんとの交流を深めている。

ニューヨークにいる理由

初めて来た時から変わらない、ニューヨークという街の印象は、他者に対して寛容であり、自由であること。ミュージシャン、ダンサー、ペインターなど、アーティストが生き生きしている街でありながら、そこに暮らす人々がありのままに生きられる街。街中に溢れる音楽やアートが人々を明るくしているのかも知れない。そんな街のパワー、人々から刺激を受けて、いつも背筋を「しゃん」とさせられる。「しゃん」としなければ、埋もれてしまう危うさもある中で、こうして異国でもタフに生きていられることに感謝している。JAZZを歌うシンガーとして、アメリカに暮らしながら、更に音楽的な技術を高め、指南役としての活動も続けられるように、ひたすら邁進していく。

音楽仲間・友人たちと 。筆者は左から3人目

音楽仲間・友人たちと 。筆者は左から3人目

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