正義の芸術家-小野節子
怒りは崇高な美
「正義のために戦う、その勇気が美しい」。今年1月から3ヵ月間、小野節子さんの個展がロンドンで開催された時、NHK UKの取材で節子さんが最後に残した言葉だ。「苦悩や怒りも美しくなり得るんです。いかにそれらに立ち向かうか、そして真の人間らしさを維持するか。その姿、行動が美しいのね」。「芸術は美しさを提供するだけでなくて、残酷な世界に変化をもたらす役目もします」――。
私が節子さんと出会ったのは2008年、節子さんの著書「女ひとり世界に翔ぶ」を読んで、節子さんの世界銀行での活躍とその後の芸術家としての活動についてインタビューさせていただいたのがきっかけだった。その時「英語教育」という月刊誌に「ワシントンDCで活躍するプロフェッショナル達」という連載を書いていて、12月の最終号に節子さんに登場していただいた。
力を合わせて製作する
世界銀行でローンオフィサーだった節子さんは、アフリカのモーリタニアの開発援助に8年間携わったが、度重なる政権の交代で業務遂行に苦渋したという。閉塞感から逃れるかのように彫刻を学び始めた。スチールの彫刻を選んだのは「新しいものを恐がることがいやだったから」。やってみたら、自分の気持ちに合わせて柔軟に変化してくれるスチールが好きになったそうだ。
ひとつのモニュメントを仕上げていく過程では、芸術家ではない鉄工場労働者や技術者が節子さんの手足となって創造していくという。ハバナ・ビエンナーレ・プロジェクトの記録映像の中で、鉄工場の人たちは子供のように目を輝かせて節子さんと一緒に仕事に取り組んでいる。6週間で6つの大きなモニュメントを力を合わせて完成させた時、節子さんはそれまでの人生の中でも一番大きいとも言える喜びを感じたそうだ。世界銀行で学んだマネジメントテクニックが活かせたと言うが、そんなドライな言葉では言い尽くせないチームワークのスピリットがそこに生まれたのだと思う。
広大無辺の息吹を吹き込む
インタビューの時に、ハバナ・ビエンナーレに展示されたモニュメントの写真を見せてもらった。初めて見た節子さんの作品は衝撃的だった。まずそのスケールに驚いた。小柄な節子さんから想像できない大きさだ。ハバナの青空を突き抜けるようにそびえる作品の数々は、実際よりもずっと大きく見える。何かに届こうと精一杯腕を空に伸ばしている作品は、上方の空間も巻き込んで更に大きく見える。そしてどれもが尊厳さがみなぎるオーラに囲まれていているのも、膨張して見える理由かもしれない。
人や生き物の大胆な表現にも驚いた。節子さんの作品には必ず大小の生命が織り込まれているが、見る人のキャパシティに挑戦するかのような形もある。解き放たれた状態なのか、エクスタシーの頂点なのか、または地球のおおらかさそのものなのか、それぞれの生き物がたくましくて、自由で、純粋で、かわいらしささえ感じる。作品は無言だが、溢れるメッセージがバイブレーションになって見る人に伝わってくる。そのエネルギーをまともに受けたら、しばらくその前から立ち去ることができなくなりそうだ。
スチール製なのに軽やかなことにも驚いた。風になびくような軽さがある。陰と陽がかくれんぼをしていて、風が空洞を通り抜ける音が聞こえて来そうだ。手足や体の表情を作る時、スチールを波打たせることによって、モチーフに命を吹き込むという。まるでレースのように線の入り組んだ模様もある。溜息をついて眺めていると、はがねの海藻の中で戯れているような錯覚に陥る。
正義のために戦う勇気
彫刻だけかと思ったら、ある時「今度、パリに留学することになったの」と言って、競争率の高い公営のアトリエで絵を学ぶために、奨学金付きで旅立ったのが2009年。帰国後、節子さんは彫刻に加えて、本格的にアクリル画も手掛け始めた。絵画のスケールも想像を絶していて、巻物状の作品は2x10メートルという大きさだ。
アクリル画の中で、私が節子さんらしいと思うのは、「正義のために戦う、その勇気が美しい」という言葉を象徴している作品群だ。戦争や争いが引き起こす苦悩や悲しみがテーマの作品には、焼け野原に芽吹く命のような、地球が終わるまで人間が持ちうる希望や回復の力が潜んでいる。
日本で焼き物の作家をプロデュースしている人の言葉を思い出した。「作品はね、作家の人格そのものなのよ」――。節子さんの作品と節子さんの生き方は限りなく近いと思う。節子さんと話していると、苦難や怒りが絶頂に達した時でさえ、やさしさを保つキャパシティーが人の心にはあることを思い出させてくれる。
節子さん作のモニュメントはキューバのハバナに加えて、現在ではアメリカのボルチモア、日本では東京と群馬県に常設されている。
ワシントン在住。日米のかけ橋となる仕事、ボランティアに関わっている。趣味は芸術鑑賞。