モロッコ旅行
昨年は、パンデミックで中断していた旅行を再開、1月はパタゴニア、4月は南スペイン、11月はモロッコと旅行大忙しの年となった。
モロッコに行くきっかけとなったのは、昨年の春に訪れた南スペイン。そこで見た素晴らしいサラセン文化は、中東からモロッコ経由でスペインに渡ったと聞き、もともと行きたいと思っていた国の1つだったこともあって、早速実行することにした。
モロッコはアフリカ大陸の北西端に位置する、傾いた長方形のような形の国で、人口約3400万人、大西洋と地中海に面する長い海岸線を有している。
モロッコには先史時代からベルベル人(現在の正式名称はベルベルではなくアマジグ)と呼ばれる先住民が住んでいたが、ローマ帝国の時代にもうすでにローマ人がモロッコに現在、世界遺産となっているヴォルビリスという都市を作っていた。8世紀初頭になると中東からアラブ人がモロッコに侵入し、そこからモロッコのイスラム化、アラブ化が進んで行った。アラブ人は更にモロッコを踏み台として南スペインまで勢力をのばし、そこでサラセン文化が開花することになる。その過程でベルベル人の多くはイスラム教に改宗し、今や国民の99%がイスラム教徒となっている。その後何百年に渡って幾多の王朝が続いたあと、1912年にフランスの属国となり、1956年モロッコ王国として独立を果した。国民の多くはアラビア語とフランス語を話し、観光が重要産業の1つであるであることから、英語もまあまあ通じる。
ラバト
まず訪れたのが、モロッコの首都ラバト。これがアフリカ、アラブの国かと目を疑うほどの綺麗な街並み。道路も整備され、道にはごみ一つ落ちていない。全体にとても明るい感じで、イスラム国のイメージからは程遠く感じられた。
立憲君主国のモロッコでは、国王の権限が比較的強い。現在の国王は1999年に即位したムハンマド6世。国民から愛され、幅広く支持されているようだ。国の近代化を積極的に推し進め、その過程で、2004年には女性の結婚年齢を18歳に引き上げ、女性に離婚を請求できる権限を付与し、さらにイスラムの伝統である一夫多妻制に対しては、完全に禁止はしないものの、多くの条件を課する新家族法を成立させた。
また「アラブの春」がきっかけとなっておこったデモ、騒乱を収めるため、国王の権限を軽減し、首相の権限を強化する憲法改正を直ちに提起し、速やかに国民投票にかけて新憲法を成立さるという早技をやってのけている。また最近は風力、太陽光電などの再生可能エネルギー開発にも積極的に取り組んでいるという。
フェズ
次に訪れたフェズは、かつてはモロッコの首都で、古都というイメージが強い。ここでは世界遺産にもなっているメディーナを散策した。
メディーナは、アラビア語で「街」を意味し、各都市で旧市街がメディーナと呼ばれている。四方壁に囲まれて、いくつかある門から出入りができるようになっており、中は細い道が迷路のように続き、地元の人でもない限り、一度入ったら自力で出ることはとても難しそうだ。中には、食、住、職のすべてが混在しており、食料、衣料、金物などの生活必需品を売る店があるかと思えば、そのちかくには家内工業的な工場もあり、絨毯、各種工芸品、皮革や生糸の染色などが行われている。フェズは昔から伝統工芸の町として知られており、モスクあるいは宮殿の中を美しく飾る手の込んだタイル細工、石膏細工、木工細工の多くは、フェズで作られているという。
リヤドと呼ばれる伝統的な多世帯住宅もまだ多く残っており、その中にはホテルに改造されているものも多くあると聞いた。道が細いため、もちろん車は通れない。したがって運搬手段は、ロバか人間が引っ張るリヤカーのようなものに頼るしかない。
革の染色工場で使われている染料は、すべて天然素材。例えば赤はけし、パプリカ、黄色はターメリック、サフラン、柘榴、青はインディゴが原材料となっている。スパイス、ハーブといった食料のすぐ隣に色鮮やかな染料が山盛りになって売られているのは、ちょっと奇妙に感じられたが、素材がすべて食用になるものなので、隣同士でもいいのかと納得した。
サハラ砂漠
フェズからアトラス山脈の南にあるサハラ砂漠まで、ほぼ1日がかりのバス旅行。道は各方向一車線ではあるが、よく整備されている。アトラス山脈も北側は平原地帯で降雨量は少ないが、オレンジ、麦類をはじめとする農業が営まれている。アトラス山脈を越える頃になると、乾燥地帯に強い、オリーブ、なつめやしが主流となってくる。ラクダはそこらじゅうにいるが、すべて家畜で、野生のラクダはモロッコにはいないという説明だった。ラクダは決して乗り心地が良くないが、ラクダの上から見た砂漠の日没は圧巻であった。
マラケシュ
砂漠からまたアトラス山脈を越えて、今度はマラケシュに到着。マラケシュは、近代的で快適な街で、ここのメディーナは、フェズのそれとは趣きが違い、よりエネルギッシュで、活気に満ちていた。
マラケシュで印象的だったのが、マジョレル庭園とイブ・サンローラン博物館。この庭園は、もともとジャック・マジョレルというフランス人のあまり売れないアーティストが所有していたもので、それをイブ・サンローランと彼のパートナーのピエール・ブルジェが買取り、改装して住居として使っていたものである。サンローランの死後は庭園、美術館、博物館として一般に公開されている。マラケシュの観光名所の1つでいつも混雑してはいるが、あの鮮やかな青の色がとても印象的だった。
カサブランカ
モロッコ最大の街、カサブランカはモロッコの経済、商業の中心地で、あまり観光名所などはないが、ハッサン2世モスクと呼ばれる巨大なモスクは一見の価値がある。北アフリカの象徴として、1986年から8年もかけて建設されたこのモスクの建築費は、その大部分が国民からの寄付で賄われたという。建物内外のタイル、木工、石膏細工と装飾はモロッコ全土から集めた名工の手によるもので、繊細で、精密なその美しさは素晴らしかった。
食べ物
モロッコ料理で有名なのは、タジンと呼ばれる陶器の入れ物で調理した肉、野菜類、それとクスクスだが、スパイスがたくさん使われているわりには決して辛くない。パスティーリアと呼ばれる薄いパイ皮は、メディーナの中で、伝統的な手法で作られている光景を見かけた。
これに肉類、野菜を包んだもの、あるいはこれを何枚も重ねて蜂蜜やクリームをかけたデザート、どれもとてもおいしかった。
また緑茶をベースにしてミントの葉をたくさん加えたミント・ティーはどこに行っても出てくる。それと、随行してくれたガイドさんが ”cooked salad”と呼んでいた調理した野菜類。これがいつも前菜として出てきて、旅行中は野菜不足になりがちなので、とてもありがたかった。
次は?
さあ、次はどこへ行こうかーーーー。候補としてのぼっているのはウズベキスタンをはじめとするシルク・ロードの国々、トルコ、シチリアなど。日常の生活から離れて、旅行を通じて今まで馴染みのなかった文化に触れ、肌に感じながら多くのことを学べる機会がこれからも多くあることを望んでいる。
1980年以来ワシントン在住。長年にわたる会議通訳業から最近引退。