おかげさまで

菜の花畑。住んでいる地域では自然を身近に感じられる

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突然の癌発見

2019年7月中旬にかかりつけ医にて定期的な血液検査を受けましたが、仕事が児童館勤務で、検査結果を聞きに行ったのが夏休み終了後でした。検便検査の結果、大腸検査を受けることになりました。

検査用のベッドに横になり、内視鏡も進み映像画面を見ておりました。しばらくすると、腸内の映像が今迄のヒダヒダとは違い、異様な物体が目に飛び込んできて、素人の私にも異常性が解る程でした。先生方の動きも慌ただしくなり、何かが起きていることは鈍感な私にもわかりました。検査は終了し、検査医から、胃腸内科を受診するように言われ、内科医から説明を受けました。病名は横行結腸大腸癌ステージ3~4でした。今から即入院と言われましたが、勤務先に休暇届をするなどの手続きもあったので翌日入院しました。友人2人が付き添ってくれました。

検査入院

入院し様々な検査を受けながらも、自分の身体に起きていることとは思えませんでした。これまで何の痛みもなく、食欲も落ちることなく過ごしていたのです。しかし、癌細胞が活動しているのを実感するようになってきました。入院した頃から、同じ様に食べていても、わずかずつ体重が減ってきました。身体は正直ですね。「肥満体でよかった!(笑)」と看護師さんとの会話です。

検査を受ける中、少しずつ現実を受け止めることができるようになってきました。

偉そうなことを申しましたが、辛く、悲しい、悔しいの思いの中、泣くことも多々ありました。看護師さんから「無理せずに泣きたい時は泣く!泣いたらスッキリするよ!」と言われましたが、その通りでした。先々のことを思うと不安で泣いたり、友人から「普通もっと痩せるはずやのに」の指摘に笑いが止まらなくなったり、悔しくて泣いたりの繰り返しでした。

外科医から癌の大きさから治療法は手術をして、その後、抗がん剤治療の可能性が高いと説明をうけました。7年前になりますが、妹が小細胞肝臓がんによって、わずか2か月余りの闘病で、60歳の生涯を終えました。知的障害がありましたので、私が気付いた時には手遅れで、手術も抗がん剤治療も受けることができませんでした。手術が出来ると聞き、有難く思えた反面、妹のことを思うと私だけ手術を受けていいのか、申し訳ないような気持ちもあり、友人にその話をすると、「妹さんからのプレゼントよ。妹さんの分も生き抜かないと」と励まされました。

ケイちゃんありがとう。あなたの分も生きるわね。

身内のいない私にとって、友人の存在は有難く、家族以上の存在となりました。
手術を受けるにあたっては、先生からの説明を一緒にきいてもらいました。同室の患者さんから羨ましがられる程でした。友人のご家族にも感謝です。2週間の検査が終わり、次に入院するときは外科病棟なので一旦退院しました。

いよいよ手術

外科病棟では4人部屋で乳がんの術後の方、すい臓がんの検査をしておられる方で、同じ年齢層のこともありすぐに打ち解けました。カーテンは皆さんオープンにされ、看護師さんから「女子会、楽しそうやね」と言われるくらいでした。丁度、ラグビーの世界大会中だったので、皆で必死に応援し、看護師さんからも消灯時間の延長許可が出て盛り上がりました。ここでもエネルギーを頂きました。

そして、手術の日を迎えました。友人2人も待機してくれていて心丈夫でした。
お陰様で無事手術も終わり、友人は先生から手術の結果などの説明を受けてくれました。面会時に友人からの言葉は、「大変な手術やったけど、基陽子さん、死なへんような気がする」でした。

順調に回復する中、外科の先生から説明を受けました。予想以上に癌が大きく、一応悪い箇所は取り除いたが、周りのリンパに転移があり、その内の幾つかに顔つきの悪いのがいるから、抗がん剤治療を受けるようにと勧められました。術後余りにも調子が良く、癌患者であることを忘れる程でしたが、現実に引き戻され、腫瘍内科で抗がん剤治療と向き合うことになりました。

抗がん剤治療の体験

8ヶ月にわたる治療が始まりました。開始1週間で副反応が出始め、身体がどうにもならず、食事もとれず、ベッドに横になったままで、トイレに起きるのがやっと、一人の不安と、このままだったら周りの人たちに迷惑ばかりかけることになるのと、身内もいないので、治療を止めたら余命は?と覚悟して先生に尋ねました。


NYから一時帰国して付き添ってくれた幼なじみの友人が、私の胸中を察し、先生にアドバイスを求めてくれました。先生には「佐々木さん、そろそろ世の中に甘えましょう、福祉関係を利用しながらの人生もありですよ」と後押しされ、今の私がいます。

それから友人は滞在日数の限られている中、福祉関係の窓口になって全てのお膳立てを迅速に進めてくれて、アメリカに戻っていきました。感謝しかありません。介護認定を受け、当時と頻度は変わりましたが、今も訪問看護師さん、ヘルパーさんにお世話になっています。
治療が進むにつれて両手足の痺れやむくみ、冷感過敏性により冷たい飲食では喉にガラスが刺さったような痛みが走り、金属に触れるときはカバーしてからと、様々な副作用があり、二年経過しても一部は残っていますが、それらと上手く付き合っています。

児童館の子どもたちから届いた応援メッセージを枕元に置きながら、9ヶ月の治療を終えました。途中、何度か白血球の減少で次週に延びることもありました。

転移、再び手術

ホッとしたのも束の間、やはり相手は強敵でした。小腸への転移があり再手術になりました。又、治療中断も考えましたが、ご自身も、数か月前に乳がんの手術を受けられたのにも関わらず、東京から日帰りで聖書を届けて下さった方、毎週土曜日に手作りのお弁当を届けて下さる方、そして児童館の子どもたちなど、「今まで応援して下さった多くの方々に恩返しも出来ないままでは申し訳ない、闘わずして白旗を上げるのはイヤや」の思いで再手術を受けました。

ただ、今回もすんなりとは行かず、外科の先生からは半年後にCT検査を、と言われたのですが、心強い友人が「半年後なんて遅すぎる。2か月後にして下さい!」と掛け合ってくれました。正解でした。検査の結果、小腸の周りに多くの播種が飛んでいました。友人様様です。抗がん剤の再開です。

抗がん剤治療と免疫療法

今回は、前回とは違う抗がん剤治療薬で、前もって左上腕部にPortを施術して1回を46時間連続で投与するタイプでした。入退院を3週間ごとに繰り返して4回受けました。コロナ禍で付き添いなしの一人での移動はこたえました。帰宅してからは座り込んだら暫く動けませんでした。

3回目を受けた頃に腫瘍内科の先生から、「佐々木さんラッキーです、以前に受けてもらった遺伝子検査で免疫療法という治療を受けることが出来る」とお話がありました。その様な検査を受けていたことすら忘れていました。ノーベル賞の本庶佑先生が開発された薬オプジーボでした。まさか、自分が受けることになるとは!!

4回目の抗がん剤も終了、退院後しばらくしてオプジーボ投与が始まりました。

最初に受けた抗がん剤の点滴時間は4~5時間ほどかかり辛い思いをしましたが、オプジーボは30分程で辛さは無く、2週間に一度のサイクルも負担を感じません。オプジーボ投与を受け、丸一年が過ぎようとしています。そして先生からは、「楽しいことをドンドンやっていきましょう!楽しいことをやればやるほど免疫力がアップし、より効果が上がり、体内の悪いヤツだけをやっつけてくれるから」と説明を受けました。それならば何か出来ることはないかと、体調と相談しながら、被災された方々や養護施設の子供たちに、帽子を編んで送ることにしました。子どもたちの施設からは帽子をかぶった散歩中の様子が送られてきました。お役に立てて嬉しかったですし、生活にハリがでてきました。免疫力UPです。

完全奏効に!

そんな中、大きなプレゼントが届きました。2021年6月のCT検査で播種が消えているとの検査結果が出ました。嬉しさのあまり椅子から飛び上がりました。しつこい位に何度もCT映像を先生と確認しました。その後の3か月に一度のCT検査も合格が続いています。

常に楽しいことを思い描き、プラス思考のレベルが上がった様に感じます。昨年はコロナ禍で出掛けることを控えながらも対策をして、二度と乗れないと思っていた阪急電車に乗り、諦めていたオペラ鑑賞や森山良子さんのコンサートに出かけることもできました。先生もクラシックがお好きで、コンサート談義にも、側で看護師さんから失笑をかうくらい盛り上がります。また、児童館時代を思い出しながら、工作も楽しんでいます。

先日、訪問看護師さんから「一年前は殆どベッドの中やったね。今は嘘みたいやね」と褒め言葉を頂きました。もちろん、先行きに不安はあります。咳をしたら肺?胸やけの時は胃、食道?頭痛は?と「再発」の二文字はいつも頭のスミにあります。それでも様々な場面で多くの方から助けていただき、喜びと幸せを感じることが、多くなりました。

幸いなことに自然を身近に感じられる地域に住まいしております。

先日は絵画教室の帰り道、川沿いでカワセミを見かけました。スマホで撮ったものの、本人と同じくピンボケでした。散歩中に、草木の新芽を見つけては嬉しく、愛おしくなります。

とれたてイチゴ

とれたてイチゴ

聖書に、先のことを思い煩うな、今日一日を感謝して過ごす。とあります。

今はそれをほぼ実践出来ていることに感謝し、喜びを感じられている自分自身に拍手を送ります。それも多くの応援隊の支えがあったからこそです。本当にありがとうございます。

68歳で発症し71歳の今、障害者施設や児童館で係わった子どもさん方から受け取った無限大のエネルギーを糧に一日一日を大切に、例え数ミリでも前に進んで行ければと願っています。これからは恩返しのつもりで、小さな応援隊でありたいです。感謝。

竹林

竹林


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