日本語がもたらした縁

アメリカに住むようになって約20年になる。海の反対側から見た日本の文化や言語を意識して見るようになったが、この5年ほど日本語教育について考えさせられたことはなかった。教育者でない私が、日本語の学習者と教育者について、これほど強く興味を抱くことになるとは思わなかった。

5年前、渋谷にキャンパスを持つ長沼スクール日本語学校のワシントン・リエゾン・オフィスが設立されて、代表として日本語教育に係るチャンスをいただいた。それが長沼スクールの創始者、長沼直兄(なおえ)との出会いだった。出会いといっても、もちろん記録として綴られた文章の中での出会いだ。

日本語教育のパイオニア、長沼直兄

対外国人日本語教育のパイオニアだった長沼直兄の人生を数行で書くのは難しい。直兄は明治38年(1905年)、21歳の時、隣人から日本語教師の代行を頼まれてYesと答えたそうだ。それがきっかけとなって外国人に対する日本語教育の道を歩み始めたらしい。著名な英国人言語教育者ハロルド・パーマーとも出逢い、パーマーの推薦で在日米国大使館の主任教官として、米国陸海軍から日本に送られた将校に対する日本語教育を担当したのは第二次世界大戦開始前、直兄が29歳の時のことだった。当時大使館では小学生用の国語の教科書が教材として採用されていた。大人が外国語として日本語を学ぶための教材としては不適当と考えた直兄は、パーマーが提唱する教授法「オーラル・メソッド」を取り入れ、文学作品・落語・日本事情・平安時代や江戸時代の文化・日本政府の仕組みなどもテーマとして取り上げ、日本について一通りのことが学べる内容にした。この読本は後に「ナガヌマ・リーダー」と呼ばれ、将校たちに親しまれた。

ドナルド・キーン先生と長沼スクールの接点

5年前のある日、この読本が日本文学者および翻訳者である故ドナルド・キーン先生が賞賛する教科書であったことを長沼の関係者から聞いた。「ドナルド・キーン わたしの日本語修行」(河路由佳著)は、キーン先生と日本語の出会い、学習者、研究者、教育者として日本語と共に歩んだ人生が対談形式で描かれている。そして、キーン先生は思わぬ形で長沼スクールと関わっていたことが記されている。

ドナルド・キーン氏。ドナルド・キーン・センター柏崎の公式サイトより

ドナルド・キーン氏。ドナルド・キーン・センター柏崎の公式サイトより

昭和14年(1939年)、キーン先生が17歳の時、売れ残りの本を扱うニューヨークの本屋でThe Tale of Genji を買ったそうだ。この日本文学との出会いが彼の人生を変えた。アーサー・ウェイリーによる翻訳は美しく、たちまちその物語に夢中になり、キーン先生は戦争のニュースから逃れるようにその美の世界に耽溺したという。日本語学習に熱中したキーン先生は、海軍日本語学校の存在を知り、海軍省に入学させて欲しいと手紙を書いた。「平和主義であることと海軍入隊とに矛盾を感じることはありませんでした。私は日本語を勉強するために日本語学校に入るのであって、それ以外の気持ちはなかった」そうだ。

晴れて海軍日本語学校の生徒になったキーン先生は、バークレー校が使っていたメソッドでどんどん日本語が上達したという。そこで使用されていた教科書が「ナガヌマ・リーダー」と呼ばれる「標準日本語讀本」の海賊版だったのだ。米国海軍が長沼直兄の「標準日本語讀本」をコビーし、表紙を白紙にしてリングで閉じた代物だった。

米軍が「標準日本語讀本」の海賊版を使っていたと知った私が、東京の長沼スクール理事長に問い合わせたところ、「戦後、印税分を払ってもらったよ、と伯父から聞かされた記憶があります」とのこと。「ドナルド・キーン わたしの日本語修行」の対談がきっかけで、キーン先生はナガヌマ・リーダーと再会したそうだ。今となっては微笑ましいエピソードを読んで、名高いキーン先生を、勝手に身近に感じるようになった。

『標準日本語讀本』初版本の表紙

『標準日本語讀本』初版本の表紙

『標準日本語讀本』初版本

『標準日本語讀本』初版本

日本語学習に熱意を燃やすアメリカの若者たち

ワシントンDCに来てから、日本語を学習している数知れぬ若者に出合った。DCには、日米協会主催が日本語を学ぶ高校生のために開催する競技大会ジャパンボウルやジョージ・ワシントン大学主催の大学生のためのJ.LIVE Talkがあって、全国から日本と日本語学習に熱意を燃やしている若者が集まる。ポップカルチャーに長けているだけでなく、驚くほど問題意識を持って日本を見ている若者がたくさんいる。数年前から小学生対象のジャパンボウルも加わり、高校生のためのJ.LIVE Talkも企画されている。長沼スクールとしても個人的にも、ワクワクしながらこれらのプログラムに関わっている。

参加する若者たちもさることながら、日本語を教える先生たちの熱意と努力にも頭が下がる。日本語は世界中で日本においてのみ使われている言語。生徒にかけるエネルギーは形には残らないし、将来どこでどのような形で貢献に繋がるのか否かもわからない。

ワシントンDCに住んで20年、これほど自分を日本人と意識するようになるとは思わなかった。パッションを持って日本語を学ぶアメリカ人の若者と日本語教育に関わる先生方々から、いつも新鮮なモチベーションを頂いていることに感謝したい。

 

 

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