日本における選択的夫婦別姓について
夫婦別姓訴訟
今年6月、日本の最高裁判所は、夫婦別姓を許さない現行法制度の合憲性について二回目の判断を下した。その内容は2015年12月の類似訴訟の判断を踏襲し、夫婦同氏制を採る民法750条が憲法24条(婚姻の自由、夫婦の平等などを規定)に違反しない以上、夫婦として称する氏を婚姻届けの必要記載事項とする戸籍法74条1号も憲法24条に違反せず、仮に選択的夫婦別姓制度を採択した場合でも具体的にどのような制度とするかという判断は、立法政策として、より民主的な国会の判断にゆだねられるべきというものであった。
この今年6月の判決の基礎となった2015年の類似訴訟では、主に民法750条の合憲性が問われ、その主文の内容は以下の通りである。
- 氏名は個人の呼称として人格権の一内容を構成すると言えても、氏は名前とは別に夫婦や親子といった社会の構成要素である家族の呼称としての意義があり、婚姻を含めた身分関係の変動に伴って改められることがあり得ることはその性質上予定されている。であれば、「氏の変更を強制されない自由」は憲法13条にて保障される人格権とはいえない。
- 夫婦同氏を規定する民法750条は、表面上夫または妻どちらの氏を名のってもよいため、性別による差別を禁じる憲法14条1項の違反ともいえない。
- 家族が社会の自然かつ基礎的な集団単位と捉えられ、その呼称を一つにすることに一定の合理性が認められ、民法750条は婚姻することについての直接の制約を定めたものではないので、憲法24条1項の違反ではない。むしろ婚姻・家族に関する事項は、国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因をふまえた総合的な判断によって定められるべきである。
これに対し2015年の補足意見では、摘出子の仕組みなども考慮すると、氏(姓)の選択の問題は司法での審査の限界を超えているとして、立法による判断にゆだねられるべき事項だと論ずる。一方反対意見では、別姓の選択を許さないことに合理性はなく憲法24条の違反という判断を下している。また特に女子差別撤廃条約(1981年発効、1985年に批准・公布)に基づく夫婦同氏制の法改正の国際的勧告を数回受けている事実に触れていることも注目に値する。
今年6月に日本の最高裁判所が判断した訴訟では、夫婦同氏制を原則とする民法750条だけでなく特に夫婦として称する氏を婚姻届けの必要事項とする戸籍法に焦点をあて、その合憲性が問われていた。(サイボウズ社長青野氏夫婦による別件訴訟では、外国人との婚姻では一人戸籍による別姓が認められていることとの不平等について問われていたようだが、最高裁判所による独立した意見が特に出されることもないまま2021年6月に上告が退かれたようである。)これら2015年12月以降の一連の訴訟では、女性の社会進出が進み、国民感情を含む状況の変化に伴って、最高裁判所がこれまでとは違った判断を下すのではないかと期待されていた。
ご存知のように三権分立制において、憲法上保障される権利にかかわる判断は司法の管轄である。民主主義とは原則多数決による判断だが、そうした社会や国の判断から侵害されることなき個人の人権として憲法が保障するのが基本的人権である。そしてどのような権利が基本的人権として保護されるべきかは司法が判断する。
2015年12月の判決、およびそれを基本的に踏襲した2021年6月の判決では、同一家族であっても別姓選択を望む原告の主張に対し、日本の文化・伝統では家族は同氏であるという前提のもとに、現行法制度は合理的であると判断した。敢えて詳細な吟味なく、最初から立法・行政にDeferenceを与えた審査と言える内容である。また原告側は、別姓でも家族としての価値は同じであり、これまでの「家制度」という伝統を強要する現行法制度そのものの合理性を問うているのに対し、「日本の文化・伝統だから」との理由で合憲と判断するのは、論理的に循環しており、合憲性の説明としては不充分であろう。
更に2015年12月の最高裁判決では、「婚姻の効力の一つとして夫婦が夫又は妻の氏を称することを定めたものであり、婚姻をすることについての直接の制約を定めたものではない。仮に婚姻及び家族に関する法制度の内容に意に沿わないところがあることを理由として婚姻をしないことを選択した者がいるとしても、これをもって、直ちに上記法制度を定めた法律が婚姻をすることについて憲法24条1項の趣旨に沿わない制約を課したものと評価することはできない」とある。言い換えれば、「氏を変えるのが嫌なら結婚しなければいいじゃん」という論理である。つまるところ、行政・立法への「忖度」なのであろうか、氏を変えることなく法的に婚姻する権利が憲法上保障されているのか否かという、本来なら司法が正面から向き合うべき問題から逃げているという印象を免れ得ない。
これに対して、きちんと正面から向き合い審査したのが反対意見である。今年6月の判決での反対意見では、氏を変え、自分のこれまでのIdentityの一部を捨てなければ法的に婚姻できないというのは、婚姻の自由に対する制約であると明言している。そして憲法24条2項での、立法府がこうした違憲状況を不合理に野放しにしたことに対する賠償責任を認めるか否かについては意見が分かれたが、少なくとも憲法24条1項の違憲性についてははっきりと違憲性の可能性を示した。
この今年6月の反対意見で主張された違憲性の理由はごく当然と言える内容で、氏が個人のIdentity、および人格の一部であり、仕事上の名誉や功績などとも強く結びついており、氏を変えることの不利益を確認している。更に現状では96%を超える割合で女性がその不利益を被っていることも認識し、通称使用では必ずしも全ての不利益に対する担保とはならないことも認めた。その上で国際社会からの女子差別撤廃条約に基づく勧告に触れ、選択的夫婦別姓を許容しない現行制度を違憲と判断しているのである。
国際結婚者との違い
私個人としては、国際結婚をしたため一人戸籍という形での「夫婦別姓」選択があり、同じ日本人なのに結婚する相手の国籍によって夫婦別姓が選択できないことの合理性についてはこれまでも疑問に思っていた。今回改めて確認した2015年12月および2021年6月の最高裁判所の判決は、この不平等について敢えて詳しくは説明していないのだが、サイボウズ社青野社長夫婦が提起した訴訟の高等裁判所による下審判断で少し触れられている。
即ちこの下審判決によると、家族や氏に対する文化・伝統も異なる外国人との婚姻・離婚の場合の氏の在り方は、日本人同士の婚姻とは根本的に異なり、これは民法でも別途規定されているところである。従って原告が違憲を主張した民法750条は日本人同士の結婚のみに適用されるもので、この民法750条は日本の文化・伝統に鑑みれば合憲であるというものだ。国際結婚との違い・不平等についての審査にて、表面上は民法の法律解釈論から分析する形式をとっているが、その内容は「日本人同士の婚姻」v「国際結婚」における取扱いの違いの合理性を主張するだけで、外国人または日本人と婚姻しようとしている日本人に焦点を当てて、なぜ同じ日本人でも婚姻相手の国籍によって違う取扱いをすることが平等の原理に違反しないかについての説明はなされていない。更に国際結婚では一方の配偶者の家族や氏に対する伝統や文化的背景が違うことを認め、夫婦別姓といった例外も然るべきで合理的であると明言する反面、なぜ日本人の間における結婚や家族、また氏に対する考え方の違いや多様性を認めないのか。この点についての説明や分析は、この青野社長による訴訟での高等裁判所の判断、また2015年12月と2021年6月の最高裁判所の判断からも完全に欠如している。
確かに夫婦別姓の家族では摘出子など子供との関係が明らかでなくなるのは事実であろう。が、これだけ離婚や再婚が増え、既に親と名字が違う子供と親が同居する家族が多く存在する今、「家族とは氏を同じくする父親、母親そしてその摘出子が構成するもの」といった概念自体が現状にそぐわないと言える。むしろそうした昔ながらの家族体系を推奨する判断は、離婚した家族や再婚家族での子供たちへの偏見を助長することにもなりかねない。
「家制度」の強要
第2次世界大戦後の日本の民法また憲法では、これまでの封建的な「家制度」から脱却し、個人の人権が重視されたものとなったはずであるが、昨今保守化が進んだと言われている日本の政治の影響を受けてか、今回の一連の夫婦別姓訴訟での司法判断はこの「家制度」の考え方を法的婚姻を望む全てのカップルに強要する結果となっている。そこにある家族とは、外で働く父親、家を守る母親、そしてその両親のもとに生まれた子どもたちがおり、原則として離婚も再婚もないことが前提である。
最近の世論調査でも選択的夫婦別姓制度を許容する回答の割合が伸びている。もし日本の男性、女性たちが本当に別姓選択が可能な法的婚姻制度を希望するのであれば、戦うべきである。夫婦別姓選択制をサポートする政治家・政党に投票することも一つの方法であろう。また日本では憲法79条にて最高裁判所判事の罷免権というアメリカでは存在しない権利が主権者である国民に与えられている。政府よりの判断ばかりして本来の責務から逃げ、正面から基本的人権の審査に向かい合わず、自らの地位について一抹の不安ももたない判事たちの名前を罷免リストでチェックするよう促す運動をして、こうした判事たちに冷やっという思いをさせても良いのではないか。本来、多数決的な「民意」からは隔離されるべき司法ではあるが、判断すべき憲法問題に司法が正面から向き合わない場合には、何らかのチェック機構が機能すべきであろう。
近頃、小室氏と眞子さんのご結婚についてテレビのワイドショーでも大変な話題となっているが、「小室眞子」となることを当たり前とした報道である。願わくば「眞子さんは小室という氏にされるのか、それとも何か新しい氏をお選びになられるのか」といったことで司会者とゲストが「討論」するような場面を見てみたいものである。また眞子さんのようなお立場の女性皇族ご自身が、結婚を希望されても相手の氏は名乗らないとでも宣言してくだされば興味深いのに、などと想像してしまうのは私くらいであろうか。
日本では新しい自民党総裁が選ばれ、10月31日には衆議院総選挙が行われた。選択的夫婦別姓についておざなりの意思表明があったようだが、実際にいつ国会にて法案が出され討議されるかは定かでない。性差別の根絶や女性の社会進出を援助するというリップサービスだけでなく、女性の(しいては男性にとっても)真の自由を認め推奨する政策を今後期待したい。
カリフォルニア州・ワシントンDC弁護士。国際基督教大学語学科卒、ニューヨーク州立大学アルバニー校大学院コミュニ ケーション学修士課程、ジョージタウン大学ローセンター法務博士(Juris Doctor)課程修了。メリーランド州チェビーチェイス在住。趣味はバレエ、音楽鑑賞、観劇。