瀬木比呂志「檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか」(角川新書) 2021年

日本の司法の危機

発展途上国では裁判官が買収できたり、刑罰の軽減が買えたりする。私が住んでいたイランでは鞭打ちの刑があったが、袖の下いかんで優しく打ってもらえると言っていた。現在の居住地インドネシア でも同様の噂を聞く。その点、日本は民主主義で、法治国家で、いいなぁと思っていた。しかし、岩瀬達哉『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』(講談社)、新藤宗幸『司法官僚──裁判所の権力者たち』〔岩波新書)と合わせて本書を読んだ今は、贈収賄だけが民主主義を脅かすものではないと痛感し、怖くなっている。日本の司法は大変危険な状態にある。

裁判官のキャリアパスを決める最高裁と、更迭を怖れる裁判官の罪

現在の裁判所のポジションには格付けがあり、最高裁が支配するキャリアシステムの中で、裁判官たちは出世を競う。裁判は本来、独立した裁判官が、検察と弁護人の主張を法律に照らし合わせ、裁くものである。しかし、多くの場合、その裁判所の所長の意向を忖度しなければならない。上級裁判所の所長は、ほとんどが内閣と密接な関係を持つ最高裁事務総務局の出身者であり、被告が行政の場合、所長の意向に反して行政側に不利な判決を下すと、地方に飛ばされたり、下位裁判所に送られたりする。(あからさまにならないよう、しばらく経ってから報復人事をする。)そして、審議は大抵差し戻される。そして差し戻しされた時には、訴えの棄却になるよう、息のかかった裁判官人事に一新されている。

例えば、福井地裁の裁判長は、大井原発差し止め判決、高浜原発差し止め仮処分を出した後、家庭裁判所に左遷された。代わりに最高裁は3人の裁判官(すべて最高裁事務総局の経験者)を送り込み、その差し止め判決を全員一致で取り消させた。恐ろしい。取り消しの理由は、「原発の危険を示す証拠がない」、「原発は推進すべしという社会通念がある」という。しかし、原発は推進すべしという社会通念が、あるだろうか?「社会通念論」はわいせつ性などの基準を判断する際は適切だが、原発のような客観的事実に基づいて判断されなければならない訴訟には、なじまないはずだ。現在の行政相手の裁判は、ほとんどが最初に判決ありきなのだ。三権分立になっていないのだ。有名な袴田事件も、発生後1年も経って味噌樽から発見されたという衣類から、犯人とされるDNAが検出されたという「証拠」に基づいているが、古い時代のDNA鑑定、衣類の状況など、素人が読んでも、証拠捏造が明らかだ。しかし裁判所は冤罪を認めたがらず、再審請求が棄却されている。本書には、数々の判決の実例が丁寧に解説されていて、非常に興味深い。ここまで司法は信頼できないものだったのかと、あらためて驚愕する。

どうして裁判所は変わってしまったのか

日本の裁判所には、戦後から1960年代まで、民主制の基盤となる司法を作り上げるのだという気概をもった裁判官が多くいた。左翼化を懸念した自民党が人事に介入し、1969年に強烈な国粋主義者(石田和外氏)を最高裁長官に指名したころから、非常に保守化した。現在は裁判経験が少なく行政経験が長い法務官僚に、重要ポストが占められるようになっている。若いころ正義感にあふれていた人でも、上の意向に添わない判決を出して地方に飛ばされ、戻ってこないでキャリアを終える先輩たちを見て萎縮し、上層部の意向を忖度するようになってしまう。諦めて弁護士や学者に転身した者はいいが、そうでない者はやる気をなくし、コピペで判決文を書くというのも、複数の書物にある証言だ。

民主的な司法制度を作るには

著者は、この危機的状況を打開するために、最高裁に支配された人事システムを廃止し、裁判官を任命する中立的機関を作るよう提唱する。そのためには、日本国民の意識の変化が必要だと訴える。「国民はそれにふさわしい制度をもつ」と言われるが、この腐敗した裁判所人事システムを放置するならば、我々はその程度の国民ということになる。日本国民は、コロナ危機においても、指針を早く示してほしいなど、お上に頼る傾向が非常に強い。裁判を起こす際も、公平に裁いてくれるはずだという思いがある。ならば、そのお上である裁判官を選ぶ手段にもっと関心を寄せなければいけないと強く思う。なお、本書には、中立的裁判官任命機関の他にも、具体的かつ実現可能な提案がある。ぜひ本書を手に取り、一緒に考えて欲しい。

終わりに

以下に示す書物にも、裁判所の問題に似た事例が、他省庁にも存在することが語られており、興味深い。私の知り合いに、防衛機密にアクセスできたという若いハッカーの官僚が存在する。上層部に情報セキュリティの甘さを報告しようとしたが、既に提言書を出した先輩が窓際に追いやられたままであることを知り、問題意識を自己の内部に収めたままである。知らないうちに、賄賂ではない原因で、官僚の質が急低下している。問題を嘆くばかりではなく、官僚の在り方を変えるために、国民である我々がどうしたら良いのか、真剣に考えなければいけない時が来ている。

参考文献
—佐藤優『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』著(新潮文庫)
—原雄一『宿命 國松警察庁長官を狙撃した男・捜査完結』 (講談社文庫)

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