ウクライナ戦争:高齢者の声
英国に本部を構えるヘルプエージ・インターナショナル(HelpAge International)は、中低所得国の高齢者の権利と健康福祉の向上、そして紛争や災害における人道支援で高齢者のニーズに特化した支援を手がける数少ないグローバルNGOです。このヘルプエージは、2014年からウクライナ東部で5000人に及ぶ高齢者の支援を続けてきた実績があり、高齢者の様々なニーズに応える人道支援を提供するため定期的に避難者支援アセスメントを実施してきました。今年5月6〜11日にウクライナ西部と中部の避難所などで国内避難民569人を対象に実施した聞き取り調査の結果をもとに、ロシアによるウクライナ侵略戦争開始後100日で明らかになったウクライナ国内避難民、特に高齢者の置かれた実態について紹介します(注)。
ウクライナ:世界の最も高齢紛争地帯
ウクライナは60歳以上の高齢者が全人口の25%を占め、特に2014年からのロシアによるウクライナ侵略のため紛争地と化したウクライナ東部は、3人に1人が高齢者という高齢社会です。ウクライナは世界で最も高齢化した紛争地帯なのです。にも関わらず、経済面や心身の健康面で様々なニーズを抱える高齢者へのきめ細やかな人道支援の必要性の認知や理解はまだ低く、その支援体制は残念ながらまだ多くの国際援助機関で確立されているといえない状況です。
2022年5月3日時点で、ウクライナ戦争のため国外へ逃れた難民は565万人を超え、それに加えて国内・国外への避難を真剣に考慮している人が123万人、そして、国内避難民は800万人を突破しています。その国内避難民のうち55%は60歳以上の方々です(IOMの Ukraine Internal Displacement Report)。
ヘルプエージの実地調査は、ウクライナ西部(Lvivska、Chernivetska)と中部ウクライナ(Dnipropetrovska)にて、事前に決めた項目(性別・年齢・障害)に沿う567人の成人を選定する非確率抽出法で実施しました。避難民の大多数は、政府が2月から幼稚園や学校の敷地内に設置した集団避難所(48%)、借家(20%)、社会福祉施設(12%)で生活しており、60歳以上の高齢者はサンプルの42%を占める216人です。この60歳以上の年齢層へのインタビューが調査の主たる目的です。
高齢者・障害者へのソフト面での支援の必要性
ヘルプエージの実地調査で、ウクライナ国内避難民の高齢者の方々が最も必要としているのは、現金、医薬品と医療サービス、衛生用品、衣服、シーツ・毛布、補助機器という順であることが判明しました。
国内避難民の高齢者の74%が現金を最も必要としており、さらに88%が用途を限定されない現金を最もありがたい支援とみなしています。そしてこれは高齢者だけでなく、他の年齢層も同様の回答でした。ウクライナでは、65歳以上の高齢者の95%が年金給付(月額平均135米ドル)を受けているとされています。しかし、大多数の高齢者は国連が設定する貧困ライン(月額150米ドル)を下回る額しか受けていません。また、戦闘の最も激しいウクライナ東部ドネツクやルハンスクは、ウクライナでも高齢化率が高く、ヘルプエージが以前実施した調査では年金給付金が月75~120米ドルと、さらに低くなっています。
また、国内避難高齢者のうち人道支援機関から支援を受けていると回答したのは半数以下でした。身体障害がある場合には、その数値はさらに低くなります。国内避難民として申請・登録した高齢者の39%は、政府からの支援金をまだ受け取っていないこともわかりました。政府福祉事務所の前で長い間行列することが苦で、国内避難民申請をできていない人が多くいることも判明しています。そして回答者の26%が、家族や友人などの身寄りが全くないか、家族と離れたまま避難所で一人過ごしています。このような状況で、国内避難民の申請もできずにいることは想像に難くありません。
さらに、国内避難高齢者の43%が、身体移動機能(34%)、視覚(15%)、記憶(8%)、コミュニケーション能力(6%)面で、何らかの障害を抱えており、30〜59歳年齢層の11%と比べ約4倍に跳ね上がる高い数値です。そうした身体障害を訴える国内避難高齢者のうち、政府保健機関などで自身の障害について登録を済ませているのは約28%だけしかいないため、政府給付支援を受けていない高齢者が70%もいる実態も判明しました。支援給付のソフト面でのサポートも、高齢者や障害者には必要であることが調査からもわかります。
先の見えない戦禍に置かれ、現金が必要との回答は当然ともいえます。人道支援もこうした現場の声にタイムリーに応えるべく支援が進められていますが、高齢者や障害者に見られるソフト面での細かなニーズの重要性を改めて認識する必要があります。
他にも例えば、食料のアクセス状況には避難地域差がありますが、89%がとりあえずの食料は手元にあると回答しています。ただ、国内避難高齢者の45%が食料を確保し蓄えておくためのスペースがないことに苦慮しています。避難高齢者の心理的負担を軽減し、必要な栄養補給手段を確保し、先の見えない戦禍においても尊厳ある生活を送れる権利を擁護する、という面からも避難場所に食料を蓄えられる場所を確保し自炊できる設備や場所の手配が急務です。
人道援助:緊急援助と中・長期的ケアへのバランスと配慮
もし、皆さんが60歳以上であれば、何らかの健康上の心配や問題があるのではないでしょうか?そして、常備薬がいつも手元にあり、相談するかかりつけの医師や薬剤師がいることで、安心して暮らすことができているのではないでしょうか。
今回の調査で、ウクライナ国内避難高齢者の89%が何らかの健康上の問題を抱えており、特に過度の緊張による高血圧、心臓病、リューマチなど関節炎、胃腸不良を訴える人が多く、医療サービスへのアクセスができない状態です。医薬品と医療相談は、現金に次いで最も必要とされていますが、医薬品は在庫が底をついたり、在庫があるにもかかわらずサプライチェーン崩壊のため、45%の方々が必要な医薬品を十分に入手できない状態です。これに加えて12%の人たちは医薬品を全く入手できない深刻な状況に陥っています。また、国内避難高齢者の91%は、安全な水にアクセスできる状態と回答していますが、半数近くの人が生活する集団避難所での水のアクセスは安定しない状況が続いています。
身体的に問題のない国内避難高齢者でも、戦禍にいる心理的な悪影響とその圧迫感は想像を絶するものがあります。
「笑おうと思うたびに、心が重く笑うことができない。」
そう苦悩を訴えたのは、ウクライナ東部から西部リヴィウへ単身避難した66歳の男性アナトリーさんです(Helpage International. Our Hundred Days: Older people and their war in Ukraine)。
アナトリーさんのように、60歳以上で自分の意思に反してやむなく国内避難した人の割合は、若い世代に比べ高くなります。国内避難民の大部分が、激しい戦闘の続く東部ドネツク(34%)、ルハンスク(26%)、ハルキウ(16%)からの避難民です。避難前に家族と死別したり、避難途上でトラウマとなるような経験した人、また家族や親しい友人と離れた避難場所での生活を余儀なくされた人など、行き先の見えない避難生活は困難極まりないはずです。戦争が及ぼす中長期的な心理・精神衛生面での悪影響、単身で避難する高齢者の心のケアについても配慮が必要です。
そして忘れてはならないのは、今回の調査対象にはなっていない、自分の意思や身体的理由のため国内避難という選択肢を選ばない、選べない高齢者や障害者の存在です。戦闘が激化するなか、ヘルプエージのボランテイアは、こうした高齢者の安否を確認したり、心のケアを提供するため定期的な電話連絡を続行しています。
しかし、このウクライナの状況は、戦争が終結することでしか真の解決につながらないことは明らかです。ご紹介した実地調査、統計数値の裏には、一人ひとりの平穏な生活や夢が戦争により破壊されてしまった許しがたい事実があり、穏やかな老後を家族や友人たちと過ごし、残された人生の時を大切にしたい、というささやかな夢さえをも奪ってしまいました。
戦争の残虐さを改めて胸に刻み、それぞれの思い、そして立場から、何らかの行動に移していただければと切に願っています。
注)本稿では、ヘルプエージ・インターナショナルのウクライナ実地調査 Ukraine: Rapid Needs Assessment of Displaced Older People Lvivska, Chernivetska and Dnipropetrovska Oblasts(3 June 2022)の概略を紹介しました。本稿の意見に関わる部分は筆者の個人的見解であり、本稿記述における誤りがある場合も全て筆者によるものです。
国際学博士。2018年より英国ヘルプエージ・インターナショナル理事。2015年より認定非営利組織アドバイザー。英米及びアジア20カ国以上でビジネス・国際開発業務に従事。津田塾大学(BA)、国際基督教大学(MPA)、カリフォルニア大学(MA)、延世大学(PhD)卒業。2007年よりVIEWS編集委員。趣味はヨガ、2020年にインストラクター資格取得。