DC 駐在妻生活の愉しみ方
結婚後間もなく、米国務省に勤める主人の仕事の関係で、当初2年間の予定でワシントンDCでの駐在生活が始まった。大学で看護師・保健師の資格を取得後、看護師一本で働いてきた私にとっては未知の世界、専業主婦生活がそこには待っていた。
私の根幹にあるもの
母から与えられたマザーテレサの伝記を手に取り、無償の愛の精神に感銘を受けた幼少時代。その後も全校生徒の前でマザーテレサに影響を受けた自分の夢を語り、いつしか周りに感化されながら、マザーテレサの “Not all of us can do great things but we can do small things with great love.” の精神で好きなことに誇りをもち、自分に与えられた環境で最善を尽くすことができれば、最澄の教えどおり「一燈照隅 万燈照国」で、きっと良い世の中になると信じ、看護師を目指した。
念願の看護師職に就いてからは、国立大学病院血液内科、オーストラリアのナーシングホーム、癌専門病院VIP病棟を経て、限りある命の尊さ、家族愛や人との繋がりが人生の最期に与える影響の現実を見てきた。そこでは多くの学びを得た。帰国子女でこれからというときに白血病と診断された10代の男性、最期は母国語しか話さなくなったが、病棟でも常に教え子に囲まれていた人気教授、社会的に成功者と言われていたが、亡くなる際は誰一人も姿を現さず医療者に看取られて亡くなった男性、最期の1ヶ月は母親や配偶者の援助を得ながら乳児と個室で過ごし、亡くなる当日には願っていたシャンパンを一口すすり微笑みながら息を引き取った30代の女性、と今でもふとしたときに思い出す、様々な人生の最期のストーリーに寄り添わせていただいた。その頃から、「限りある人生、その選択に後悔はないか」と、心のどこかで常に自分に問いかけながら生きてきたところがある。
DCでの専業主婦
私は新婚まもなく海外生活が始まり、専業主婦となった。自営業である両親の元で育ったせいか、専業主婦の一日の過ごし方が正直わからなかった。ただ、元々好奇心旺盛なため、やりたいことを見つけるのにそんなに時間はかからなかった。ワシントンDCへの移住が決まってからすぐ、私の中に潜む探究心が騒ぎ、DCエリアの気になる情報サイトやコミュニティサイト、掲示板には全て目を通した。これまで忙しさを理由にやりたいけどやらなかったことをリストアップし、ひたすらすぐにできることがないか探し始めた。そこで目に止まった、もともと趣味で学んでいた器の絵付け教室と、お菓子教室。
連絡をとり、引っ越し後すぐに始められるよう調整していただいた。驚いていたのは、先生方である。引っ越し荷物もまだ届かず、渡米後数日でやってきた駐在妻。ただ、私の本当の目的は、技術を学ぶことだけでなく、友人のいない土地でのつながりが欲しかったのだ。運が良ければ、日本のレストランや食材に関する情報もいただけるかもという思いがあったのも事実。その後は、華道、茶道を学び始め、運動仲間や同世代の仲間を募集し、自分発の小さなコミュニティも確立した。そこで仲良くなった友人や主人の職場関係のコミュニティを通し、おもてなし術も学んだ。
ありがたいことに、DCエリアでは、好きなことに情熱をもち、その道を極めた先生方や仲間が容易に見つかる。一歩足を踏み入れると、そこは様々な国で駐在生活をしてきた専業主婦の先輩や、海外でキャリアを築くスーパーウーマンで溢れている。彼女たちの背景は様々だが、ここに行き着いたストーリーやこれまでの葛藤や苦悩を聞くだけでも、今後の自分の教訓となる部分が多い。落ち込んでいる友人の話を側で聞いてあげるだけで、感謝されることも少なくなかった。これまで全く料理もお菓子作りもしてこなかった私が、おもてなしで自分の料理を披露し喜んでいただける日がくるとは思ってもみなかった。
家庭の外で、繋がれるコミュニティをできるだけ多く用意しておくことのメリットは沢山ある。他との比較で自己嫌悪や孤独を感じやすい駐在生活にとって、人間関係のストレスは最大の敵である。いろんなコミュニティをのぞいて、自分が心地よいと思えるもの、向上心が駆り立てられるような空間を取捨選択していけば良い。探せば意外とあるものだ。それがきっかけで、国際交流のボランティアへの参加、友人同士の情報交換など、たとえそれが金銭の授与がある仕事のように目に見える貢献でなくても、自分が誰かの役に立っているという自覚がもてる活動に関わることは、自分という存在価値を高め、駐在で陥りやすい気鬱症状を抑えることにつながる。
和の心
私の動機はいつも単純だ。小学生の頃、当時人気絶頂の歌手華原朋美さんに憧れ乗馬を習い始めた。周囲の美しい人はみなヨガとワインを嗜んでいるという隠れた法則を見つけた時には、ヨガを習い、働きながらワイン教室にも通い始めた。数えたらきりがないが、動機はなんであれ、やりたいと思ったときにすぐに行動に移すのは昔から変わっていない。駐在という限られた時間を最大限活用する上でこの行動は正しかった。
これまで西洋文化ばかりに目を向けていたにも関わらず、日本を離れた途端に東洋の美しさに目覚めたというのも、私だけではないはず。ワシントンDCは、多種多様な文化が入り混じり、世界各国に居住地を転々としてきた人も少なくないが、日本駐在時の経験で感じた魅力を語ってくださる外国人に数多く出会った。それが私の日本文化に対する探究心をくすぐるきっかけとなった。幼少期に少し学んだ茶道を再開し、西洋のフラワーアレンジメントしか学んだことがなかった私が華道を習い始めた。「茶の本」で岡倉天心が語る “True beauty could be discovered only by one who mentally completed the incomplete.” (Kakuzo Okakura, 1997, Capter 4)という言葉。見たものをそのまま捉えるのではなく心の中で不完全さを補えてこそ真の美を感じられるという考え方は、日本の侘び寂びを外国人に説明する際のヒントにもなる。実際、DCエリアにおいても華道や茶道に興味があり、お教室に通っている外国人も多い。それが文化交流のきっかけとなり、一生の友人を見つけることができるかもしれない。
DCエリアのお気に入りを探す
DCエリアには、息を呑む程美しい場所が多数存在する。国立美術館や博物館は無料では申し訳ないくらい。これらに触れて、歴史文化を鑑賞し、また美的感覚においても研鑽を深めることができるのもワシントンDC駐在のメリットだ。
私のお気に入りは、Library of Congress(アメリカ議会図書館)。映画「ナショナル・トレジャー」の舞台にもなった、読書ルームは、パスポートなど身分証明書があればその日のうちに会員カードを作成して入ることが可能だ。バッグは入り口前のロッカーに預け、パソコンや教材を持ち込んで勉強することができる。あの空間で勉強ができるというのはなんとも贅沢だ。こんな経験ができるのもワシントンDCならでは。
アート、特に器やインテリアがお好きであれば旧ゼネラルフーズの創業者一族、マージョリー・メリウェザー・ポスト(1887-1973)が春・秋の別荘として利用していたHillwood Estateがおすすめだ。彼女の装飾美術コレクションが集結し、特に18-19世紀のフランス、ロシアの装飾美術品にご興味ある方は訪れていただきたいワシントンDCの観光地。季節によって鮮やかに彩られるお庭も見どころだ。
新たなコミュニケーションと普遍的なもの
コロナ禍でさらに便利になったZOOMなどのオンライン・コミュニケーション。インターネットの力で情報の瞬間移動や交流ができるようになればなる程、一見世界が小さくなる様に思えるが、飛行機での移動が日常となり、これまで車の通過点だった小さな街が廃れていく様に、実際にはその間にある身近なものに無関心になっていくようにも思える。
インターネット上で学び、様々な情報が得られる時代に、わざわざ足を運んで習い事をしたり、交流を深めるのは、お金では買えない人間関係と身近なコミュニティがあるからだ。家庭以外の学校、会社や地域社会で、できるだけ人とのつながりを見つけ、自分の好きなことや得意なことを通じて、自分はなにを与えられるかを模索し行動することが、日常を楽しむヒントになるのではないかと思う。インターネット上のソーシャルプラットフォームを介し、現実世界で身近なつながりを作っていくというのも今の時代には合っている。私もさまざまな形で仲間や趣味、お気に入りの場所を見つけ、3年間のワシントンDC駐在生活が充実したものになった。限りある人生、後悔のないよう、身近に溢れている魅力的なもの、こと、人との出会いをこれからも大切にしていきたい。
引用文献Kakuzo Okakura, 1997 「The Book of Tea」Public Domain Books
看護師・保健師、豪州AIN資格取得。国立大学病院、豪州ナーシングホーム、都内癌専門病院勤務を経て、結婚を機に夫の駐在に帯同。2017年よりワシントンDC、2020年より豪州駐在となり、現在は陶絵付け、草月流いけばな、料理研究に励む日々。ブログ:https://ameblo.jp/the-artofplate/