世界一何もない首都から、世界一住みやすい都市へ

ビエンチャンで一番大きいお寺『タート・ルアン』で家族と

ビエンチャンで一番大きいお寺『タート・ルアン』で家族と

最近は村上春樹のエッセイにも出てきて少しは知名度が上がったかもしれないが、私たち家族はビエンチャンというところに3年間住んでいた。ビエンチャンは、東南アジアのラオスという国の首都だ。東南アジアの首都というと、バンコクやハノイのように、人がひしめいていて車がブンブン行きかう喧噪を思い起こすかもしれないが、ビエンチャンは当惑するほど人がまばらで、不気味な静けさがあった。東京都の人口1400万人に対しわずか80万人が住む「世界一何もない首都」などと言われているが、第一印象としては正解だと思う。

確かに地下鉄も路面電車もなく、マクドナルドやスターバックスもない。スーパーマーケットや百貨店、公園、遊園地、プールなどの施設も整っておらず、外観だけで中は薄暗いがらんどうだったりする。最初のころは休日に何をしていいか分からなかった。散歩でもしようかと思っても、外は摂氏40度の炎天下、未舗装で土ぼこりが巻き上がる道、野犬もそこら中にいる。結局家にこもってボードゲームをしていた日々を懐かしく思い出す。

そのうち車を手に入れ、暑さもホコリも野良犬も気にせず出かけられるようになった。かつてフランスの植民地支配を受けたラオスはあちこちにその名残があり、大統領府のそばにあるパリ凱旋門風の建造物は、代表的なランドマークだ。フレンチ・コロニアル風のカフェもたくさんあり、仏教徒の寺院と入り混じって混沌さを醸し出している。スーパーがないので食料品の買い出しは小売店を一軒ずつ回るのだが、ヨーロッパからの輸入品を扱っている店もある。また気温が下がる夕方にはどこからともなく人が出てきて、広場では露店が組み立てられ、屋台の明かりがつく。みんなビールを飲んで、歓声や音楽で自分の声すら聞こえない。映画「千と千尋の神隠し」を観た人なら分かるかもしれないが、夜のビエンチャンは妖気ある怪しい賑やかさに包まれる。昼間の気だるい異様な静けさを思い出すと、その差に警戒心を抱く人もいるだろう。

自宅周辺。朝10時ですでに気温は38度

自宅周辺。朝10時ですでに気温は38度

ここまでは一般のガイドブックにもよく載っていることだが、3年間住んで、この国にはいくつか本当に「ない」ものがあることに気づいた。それについて書いてみたいと思う。

「ない」と感じたラオスの人たちとの交流

最初の「ない」ものは、現地の人との関係性だ。ラオスではラオス語が話されていて、一部の店をのぞいて英語はほとんど通じない。気軽に話しかけるオープンな国民性でもなく、何十年も住んでいるなら別として、外国人が現地の知り合いを作ることは難しい。私も夫も仕事で関わりがある人はいたが、3年間でラオス人の友達というのは一人もできなかった。また前述のカフェのコーヒーは1杯400円。日本やアメリカでは普通の値段だが、ラオスの平均月給が1万円と知っていれば、どれだけ高いか分かるだろう。だから客はほぼ外国人か観光客だ。食料品店やレストランも外国人しか行かない。みな小ぎれいで居心地がいいところばかりだが、値段は先進国並みかそれ以上だ。一方ラオス人は、ウェットマーケットという青空市場のようなところで買い物をする。ローカル価格だが、肉や野菜が直接地面に置かれ、ハエがたかる強烈なにおいの中、ラオス語をバンバン使って交渉する外国人は多くない。うまく買えたとしても衛生面でとても心配な商品ばかりだ。外国人とラオス人の日常はきっちり隔てられていて、お互い交わる点はほとんどない。

ラオスでないと感じた真の「教育」

次の「ない」ものは教育だ。私たちの子供は当時小学生で、ビエンチャンに一つだけあるインターナショナル・スクール(「インター」)に通っていた。そこしか行けるところがないので選択肢もない。9割以上の生徒は外国人だが、ラオス人の生徒もいた。この国の生活水準でインターの学費を払えるような家庭は、一般ラオス市民ではまずありえない。通っているラオス人は、いずれも大金持ちのマフィアか胡散臭い政府高官の子息だった。彼らはいつも運転手付きの高級外車で送迎されていたが、親の姿はほとんど見たことがない。まれに見かけても最新の携帯電話で忙しそうに話しているか、ラオス人同士で洋服や髪形を褒め合っているだけで、子供が学校で何をしているかというのには無関心に見えた。英語が得意でないのもあるのだろうが、先生や他の保護者と積極的に交流しようともしない。おそらく「子供をインターに行かせている」というのが彼らの重要なステイタスであって、そこで子供がどんな知識をつけるかはどうでもいいのだ。

メコン川で泥団子づくり。対岸の明かりはタイ

メコン川で泥団子づくり。対岸の明かりはタイ

また私はラオス国立大学で日本語を教えていたのだが、この国で大学に行くのは全人口の1パーセントだ。これも非常に恵まれている家庭の子供のみで、甘やかされて勉強は全くしないが、親の力で卒業できることは分かっている。普通の子供は小学校3年間だけの教育で、それでも家庭の事情で通えなかったり、学校に行かないのは普通だと思っている家も多い。うちで雇っていたラオス人のハウスキーパーも読み書きが全くできなかったが、劣等感はみじんもなかった。近所のフレーム(額縁)ショップの店員は、自分の国の形も知らなかった。ある日綺麗なラオスの地図が手に入ったので額に入れてもらおうと持って行ったのだが、その店員は私に「この絵はどちらが上か」と聞いてきたのだ。初等教育も受けず、働いても月に1万円しか稼げない人がいる一方で、努力もせず大学まで出て、その後も親の力で贅沢に生活している人がいる。そのどちらも「教育」というものを重要視していない。格差社会というのはどこにでも存在するが、この国でこんなにも差が開いて特に騒動も起こらないのは、教育の欠落による鈍感さという気がしてならない。

ラオスに「ない」と感じた安心できる暮らしと環境

最後の「ない」ものは、安心できる環境だ。発展途上国では仕方ないかもしれないが、前述の学校制度も含め、ビエンチャンのインフラの状況はひどい。まず病院がない。いや、ないというわけではないが、「まともな」のがない。この国で「医者」というのは大学を卒業したら自動的になれるものであって、国家試験もない。有力なラオス人や外国人は国内の病院には決して行かず、隣国タイにある本当の病院まで自家用車で行くか(救急車など存在しない)、もっと深刻な場合は首都のバンコクまで飛行機で行く。それができなければ地元の病院しかないが、行っても先にお金を払わないと診察してもらえないし薬ももらえない。交通事故にあって転がり込んだ人が血だらけで廊下に何時間も放置されているのは、普通だ。外科手術をすれば回復するようなケガも、知識の無さからか適切に診断されず、安易に四肢を切り落とされる例が後を絶たない。施設が不衛生なので感染症にかかる率も高く、もはや自力で治すほうが治癒率が高い。骨折くらいではだれも病院に行かない。こんな状態でも政府は大多数の一般人の健康については全く関心がないようで、ラオスの医療制度は一向に改善されない。しかし市民の動向には大いに注意が払われている。テレビやラジオの生放送はなく、すべて編集して放送される。新聞も無難なことしか書いていない。社会主義国のせいもあるが、国に反する発言は厳しく取り締まられる。行方不明になったり命を狙われたりしている活動家がたくさんいる。市民にとって国家は恐れるべきものであり、頼れる対象ではない。

「無い無い尽くし」ビエンチャンから「何でもある」メルボルンへ

「魔女の宅急便」に出てくる列車の駅『Flinders Station』(オーストラリア・メルボルン市内)

「魔女の宅急便」に出てくる列車の駅『Flinders Station』(オーストラリア・メルボルン市内)

ところで私たち家族は、3年ごとに違う国に移動する生活をしている。その国ごとに雰囲気なり言葉なり吸収してきたが、ラオスには全く溶け込めなかった。外国人のコミュニティーから出ることがなく、常に英語で話し、現地の人とは全く違う生活を送っていた。でも後悔はしていない。無理矢理入り込む余地もなく、入りたいほどの魅力も感じなかった。まあ料理や民芸品など表面的な体験は楽しかったし、旅行でならもう一度くらい行ってもいいかな、とは思う。たしかに1,2週間滞在するだけなら、異国情緒あふれるラオスはとても魅力的な国に映るだろう。今回は触れなかったが、ビエンチャン以外の田舎には素朴な家や手つかずの自然がそのまま残っているし、ルアンパバンという所は、伝統的な寺院と美しい街並みから、街全体が丸ごと世界遺産に指定されている。日本や欧米からの観光客も多い。だが、そこに根を張って生活していかなければならないとしたら、外国人にとってはハードルが高い国だと思う。本当に正直に言うと、私たちがラオスを懐かしむことはあまりないし、二度と行くことがなくても全然寂しくない。

カンガルーと触れ合える野生公園。オーストラリア各地にたくさんある

カンガルーと触れ合える野生公園。オーストラリア各地にたくさんある

今はオーストラリアのメルボルンにいる。こちらには一瞬で溶け込んでしまった。地域のボランティアに精を出し、盲導犬のパピーウォーカーをし、日本人会ではお茶の稽古、週末にはせっせと小旅行で忙しい(2020年3月現在はコロナ騒動のせいでそれらは中断しているが)。子供もラオスのことはすぐ過去の思い出になり、こちらの学校に何年もいるような顔で済ましている。言葉が通じる国だからというのも大きいが、メルボルンには何でも「ある」のだ。人との交流も教育も病院もある。物事はシンプルでとても分かりやすい。街並みは清潔で美しい。世界一住みやすい都市に何年か連続で選ばれたようだが、必要なものがほとんど「ある」からだろう。こんないい条件のところに居ていいのだろうかと無意味に罪悪感が生じるときもあるが、もう何年も帰っていないワシントンDCでこれだけスムーズに生活できるかは疑問だし、家族が住んだことのない日本での暮らしは想像もできず、今の「ある」生活を楽しむことに決めた。子供は居心地が良すぎて、もうこれ以上移動したくないと宣言しているが、次の引っ越しまであと1年半で、それは絶対に決まっている。ただどこに行くのかはまだ決まっていない。

結婚して12年目、これからもしばらく放浪生活は続きそうだ。安定とは無縁だが、場所が変わってもいつも家族はそこにあり、引っ越しの度に団結力は強まっている気がする。子供はもうすぐ思春期で、今まで以上に困難が伴いそうだが、たくましく成長するのを願いつつ、ハードシップな国も魅力的な国も淡々とこなしていくしかないだろう。自分の人生なのだから、楽しんだもの勝ちだ!

メルボルンの南西、全長250キロのGreat Ocean Road。海を眺めながらのドライブは最高

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