断捨離!避けたくても避けられない今の自分に向き合う機会
誰のための断捨離?
ここ何年か夏に日本に戻るたび、姉と一緒に実家の片付けを1週間ずつしているのだが、両親の残したものを見ながら、「どうしてこんなものを取っておいたのか」というのが私たちの口癖になってしまった。そんな中、この本の著者が出演している「ウチ、”断捨離”しました!」というテレビ番組を姉が視聴していることがわかり、何話か観てみたところ、自分に当てはまることがたくさんあり反省し始めた。この本は本屋を歩き回っていたときに、「60歳から」という表題に惹かれ何気なく手に取ったものであるが、読んでみると、認識したくない自分を顧みる機会となった。
著者による断捨離の定義
著者は断捨離を「モノを通して、自分と世界との関係を整え、ご機嫌でいられる状態を取り戻していく実践」だと定義している。抽象的な定義だが、最終的には「要=今の暮らしに必要なのか」、「適=いまの私に合っているのか」、そして「快=見ると気分がいいか」の3つを基礎として成り立っていると言っている。それを理解するために、「自分軸=私はどうしたい」と「時間軸=いまはいつ[YL1.1]からいつまで」を考えることが必要だと提案している。「まだ使える」や「もったいない」という「モノ軸」ではなく、自分が手に取っているモノをいま使いたいと思っているのかという「自分軸」で決め、さらに、「いま」という時間幅を広げすぎないよう自分にとっての「時間軸」を決めることが大切だと言っている。
モノの断捨離
モノを断捨離する際にまず覚えておかないといけないのは、『ひとつでもモノを減らせたら、「よくやった」と自分をきちんと褒めてください』ということと、最初の段階ではとにかく「要るか、要らないか」を基準にして「どこから見てもゴミ」というモノを捨てることだ。特に私たちの年代になってくると、自宅内での転倒を防ぐ必要が出てくるため「床置き」をできるだけなくすことが大切になってくる。モノを手放すということは、「動きやすくする」、「選びやすくする」、「休みやすくする」ために「役目を終えたモノに区切りをつける」ことにより、「いまを軽くする」ことができるようになることである。この章を読んで猛反省した。恥ずかしい話、私はモノを捨てることができない。「いつか使うかもしれないから」という「モノ軸」の気持ちからなのだが、そのため家の中には現在必要ではないものが溢れかえっている。子供達が自立した後も引っ越すことなく以前からの家に住んでいて、空間がありすぎるのも問題なのだろうが、これは自分を見つめ直すいい機会となった。
お金の断捨離
「お金の断捨離」の章を読み始める前は、その意味が理解できなかった。著者は、お金は「通貨」と言われるように、入ってきて通過し出ていくモノだと言っている。先に手放さないと循環が滞り、入ってくるモノも入ってこないということ、またお金は「目的」ではなく車のガソリンのように『ご機嫌な毎日を送るための「手段」』としている。さらに、新しく何かを始めたいが、「お金がないから」という理由で踏み込まないのは、やりたいことに飛び込めない言い訳として「お金」を使っているのかもしれない。本当に自分がハッピーになれるためのお金の使い方について考える必要があるという。これは少々耳が痛かった。「先立つものがなければ何事もできない」という考え方をいつもしていたので、これをいかに転換させたらいいのかと頭を悩ませていた時、「お金は天下のまわりもの」と母がよく言っていたことを思い出した。節約するところは節約する、しかし出すべきところは気前よく出すという自分軸をしっかり身につける必要があると感じた。この章を読んだ後、思わずハワイ行きの飛行機のチケットを買ってしまったことを追記しておく。
人間関係の断捨離
「人間関係の断捨離」と聞いて、いささか乱暴だと感じたのは私だけではあるまい。著者はここでも「循環する関係」について話している。「循環する関係」というのは、「距離」、「頻度」、「重さ」の3つで成り立っていると言っている。一番大切なのは、「自分軸」を意識して現在の関係性を考えることだ。また、家族や長年の友人との関係については、「関係のあり方を見直す」ことが大切だとある。もし詰まってしまっている関係がある場合には、どのように現在の自分にあった関係性に整えていくことができるのかを考える必要がある。さらに、自分自身との関係性を自己対話によって見直し、「自分軸」をしっかり持つことにより、『「私は私を信じていい」という感覚』を育てることができると述べている。
身体の断捨離
「身体の断捨離」と聞き、まず思い浮かべたのが贅肉を削ぎ取るということだったが、この章はそれとは全く異なる話だった。著者は「身体の断捨離」は「息=呼吸すること」、「食=食べること」、「動=身体を動かすこと」、「想+環=考え、言葉を使うこととそれらが行われる環境」の五つの要素を考えることにあると言っている。やはりここでも「循環」という言葉が大切になってきていて、暮らしの中で滞っているところがあるかどうかを見極め、日々繰り返されている行動とその環境を見直す必要があるという。この章で感じたのは、姿勢を良くすると深い息ができるようになり、何を食べるかよりどのように食べるかに焦点を当て、身体をある程度動かし、自分の頭で考えるということをできるだけ長く続けていくことが大切だということだった。
おわりに
この本を読みながらさまざまな角度からの断捨離について考えることができた。とにかく生活の滞りをなくし「循環」させることが大切だということが身に沁みた。私自身、体力のある60代に終活を始めなくてはと感じてはいたのだが、気持ちはまだまだ若いつもりでいたので、この機会に自分自身に向き合う時間を作ろうと考えた。また、自分の生活だけでなく、実家の片付けを機会に両親の人生を顧みることができたような気がした。それと同時に、もしかしたら、両親はモノを残したのではなく彼らの気持ちを遺すつもりだったのかもしれないという想いが頭によぎったが、物の多さにただ単に「残してしまった」のだろうと思えた。私も子供達に遺すものを選び、残すものを減らしていく必要があると教えられた本である。
ミネソタ大学で日本語と言語学を専攻し博士号を取得。その後ミネソタ州 にある何校かのリベラル・アーツ・カレッジで日本語を教える。2013年か らメリーランド大学ボルチモアカウンティで日本語エリアのコーディネーターとして言語と文化を教える傍ら、メリーランド・神奈川姉妹州委員会の委員長を務め教育を通しての日米交流を推進している。



