真珠のネックレスの様に、珠と珠がつながった私の人生

日米ダブルライセンスの歯科衛生士になれるようサポートしてくれた亡き主人との思い出の一枚

日米ダブルライセンスの歯科衛生士になれるようサポートしてくれた亡き主人との思い出の一枚

日本からアメリカへの脱出

アメリカへの脱出が本当に実現するまでには、少し時間がかかりました。16歳の時、歯科助手としてアルバイトをしたことがきっかけで歯科の仕事に興味を持ち、やがて歯科衛生士を目指すこととなりました。日本でライセンスを取り、臨床で仕事をしていた頃、ひとり娘をつれ、最初の結婚に終止符を打ちました。時が流れ、友人を訪ねてハワイで夏休みを過ごしていたある日、主人と運命の出逢いがあったのです。その後、彼がためらっていた私の背中を押してくれて、ハワイ大学看護学部歯科衛生学科へ進学。6年間の大学生活の末、日米ダブルライセンスの歯科衛生士になるまでサポートしてくれました。

2017年には、ハワイ大学卒業10周年を同級生と祝い、今後はベテラン衛生士として、ますます患者さんに最善の歯科診療を施す努力をしていくことを共に誓いました。ここ7年間は、臨床のみでなく、日米両国で診療を行ってきた経験を生かし、日米の歯科業界をつなぐ架け橋となるべく、ハワイ大学や日本各地でセミナーやレクチャーを行うことがライフワークとなっています。気がつけば、今や、人生の3分の1以上をここホノルルで過ごしたことになります。子供たちを育て上げ、自らのプロフェッションにも磨きを掛けた私は、感謝してもしきれないほどの素晴らしく充実した人生を送っております。

臨床歯科衛生士として、ハワイで10年

臨床歯科衛生士として、ハワイで10年

最愛の夫を突然亡くして

ずっと走り続けてきた私の人生ですが、特にこの一年半の出来事には特筆すべきものがありました。それは、まさに青天の霹靂でした。長男長女はすでに自立していましたが、高校卒業まであと一年の次男を残し、彼はあまりにもあっけなく逝ってしまったのです。それからの一年半は、まさに夢の中にいたと言っても過言ではありません。

20年の結婚生活で、私は主人に相当甘やかされてきました。彼が全てやってくれていたので、私は電球の交換の仕方さえわからなかったのです。お金や税金のこと、様々な書類の束の処理、次男の大学進学準備と願書提出、学費援助の交渉・・・これら全て、当然ですが、英語でやらなければなりませんでした。

そのような中、たくさんの方々が手を差し伸べ、残された私たちを様々な角度からサポートして下さいました。家族、友人、主人と生前交友の深かった人々、次男のサッカーのチームメート及びその父兄、学校関係者、ご近所、教会関係の友人、仕事関係者、大学時代の同級生たち・・・。生来のお節介焼きで、それまでむしろ人を助けることばかりをしてきた私ですが、主人の他界によって、人から差し伸べられた援助を受け入れることも学びました。

人生の再築を支えた歯科衛生士の仕事

20年間ほぼ毎晩、家族と夕食を共にしていた生活から一転、主人没後、1人になるのが怖くなり、1人だと食事も取れなくなった私は、 葬儀の支度をしながら、無我夢中のまま、 1週間で仕事復帰をすることを決めました。自宅に一人でこもり、彼のことばかり思っては泣き、というパターンに陥るのが本当に怖かったのです。誰かと一緒にいたい、人の気配を感じていたい・・・。職場でのたわいもないおしゃべりで、彼がいなくなってしまった現実を紛らわせたかったのだと思います。収入も必要でした。一家の財源が突然半分になってしまったのですから。当時大学進学を控え私立高校に通っていた次男を、無事に卒業させてあげられるかどうかさえ危ういところだったのです。

藁にもすがる思いで向かった先は、大好きな自分の職場、天職ともいえる歯科衛生士の仕事でした。何もかも忘れて、1日10人の患者さんを診療しながら、気付かれないように毎日7、8回も泣いていました。彼のことを考えないようにしていても、突然襲ってくる思い出がフラッシュバックとなって、胸を締め付ける日々が続きました。私が主人をつい先日亡くしたことなど全く知らない患者さんとの時間は、逆に救いでした。最近見つけた新しいレストランの話、楽しかった旅行の話、くだらないテレビの話題を通して、私は少しずつ元気を取り戻していけたのです。主人の不幸を知った、 診療を介して10年近く知り合っていた患者さんたちの中には、私を食事に連れ出してくれたり、「いつでも話を聞くから」と言って電話番号をくれたりして、私を支えてくださる方もいました。歯科衛生士と患者さん、という仕事上だけの関係だと思っていたのに、とても親身になって私のことを思ってもらえたのは、思いがけなくとても嬉しいことでした。

本当なら父親もいたはずの次男の高校の卒業式。長男長女と

本当なら父親もいたはずの次男の高校の卒業式。長男長女と

真珠のネックレスの様に

雲の上を歩いているような生活から、主人無しで何とか少しずつ自分の足で立って歩けるようになり、たくさんのサポートのおかげで、ようやく現実がよく見えるようになってきました。

一つ一つの真珠の玉が繋がってできるネックレスのように、今まで人生の中で関わった誰一人欠けても、今の私は存在しません。若かりし頃別れた最初の夫でさえ、1つの珠として存在しているのです。私の人生は、数千個の真珠がつながってできています。良いことをもたらしてくれた人も、試練を与えてくれた人も、全ての珠が今の私を造っているのです。そして私も、誰かの真珠の珠の1つとなって、人々の人生に関わっていることでしょう。願わくば、光をもたらす真珠でありたいと思う今日この頃です。


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