持つことの勧め。人生の最大の「持ちもの」のこと

私は今年もワシントンDCにやってきました。私が何かにつけてDCに来るのは、娘がスミソニアン博物館のアーキビストとして働いていることと、私の第2の故郷で人々に会い、私が捨てられない最も大きな持ちもの、住宅に「会う」ためです。

今年73歳、終活の時期を迎えています。私の人生の前半は、2年ほどの米国暮らしを除いて、38年ほどは東京の山の手で暮らしました。その後は6か所ほど、平均6年ごとに、あるときは一人で、ある時は家族とともに器としての住宅を移り変えてきたことになります。

動くたびに、持ちものを捨てました。抱えてきた、ため込んできた、「もの」と「記憶」とそこにつながる有形無形の「きずな」も、切ってきたことになります。私と違って、ほとんど、生涯を同じところで暮らしている兄などを見ると、親から受け継いだ広い家をもので埋め尽くしています。なんでこんなに捨てないのかと私はいぶかります。ここに、世代の差の問題があります。私たちより上の世代は、戦中戦後、もののない、貧しい時代を体験したので、もののありがたさ、捨ててはもったいないという意識が身に浸み込んでいます。私たち以降はその後の日本の経済成長、消費促進社会に生きて、ものを享受する生活を持ちました。

ここでは、これまでの人生を振り返って、住まいと物を持つことについて、いくつかの例を通して考えてみたいと思います。

物のない生活:途上国のこと

話は飛びますが、私は途上国、ことにモンゴルに行き来してきました。20年以上前、最初にモンゴルを訪ねるようになったころには、首都であるウランバートルでも、野菜から肉まで、そしてなべ、釜、皿まで、衣食住すべての物資が不足していました。よく手伝いのおばさんといっしょに、ザハと呼ばれる市場の雑踏の中、財布をしっかりと抱えながら、必要品を求めて歩き回りました。今や、中国と韓国資本によって、立派なデパートやスーパーマーケットができ、日常雑貨はもとより高級化粧品まで何でも並ぶようになりました。でも行くたびに、戦後の日本の経済成長を数十年近く遅れて追っているように思います。

モンゴルに限らず多くの途上国では、戦乱、内紛、政治の非力が物のない貧しい生活、所得と住宅の質の格差をもたらしています。

寿ん子さんの新しい家:復興住宅

私の東北の友、92歳になる気仙沼市大島の寿ん子ばあ様は、2011年の津波で、成功した商家としての大きな家屋と財産のすべてを一瞬にして失いました。「みんな、無くなりました」といつも淡々と話す彼女は、津波以降6年半、俳句と土地の民話の語り部として、多くの被災老人とともに仮設住宅で過ごしてきました。去年、ようやく戸建て1DKの復興公営住宅にひとり移り住むことができて、彼女の喜びは一入(ひとしお)でした。昨年11月に訪れたら、中は新聞となにやら多くの雑貨ですでに足の踏み場もなくなっていましたが、押し入れの一画に新しい立派なお仏壇が作られ、造花と供え物がにぎにぎしく、玄関わきのプランターにはパンジーと水仙が育っていました。この年月、腰はだいぶ曲がりましたが、笑顔の柔らかさは変わりません。彼女の望みは、「自分の家」から自分の葬式を出したいということでしたから、しっかり間に合って、安心したようです。

Jeanの家

私はワシントンに来るたびに訪れる知人がいます。以前、VIEWS に書いたことがありますが、1922年目白生まれの95歳になるJean Mayerです。彼女の両親は戦前に宣教師として日本に赴任し、東京目白のキリスト教会と幼稚園を建てました。この幼稚園は、5年ほど前に創立100周年を祝っています。偶然にも私がその幼稚園の卒業生であることを知ってから、彼女はいつも私を待ちわびていてくれます。

今年も彼女のメリーランド州Bethesdaにある家を訪ねました。「足が不自由になり、転倒して頭を打って、手術後の経過はあまりよくないけれど」と、肩をすぼませながらも、元気に迎えてくれました。(ここでWJWNとジャパニーズ・アメリカンズ・ケアファンドの活動に感謝しなければなりません。モーマン先生(Ms. Yukiyo Moorman)ほか、WJWNのメンバーは、しばしば彼女の愛する日本食を携えて、彼女を訪ねてくれています。)

彼女の住まいは相変わらず、ピアノの上からあらゆる机の上、床の上、階段も、さまざまなもの、多くは古新聞の山に埋まっていました。彼女は日本への愛情と思い出が捨てられません。その山の中から、日本につながる品々が時々掘り出されて、私に渡してくれるのです。

その彼女の最大の持ちものが、このBethesda の土地と住まいと新聞です。子供のいない彼女は、私が言うであろうことを察して、先手を打ってきます。彼女は「一人で、ここで暮らすのがいいの。庭仕事をして、好きなものを買ってきてもらって、作って、食べていられれば幸せ。郊外の老人ホームなんかに、誰が行くもんですか。」

私は住宅政策の研究者で、日米の住宅政策を研究してきました。住宅を持つことへの個人の努力が、国の経済と個人の安寧に密接な関係を持つことから、家を持つことを重要なことと考えてきました。

私はJeanに家を売って、どこかへ移れと勧めることはもうないと思っています。そこに、彼女の命を燃やす残り火があるのですから。後のことは、誰かが考えればいいでしょう。95歳まで一人で生計を立て、家を持ち、一人で生きてきたのですから、それで十分です。

老いの美学:縮小化

老いの美学があるとすれば、それは出来る限り無駄なものを残さないことでしょう。私は両方の両親を送りましたから、遺されたものにとって、土地、家屋、財産など、彼らが集めたものを処分する大変さがわかります。遺してくれてありがたいことは多々ありますが、言ってみれば、飛ぶ鳥、跡を濁さず、残すものは少ないほどよいと私は思います。私はそうしたいと思っています。遺された家族、子供、友人は、時間をかけて、金をかけて、結局、ごみ処理に悩まなくてはならないのですから。

そうだとしても、住まいに関しては、「持たない」老いの美学はあきらめましょう。最後まで、自分が暮らせるだけの金と住み家は欠かせません。持ち家であろうとも、借家であろうとも、住み、維持できる金は必須です。美学にはかなわないこととはいえ、高齢者にとって、持つことは「生きる」を支えることです。持たないでいいのは、体力があり、挑戦する将来のある若い世代です。高齢者は、個々人が自分の信念で築いてきたものを捨てることはないのです。それにしがみつき、持ち続けることが、生きる力です。あとは、残されたものが考えればいいことです。

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