私は地球市民

国籍を超越して生きて来た

「S/he is Trans-Atlantic (彼女(彼)はトランスアトランティックだ)」という言い方が英国にある。生まれも育ちも英国人だが、米国が好きで、雰囲気もどこかアメリカ人っぽい人を指すそうだ。そういう人は、英国にある米国企業によくいるとか。

アルプスの山々が好きだった(グリンデルワルド)

アルプスの山々が好きだった(グリンデルワルド)

その言葉を知ったときは言い得て妙だと感心したが、今では私もその一人になったかも知れない。私は1989年(平成元年)にパリに渡り、その後ジュネーブに移った。ずっとヨーロッパのフランス語圏に住み、英語で仕事をしてきた。職場は国際機関や多国籍企業で、同僚の国籍は200以上、国連加盟国の数より多い。こんな国籍を超越した空気の中で生きて来た。

日本人の同僚も近くにいなければ日本語を使うことも無かった。私はもともと自分なりに考えるところあって日本社会の外に身を置きたくてパリに来たので、外国に来てまで日本との関係を特に追おうとも思わなかった。

自分も驚いた本帰国

そんな暮らしが30年目に入ったとき、自分の気持ちがパラリとヨーロッパから離れた。ここ(当時はジュネーブ)の暮らしを畳んで日本に戻ろうと言う声が、どこかから降ってきた。理由は今でも分からない。

私はずっと一人暮らしで、ヨーロッパに家族がいない。淋しい反面、夫や子どもの人生を考える必要は無い。自分のことだけを考えれば良い。それは自分の人生を自分だけで決めて良いという、大変な自由を手にしているということではないかと気が付いたときだった。

人生だから当然山坂はあった。それでも30年間、自分の納得が行くように私は生きて来た。そんなことができたのは、母が日本で元気でいてくれたおかげだと、やっと気がついたのだ。その母も、父の死後一人暮らしで(当時)87歳。高齢者らしくあちこちの骨折や体調の不調も始まった。

私には妹が一人いる。それまでは彼女が緊急の場合は母を支えてくれていた。しかし、それは妹には辛いことだった。そこには妹が母の家から遠くに住んでいるためだけではない事情もあった。

言いたくないが、母の寿命はカウントダウンだ。今度はわたしが母と妹を支える番だと思った。

さあ、30年ぶりに戻ったら!

日本のあれこれに「おや!?」と思わせられる日々が始まった。わたしの脳みそはヨーロッパ漬けになっていたのだ。地理的にも、また生活環境も、日本の影が無いところに30年間いたのだ。今ではきっと私のものの感じ方や、日本を見る視線は、外国人観光客とよく似ているに違いない。

例えば、電車に乗ると、日本人ばかり!日本には日本人しかいないことが驚きだった。ジュネーブでは街を歩けば4つや5つの言葉が自然と耳に入って来たが、日本では日本語だけ(東京の都心に行くと外国人観光客もいるが、パリやジュネーブに比べたらものの数ではない)。

あるとき用事があって羽田から福岡まで飛んだ。2時間のフライトだ。この旅行にパスポートは不要だった。羽田でも、到着した福岡でも、まだ日本の中だからだ。どちらの都市でも同じ言葉が話され、同じ全国紙が売られ、同じSuicaが使えた。日本て大きな国なんだと感心した。

ジュネーブから2時間飛行機に乗れば、出発地と違う国の空港に着く。そこでは言葉も通貨も住む人種も違う。EUパスポートを持たない私が、自分のパスポートを持たないで飛行機に乗るなどということは、滅多になかった。(註:シェンゲン協定加盟国の市民はシェンゲン域内ではパスポート無しで移動できる。)

100円ショップには、心底瞠目した。ヨーロッパではまず見つからないような、一個ずつキチンと包装された、驚くほど多様な商品が、どの棚にも整然と並べられている。品質は決して安かろう、悪かろうのレベルではない。それがどれでも一個100円?スイスなら1フランぐらいのものだ。世界一物価の高いスイスで、こんなに品質の良い商品がもしもあったら、10倍以上の値段が付くにちがいない。日本ってどうなってるのだ?

そういう100円ショップのビジネスモデルを支えるのは、お店で働く女性たちではないかと、まもなく気がついた。日本女性の優秀さ、きめ細かさ、誠実さ、おつりを間違えたリなどしない頭の良さ、そういう素晴らしく良質な労働力を安い賃金で調達できる社会の仕組みが、100円ショップの経営を可能にしているにちがいない。そう思うと胸が痛んで、安いものを買って得した、とばかりは思えなくなった。

そしてこのド安全な日本社会。傘立ての傘を、なぜ誰も盗っていかないのだ?中に入っている硬貨を盗んでくれと言わんばかりの公衆電話機。警報器など付いていない!電話機をコンクリート壁に埋め込んであるわけでもない。

日々こういう経験をしていると、スウィフトの書いた「ガリバー旅行記」が名作だということがよくわかる。小人(こびと)の国に行くとガリバーは巨人扱いされ、巨人の国に行くと、逆に小人扱いされる。この物語は、自分を基準にしてものを見る人間の滑稽さを素晴らしく上手く描いているのではないか?「ガリバー旅行記」はオトナこそ読むべきだと思う。

ああ、ガリバーだけではない、もう一つあった。私は平成の30年間を全く知らない。私は昭和生まれだし、私の家族も友人たちもそうだった。ところが、今の日本では、「ショーワ」が、かつての私にとっての明治ぐらいの感覚になっているらしい。私にとっては昭和こそが日本なのだが。そうか、私は浦島太郎も経験しているのか。

わたしは地球市民

私は自分のアイデンティティを作るのは自分だと思う。私は自分を「地球市民」だと思っている。どこかの国に自分のアイデンティティのより所を求めるのではなく、自分に依って立つ気持ちとでも言おうか。

私は、藤田嗣治という画家が好きだ。藤田はパリに人生の半分以上を暮らし、晩年はフランスに帰化した。私には、彼の絵にはパリとそこでの暮らしを好きでたまらない気持ちが籠もっているように思えるのだ。もしかすると彼は「地球市民」のような感覚を持っていたのではないかと思う。これは私一人で思っていることだが。

藤田嗣治のこの言葉が私の胸に強く響く:
「私は、世界に日本人として生きたいと願う、
それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだろうと思う。」
(「随筆集 地を泳ぐ」平凡社、2014年、から引用)

私は今の日本社会が発想の酸欠状態になっているよう思えてならない。そこで、自分でも何かできることはないかと考えて、地球市民塾というオンラインセミナーを始めた。これは毎月一回、外国といろいろな形で関わって生きている方々をゲストにお招きしてトークをして頂き、その後参加された方たちと直接対話していただくというプログラムだ。Zoomというオンライン会議システムを使うと、地理的距離に関係なく様々な人々と直接に対話出来る。時にはその中から思わぬプロジェクトが誕生することもある。

スノーシューハイキング(サンセルグ)

スノーシューハイキング(サンセルグ)

実は今回のVIEWSへの寄稿も、地球市民塾でお話をして下さったワシントン・コア社社長、小林知代さんの御紹介というご縁だった。私は日本に移り住んだけれども、こうして今も世界中の地球市民と繋がっている。

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